Survival Gun
1903年12月17日、ノースカロライナ州キティホークにて、ウィルバー・ライトとオービル・ライト、(すなわちライト兄弟)は人類最初の動力飛行実験を成功させた。最初の飛行は12秒、36.6mでしかなかったが、その日の4回目の飛行では59秒、260mの距離を飛んだ。
ウィルバー・ライトがキティホークの寂れた海岸に来たのは1900年9月12日、それ以降、兄弟は遠いディントンから繰り返しこの地を訪れ、実験と挫折を繰り返しなから、3年の歳月をかけてこの偉業を成し遂げた。
航空機の戦場投入
それからたった11年後、飛行機は戦場に現れた。1914年夏、セルビアでオーストラリア皇太子夫妻が暗殺されたことに端を発した戦争は、またたく間にヨーロッパに広がった。人類史上最初の世界戦争の勃発である。
この時代の飛行機は、まだ初歩的な段階から抜け切れていない不安定な乗り物でしかなかった。しかし、ドイツはこれを戦場に投入した。当初は偵察飛行に使われたに過ぎなかったが、やがて飛行機から地上への爆弾投下が始まった。
敵航空機は撃墜すべき対象になった。地上からの射撃はもちろん、飛行機同士で、ピストルやライフルで撃ちあいが始まった。やがて敵機を打ち落とすべく、機関銃が搭載されるようになった。
第一次大戦が終わり、世界に平和が戻ったのもつかの間、1930年代後半には、再び世界中で戦火が上がり、やがて人類は2度目の世界大戦を経験することになった。
さらなる発展を遂げた飛行機は、第二次世界大戦でも重要な兵器として位置付けられた。前線を越え、敵地深くに侵入した戦闘機や爆撃機が、敵機からの攻撃と地上からの砲火を浴びることは言うまでも無い。重大な損傷を受け、かろうじてパラシュートで脱出したり、不時着を余儀なくされたパイロットにとって、そこが敵地であった場合、無事に脱出して味方と合流することはたいへんな事だった。
パイロットは通常、身を守る武器としてピストルを携帯していた。しかし、第一次世界大戦以降、ピストルは戦場ではほとんど役に立たないものとなっていた。
パイロット単独、あるいは射撃手と2名程度で敵地をさまよっている時、敵と遭遇してピストルだけで戦ったとしても、ほとんど勝ち目はない。少人数の敵兵士に対し、不意討ちであればどうにかなるかもしれない。しかし航空機搭乗員にそれほどの地上戦闘能力は期待出来ないし、ライフルやマシンガンなどの強力な火器を持つ敵兵士から反撃されたらひとたまりもない。
航空機搭乗員にピストルより強力な武器を持たせることは、爆撃機のような大型航空機であれば可能だが、戦闘機の場合、大きく重い武器を搭載する余裕はない。
そして脱出したパイロットに対する脅威は、敵との遭遇だけでなく、その土地にいる危険な動物や、食料不足による餓えといったものもあった。海上であれば鮫など危険な海洋生物に襲われる可能性もある。
アメリカは、鮫対策としてパイロット達に、45ACPのショットシェルを支給した。鮫の弱点は鼻周辺でそのあたりを狙うと効果的だ。鮫を仕留めることは出来なくても、ショットシェルで鮫を傷付けることで、洋上に漂う兵士は身の安全を確保出来る。鮫が流した血に誘われ、他の鮫が傷付いた鮫に襲いかかるためだ。
しかし45ACPショットシェルの威力は弱く、少し距離があるとほとんど役に立たない。地上で食料調達をしようとしても、これではとても猟に使えない。しょせんピストル用散弾は、足元の蛇などを撃つためのものでしかなかった。
Stevens 22/410
1944年4月、陸軍直属の航空部隊US ARMY AIR FORCE (当時、まだ空軍は無かった)は脱出した航空機搭乗者のための武器をエマージェンシー・キットに追加した。それは民間市場で市販されていたスティーブンス(Stevens)22/410ライフルショットガンだ。敵と遭遇した場合の銃撃戦は完全に無視し、食料調達のための狩猟と危険な動物からの自衛を目的としている。
この銃で使うのは22LRと410スラッグ弾だ。どちらも低威力だが、弾薬が小さい為、銃声も比較的小さい。敵地で使用するには、銃声は少しでも小さいほうが居場所を特定されにくくて都合が良い。22LRは小動物を撃つのに都合が良いし、大型の動物にはスラッグ弾を撃ちこむというわけだ。用意された22LRは狩猟を想定したホローポイント弾だった。
しかしホローポイント弾を戦場に持ち込むことは、別の意味で危険なことである。
1907年のハーグ条約(Hague Convention IV)添付条約(Annex to the convention) 第23条(Article 23)には次のように印されている。
In addition to the prohibitions provided by special Conventions, it is especially forbidden
To employ poison or poisoned weapons;
To kill or wound treacherously individuals belonging to the hostile nation or army;
To kill or wound an enemy who, having laid down his arms, or having no longer means of defence has surrendered at discretion;
To declare that no quarter will be given;
To employ arms, projectiles, or material calculated to cause unnecessary suffering;
To make improper use of a flag of truce, of the national flag or of the military insignia and uniform of the enemy, as well as the distinctive badges of the Geneva Convention;
To destroy or seize the enemy's property, unless such destruction or seizure be imperatively demanded by the necessities of war;
To declare abolished, suspended, or inadmissible in a court of law the rights and actions of the nationals of the hostile party. A belligerent is likewise forbidden to compel the nationals of the hostile party to take part in the operations of war directed against their own country, even if they were in the belligerent's service before the commencement of the war.
