Winchester M1897
                                        2006年11月28日掲載

 1883年、ウィンチェスター社(Winchester Repeating Arms Company)はユタ州の小さな町、オグデン(Ogden)にある銃砲店ブラゥニング・ブラザース・カンパニー(Browning Brothers Company)と契約を取り交わした。その田舎にある小さな店を経営するジョン・M・ブラゥニング(John Moses Browning)が設計製造したフォーリングブロック・ライフルは極めて優秀な製品であったからだ。
 ウィンチェスターはこの契約で、ブラゥニングの設計したフォーリングブロック・ライフルの製造権を獲得した。一方、ブラゥニングは、ウィンチェスター社の製品を中西部で独占的に販売する権利を得た。
 大メーカーであるウィンチェスター社と取引関係を構築したブラゥニングは、翌1884年、ウィンチェスター社のレバー・アクションのロッキング・メカニズムを改良し、強力な弾薬を使用することができる製品を設計した。それがM1884ライフルだ。これは後にM1892ライフル、M1894ライフルに発展した。
 やがてジョン・M・ブラゥニングは銃器設計者として非凡な才能を開花させ、アメリカ銃器界にその名が知れ渡るようになった。
 レバーアクションライフルで成功、会社を発展させていたウィンチェスター社は、イギリスからショットガンを輸入し、アメリカ市場で販売していた。やがてオリジナル・ショットガンの製造販売計画が持ち上がった。
 ショットガンの設計を依頼されたブラゥニングは、スライドアクション・レピーターとして設計を進めた。しかし、ウィンチェスターはライフルと同じレバー・アクションにこだわった。そのため、このショットガンは途中でレバー・アクションに変更された。
 製品化されたものはウィンチェスター・モデル1887だ。ショットガンといえば水平二連が常識だった時代に登場したレバーアクションM1887は、当時ショットガンを多用したハンターのみならず、保安官などの警察関係者の注目を集めた。ライフルと同様にレバー操作だけで散弾が連射できるとなれば当然だ。12ゲージの製品が先行し、すぐに10ゲージモデルが追加された。
 しかし、大きなショットシェルを使うショットガンに、レバーアクション・メカニズムはやはり無理があった。結果的にM1887ショットガンは1901年に製造を終えた。
 レバーアクションではなく、スライドアクションとしたモデルがM1893だ。これもブラゥニングが設計したものだ。
 スライドアクション・ショットガンはクリストファー・スペンサーによって1855年代に開発されており、ウィンチェスターが初めて市場に投入したわけではない。
 ウィンチェスターM1893はブラック・パウダー仕様で、当時、普及が進んできたスモークレス・パウダーを使用した場合、レシーバーの強度が不十分だった。
 高い実用性をもったスライドアクション・ショットガンが登場したのは1897年のことだ。ブラゥニングはM1893を改良し、ウィンチェスターM1897を市場に送り込んだ。M1897は最初からスモークレスパウダー仕様で開発され、市場の反応は素晴らしく良かった。そしてウィンチェスターはM1893を回収、M1897と交換した。
 ウィンチェスターはレバーアクション・ショットガンを諦めたわけではなかった。1901年にはM1887に代わってM1901ショットガンが登場している。これは10ゲージのみで1920年まで製造が続いた。

 スライドアクション・レピーターM1897は、12ゲージ、6発のチューブマガジンと30インチバレルのハンティング仕様で登場したが、その後、幅広い分野へ展開が進められた。
 20世紀初頭、ショットガンは軍用としてほとんど利用されていなかった。散弾による殺傷力の低さを生かして、暴徒鎮圧用として軍施設や捕虜収容所の警備に用いられていたに過ぎない。しかしM97が登場してまもなく、ショットガンを軍が使用する事態が発生した。
 1898年、スペインとの戦争である米西戦争が勃発した。アメリカはスペインを圧倒、スペイン領であったフィリピンを領有した。その結果、1899年今度は米比戦争が起こった。フィリピンの解放者として現れたアメリカがスペインを追い出したものの、今度はアメリカがフィリピンを支配した。スペイン支配との違いは、アメリカは友愛的同化を宣言し、できる限りフィリピンの民主化を保証したことにある。しかしフィリピンを植民地としたことになんら変わりは無い。民族意識に目覚めたフィリピン人はアメリカと敵対した。それが米比戦争だ。
 フィリピンのミンダナオ島を制圧しようとするアメリカ軍に対し、この島を拠点とするイスラム教徒のモロ族が反発した。ミンダナオ島は、長いスペインのフィリピン統治時代でも、スペインは制圧できていなかった。
 モロ族は、戦闘の前に薬物で一種のトランス状態を作り出す。これにより痛みを感じにくくなり、38口径のピストルで撃たれても倒れることなく突進してきた。
 アメリカ海兵隊は急遽、38口径より威力の高い45口径リボルバーをフィリピンに送ると共に、民間市場にあったウィンチェスターM1897を調達した。突然、現れて至近距離から攻撃を仕掛けるモロ族に対し、ショットガンは有効な武器となった。至近距離からBuck shotを撃ちこめば、モロ族と言えども吹っ飛ぶ。長距離から撃ち合う通常の戦闘では全く役に立たないが、至近距離に限れば、高いストッピングパワーを示す。またパターンが広がる為、狙いは正確でなくても問題はない。

