アサルト・ライフルとは、面的制圧が可能なセミ及ぶフルオートマチック射撃の可能なライフルを指し、射撃のリコイルを小さくしてコントロールを容易にするために従来のフルロード・ライフル弾より、低威力化 (小型化、または短小化)した弾薬を使用するものを指す。
その観点から見れば、世界最初のアサルト・ライフルは1916年、ロシアで作られた6.5mmフェデロフという事になる。しかしフェデロフ・アフトマットはオートマチック・カービンとして作られた。
アイデアとしてはアサルト・ライフルそのものであったが、当時、アサルト・ライフルという概念は無かった。その為、改良、発展には結びつかず、革命後のソ連は、モシン・ナガン弾を使用するフルロード・ライフルに逆戻りをしてしまった。
ドイツは19世紀末にセミ・オートマチック・ライフルを開発、第一次大戦では、ライトマシンガンを登場させた。第二次大戦でライトマシンガンFG42を経て、短小弾を使用するMKb42が登場した。
しかしそれより前の1930年代後半、すでにフォルマーはアサルト・ライフルと呼ぶ事が出来るものを試作していた。しかし、これもまだアサルト・ライフルというものの概念を正しく理解して作られたものでは無い。
MP43は名実共に世界最初のアサルト・ライフルといえる。第二次大戦後開発されたアサルト・ライフルはコンセプト的にも、設計上また製法上においても、すべてこのMP43の影響を受けているといっても過言ではない。
MP43が東部戦線に投入され、それにより大損害を受けたソ連は戦後、いち早くAK-47を誕生させた。
AK-47およびその後のAKMはワルシャワ・パクト全域のスタンダード・ライフルとなり、その後ベトナム戦争でアメリカの5.56mm×45弾薬の影響を受けて、小口径化させたAK-74につながっていく。
一方,ドイツが敗戦間近に開発したゲレート06Hはローラーロッキング機構を持ち、戦後、スペインでのセトメ・ライフル、やがてはドイツのG3ライフルへと発展していく。しかし、ゲレート06とセトメ・ライフルの間には、繋がらない大きな隔たり、missing linkがあった。だがそれはルドウィック・フォルグリムラーの遺品の中に図面として発見される。
アメリカは第二次大戦において、アサルト・ライフルを呼ぶことの出来る銃を作りかけていた。1941年開発されたM1カービン(M2カービン)だ。MP43のようなラジカルな形状ではないが、フルロード・ライフル弾とピストル弾の中間の威力を持つ小型弾薬を使用する。この弾薬をベースにさらに小口径のブレットを装着したなら、M2カービンは撃ち易いアサルト・ライフルになっていたであろう。
しかし、アメリカは島国だ。敵国に直接派兵する際に、常に揚陸作戦を展開しなければならない。遮蔽物の無い海岸線での戦闘で、射程距離の短い弱装弾を使うことは、海兵隊から猛烈な反対を受ける。第二次大戦でMP43の洗礼を受けなかったことも、アメリカの歩兵ライフルを間違った方向に仕向けていった。
アメリカは、フルロード弾を使用する遠射の出来るライフルを目指した。これは戦後のNATO諸国を巻き込んでいく。
床井雅美がここまで話を進めたとき、約3時間40分の講演時間が尽きてしまった。まだ膨大な話が残っている。
アメリカの主張したフルロード弾7.62mm×51が、NATO諸国を巻き込んだ。各国は開発中のライフルの設計変更を余儀なくされた。セトメ・ライフルはG3になり、イギリスの主張したEM1, EM2ライフルは廃案。FN FALはフルオートマチック射撃に適さない銃となってしまった。
一方、アメリカはSALVO計画を経てAR-15で5.56mm×45の有効性、軽量ライフルの有用性を理解した。M16ライフルの登場だ。
ヨーロッパ各国は大幅に遅れながら小口径化へ取り組む。ブルパップ・アサルトライフルAUGの登場、グレネート・ランチャーとの組み合わせ、SPIW計画、ケースレス弾への挑戦。
ソ連と東欧の崩壊とその自由化は、旧東側の新しいライフルへのアプローチに繋がる。紆余曲折を経たドイツはG36を採用、アメリカはランド・ウォーリアを実用化、FNはモジュール・ライフルを開発した。OICWの行方はどうなるのか、これからの軍用ライフルのあり方についての解説。
これらを語るには、あと3時間以上は必要だろう。
今回の“Century of Assault Rifles”は、結果として“第一部”というものになってしまった。セミオートマチック・ライフルが、やがてアサルト・ライフルとなっていく、その導入部を、今回は濃密に語ったといえる。
全部のお話が出来なかったことを、ご参加された皆様に、主催したShooting Tips.comとしてお詫び申し上げます。アサルト・ライフルという大きなテーマは、とても半日で語り尽くせるものではありませんでした。
残りの部分は、いつの日か再び床井雅美に語って頂くことを検討しております。
Satoshi Maoka
July 15, 2003
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