 本来狩猟用で、対人用としては殺傷力が低いショットガンが戦場で使えるのは、そんな至近距離だけだ。スライドアクション・リピータ−として信頼性と連射性能を示すM97は、こうして狩猟およびスポーツ用以外に軍用としてのポジションを限定的に手に入れた。このとき、アメリカ軍は市場にあるM1897をそのまま調達し、特別な改造は一切おこなっていない。
 ショットガンを戦場で使用し、一定の効果を上げたアメリカ軍は、第一次大戦で再びショットガンを活用する。当初、アメリカは第一次大戦に参戦せず、中立通商をおこなってきた。しかし1917年、ドイツが無制限潜水艦戦を再開した。
 ドイツの潜水艦による商船撃沈は1915年9月以降、アメリカの抗議で中止されていたのだ。この潜水艦戦の再開で、1917年3月、アメリカの商船が4隻撃沈され、非戦闘員数百名の命が失われた。これによりアメリカも遂に参戦し、ヨーロッパへ兵を送った。
 そこに待っていたのは、膠着した西部戦線だ。敵味方がそれぞれ掘り進んだ塹壕が、複雑に絡み合う。そして隙があれば敵の塹壕に突入し、占領する。敵の進入を阻止するための有刺鉄線が張り巡らされ、雨水と泥にまみれた塹壕で、双方の兵士は疲弊していた。
 塹壕は敵の砲弾が着弾しにくいように、細く作られていた。また砲弾が着弾したり、敵の手榴弾が投げ込まれた場合、その被害を少しでも少なくする為にジグザグに堀り、爆風が通りにくくなっていた。
 そんな狭く複雑な構造の塹壕内での戦闘には、銃身の長い歩兵用ライフルは扱いにくい。また連射速度の遅いボルトアクションは不向きだった。そんなとき考案された兵器は、クギをたくさん打ったコン棒だった。昔話に出てくる鬼が振り回すコン棒と大して変わりはない。近代戦争の幕開けだった第一次大戦では、一方でこんな原始的戦闘がおこなわれていた。
 またファイティング・ナイフやピストルも活躍した。ピストルは狭い場所でも邪魔にならず、連射ができる。射程が短くても、接近戦なので問題はない。
 そんな西部戦線に現れたアメリカ軍は、再びショットガンを持ち込んだ。コン棒やナイフが飛び出す接近戦だ。至近距離で威力を発揮するショットガンに向いている。

 アメリカ軍は、塹壕でも使えるショットガンを考案した。ライフル並みに長い銃身をもっていては、使いにくい。そこで銃身を20インチまで切り詰めることにした。また白兵戦用に銃剣(バイヨネット)を銃身に取り付けるために、バレルジャケットと一体になったバイヨネットラグ、制式名称アタッチメント・バイヨネット・タイプWを取り付けた。装着された長い銃剣は、M1917ライフルと同じものでM1917バイヨネットだ。
 このショットガンは制式採用され、トレンチガンM1917となった。銃自体は民間用のM1897と特別な違いはなく、レシーバーは美しいブルー仕上げで、ストックも仕上げの良いウォルナット製だ。
 アメリカ軍が塹壕戦に持ち込んだショットガンは、高い成果を上げ、敵側であったドイツ軍はその有効性を恐れた。当時、ドイツの新聞は、アメリカ人は野蛮人だと書きたてた。また別の新聞は、アメリカ軍は錬度が低く、ライフルをまともに扱えないからショットガンを持つのだとした。
 第一次大戦は、航空機や戦車、軽機関銃、Uボートそして毒ガスが戦場に投入された。そこにショットガンが登場したからといって、それに過剰反応したのは実に妙だ。しかし、ヨーロッパでは、ブランダーバス(Blunderbuss)以降、ショットガンが戦場で使われることはほとんど無かった。ショットガンは小動物用の猟銃であり、それを対人用に使うことに感覚的な抵抗があったのかもしれない。
 ここでドイツ軍は思わぬ行動に出た。ショットガンを戦場で使うことは、Hague Convention(ハーグ条約)協定違反として公式に直訴した。そしてショットガン持った兵を捕虜にとった場合、即刻銃殺刑とするとした。鉛の散弾はメタルジャケット弾ではないので、1907年のハーグ条約に違反しているというわけだ。アメリカは、ハーグ条約がメタルジャケット弾のみを使用するように求めたのは、ピストルやライフルの高速弾で大きな外傷を引き起こすものにのみ適用されると反論し、アメリカの主張が認められた。そしてアメリカ軍はショットガンの戦闘での使用を継続した。
 一方ドイツ軍は戦争末期、戦場にマシンピストルを投入した。ヒューゴ・シュマイザーが開発したMP18である。塹壕戦に対するドイツの引き出したソリューションだ。1918年夏にベルグマン社で量産体制が整い、ドイツが降伏した11月11日までに約35,000挺を生産した。
 アメリカ軍が調達したM1917トレンチガンは約20,000挺であった。アメリカ軍は、ウィンチェスター社でのM1917の生産が要求数に間に合わなかった為、民間市場にあったM1897や、フィリピンで使用された後、保管されていたM1897をM1917に改造して戦場に送った。この数は5〜6,000挺にのぼる。
 軍用として使用されたM1897の話ばかりしたので、あたかもこのショットガンが軍用銃であるという印象を与えたかもしれない。しかしウィンチェスターM1897は決して軍用銃ではない。民間用のショットガンを軍が活用したというのが正しい。

 M1897 Plain Walnut Pistol Grip Stock, Vertical Grooved Slide Handle, Take Down Receiver, 12Ga. Model

 M1897には様々なバリエーションがある。それぞれTrap Gun, Pigeon Gun, Brush Gun, Tournament Gun, Riot Gun, Trench Gunといった名前がつけられた。
 銃身長は30インチバレルの12ゲージモデル、28インチバレルの12ゲージモデルと16ゲージモデル、26インチバレルの12ゲージモデルと16ゲージモデル、20インチバレルの12ゲージモデルがある。
 ストックは、ウォルナット・プレーン・ピストル・グリップ・ストック、オイルフィニッシュのチェッカード・ピストルグリップ、ストレート・プレーン・グリップ・ストック、チェッカード・ストレート・グリップ・ストック、プレーン・ウォルナット・モディファイド・ピストル・グリップ・ストック、スライドハンドルは、縦グルーヴとチェッカードの2種類だ(ピストル・グリップといっても、独立型ピストル・グリップ・ストックとは違う)。
 Pegionは鳩、Brushはやぶや雑木林を意味し、狩猟用であることが判る。Tournamentは言うまでも無く、トーナメント、選手権、勝ち抜き試合を意味するので、スポーツ用だ。
 Riotは暴動、Trenchは塹壕であり、軍警察向けの製品である。これらの名前でも容易に想像がつくようにハンティング用、スポーツ用、警察用、軍用と各分野に幅広い製品を供給した。
 M1897が登場した当初はソリッドフレームモデルのみだったが、のちにテイクダウン・レシーバーが登場した。レシーバー部で前後に分解でき、保管収納に便利な構造だ。おそらく水平二連ショットガンが、簡単に銃身と機関部を分離し、コンパクトに収納できることから、新しいスライドアクション・レピーターも同様に収納時にはコンパクト化させようと考えたのだろう。このことからも、この銃が通常のショットガンをイメージして、製造されたことが判る。テイクダウン・レシーバーはBrush Gunのバリエーションだ。

 1968年の映画“ブリット(Bullitt)”で、暗殺者が分解したM97をコートの下に隠し、取り出して瞬時に組み立て発射するシーンがあったが、実際には一瞬で組み立てられるわけではない。目的が違うのだ。
 M97にはトリガー・ディスコネクターが無い。トリガーを引いて発射した後、トリガーを引いたままフォアエンドを前後に操作し、エンプティ・シェルを排出、次のショットシェルをチャンバーに送り込むと撃発する。のちに開発されたショットガンの多くにはトリガー・ディスコネクターが装備されており、トリガーを引きっぱなしでも次弾が発射されることはない。しかしM97は、フォアグリップを前進させ、ボルトが閉じるとハンマーが再びリリースされ発射にいたる。これによってより素早く次弾を発射できる。
 狙いは不正確になるが、発射速度はわずかに上がる。連射速度ではスライドアクション・レピーターは水平二連銃に劣る。飛び去ろうとする鳥を撃つには、素早い次弾発射が必要だ。それに少しでも近づけるために、トリガー・ディスコネクターを排したのかもしれない。
 通常のスライドアクション・ショットガンは、チャンバーにライブシェルがある状態では、ボルトはロックされ、フォアアームを引くことはできない。
 これは実質的には、チャンバーのアモの有無で決まるのではなく、ハンマーがコックされているかどうかで決まる。ハンマーが落ちていれば、チャンバーにライブシェルは無いはずなので、ボルトのロックは解除され、フォアアームを引くことができる。
 しかし何らかの理由で、チャンバーのライブシェルを排出したいとき(撃とうと思って、チャンバーに送り込んだが、撃つのを止めたような場合)、ボルトのロックを解いてフォアアームを引く必要がある。そのためのロック解除スイッチはレシーバー右側面にある。グリップした手の人差し指でそのスイッチを押しながらフォアアームを引くと、ロックが解除になる。またチューブマガジンに収まったシェルを排出するためのロック解除スイッチはレシーバーの両側面にあり、それを両側から押せば、チューブマガジンの出口でシェルのリムに掛かって押さえている爪が外れて、シェルを排出することができる。
 19世紀末に登場したモデルとしては、実に完成度が高い。各スイッチの位置も理想的だ。
 但し、レシーバー後部からボルトが飛び出す構造は初期の段階の試行錯誤の製品であることを示している。エクスターナル・ハンマー・システムとの組み合わせもレバー・アクションからの流れを汲んでいる。
 このシステムの欠点はこのボルトが飛び出す部分だ。グリップした手の位置が高すぎると、このボルトで手を切る可能性がある。いや、可能性が高いというべきだろう。

 レバーアクションなら、ボルトが突き出てくるときは、レバーを下げた状態であり、右手はグリップから外れている。右手でレバー操作するからだ。ところがスライドアクションリピーターはグリップから手を外す必要がない。おまけに素早く操作しようとすれば、かなりの勢いでフォアアームを動かずので、グリップした手の位置が高いと手をザックリと切る。
 これを避けるために、ハイグリップが出来ないようなグリップストック形状とするべきだったと思う。グリップに突起があれば良い。しかしM97はそれをしなかった。
 怪我をしないように正しい位置でグリップを握れば問題ない。ハイグリップで撃つほうが悪い。少なくとも19世紀末から20世紀前半には、このような考え方が自然だったのだろう
 しかし、この銃のボルトで手を切った人はたくさんいただろう。突然、獲物が現れた、あるいは敵と遭遇した、といったシチュエーションで、素早く次弾を撃とうとして、手を切ってしまったM97のユーザーは少なくないはずだ。

 1912年、ウィンチェスターは新しいショットガン、モデル12を市場に送り込んだ。すでにブラゥニングはウィンチェスターとの契約が切れていた為、このショットガンはT.C.Johnsonがデザインしたものだ。これはインナー・ハンマー・デザインでボルトがレシーバー後方から飛び出したりすることはない。
 この時点ですでにエクスターナル・ハンマーはクラシックに属するものとなっていて、フレームは滑らかな曲線を描くストリーム・ラインが主流になりはじめた。
 しかし、M97の製造はそのまま1957年まで継続された。約60年にわたって製造が続けられたことになる。
 製造数は1,024,700挺。スライドアクション・レピーターのクラシック・モデルだが、現在でも多数のM1897が世界中の愛好者に使われている。

Nov.28, 2006
Satoshi Maoka

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