ここには別に、ホローポイントがいけないとは明確に取り決められてはいない。しかしこのハーグ条約を受けて、各国の軍隊が導入したものがフルメタルジャケット(FMJ)弾だ。メタルジャケットにより標的にあたった弾丸が断片化されることを防ぐ。それで敵兵士に不必要な苦痛を与えることが無いようにしている。
軍法務部長は、このスティーブンス22/410用のホローポイント弾は、敵兵士を銃撃することが目的ではなく、小動物捕獲用ならびに危険な動物の攻撃から身を守るためのものであると判断した。しかし、敵がそのように判断するという保証はない。この銃と弾薬を所持していて捕虜になった兵士は、ハーグ条約違反として不当な扱いを受ける可能性があるとアメリカ軍法務部長は指摘した。
陸軍直属航空部隊(USAAF)は、直ちに22LRホローポイント弾薬の回収を命じた。代わりに支給されたものはFMJの22LR(Cartridge Ball Caliber 22 Long Rifle)弾薬(制式名称: M24)と、これに合わせて7-1/2の410ショットシェルが追加されてきた。飛ぶ鳥を撃って当てるのは、スラッグ弾では不可能に近い。そこで散弾も使用されるようになった。
スティーブンス 22/410はUSAAFにより1万挺が導入された。これはアメリカ軍が最初に採用したサバイバルガンとなった。
スティーブンス22/410ショットガンは1938年(39年という説もある)に市販が始まった。これは通常のブレイクオープン・シングルバレル・ショットガンの機能に加えて、銃身の上に極めて細い22口径のライフルバレルを載せた民生用コンビネーション・ガンだ。重量は2.95kg、トップレバーを右、もしくは左に操作すると銃身をブレイクすることが出来るのは通常のショットガンと同様だ。ハンマー露出式となっており、射撃するたびに指で起こす必要がある。セレクターレバーはレシーバー右側面にあって、上下の銃身のどちらを撃つかを選択できる。
スティーブンスは1920年、サベージに買収された。しかしその後も、独立した1部門としてスティーブンスの名前は継続して使用された。1950年、スティーブンスはNo.22-410の製造を中止し、その後,サベージがModel 24として生産を引き継いだ。
1959年には22LRではなく22WMRと410の組み合わせたモデルを発表した。また1962年、セレクターをハンマーに組み込む改良をおこなった。指でハンマーを起こすとき、そのセレクターを同時に操作しようというわけだ。
アメリカ陸軍直属航空部隊(USAAF)は、スティーブンス22/410コンビネーション・ライフルショットガンを採用したものの、一般の狩猟銃と大きさはあまり違いはなく、大き過ぎて小型の戦闘機に搭載することは容易ではなかった。戦闘機のパイロット達は従来通り、コルトM1911A1をサバイバルツールとして使用し続けた。しかし、もし45口径ショットシェルの射的距離さえ伸ばせたならば、これで食料調達もできるかもしれない。
コルトの45口径銃身を外し、代わりにもっと長いバレルを組み込めば、ショットシェルの射程を伸ばすことが出来る。
陸軍直属航空部隊(USAAF)は、様々なバレルを試した結果、10インチのスムースボア・バレルを採用した。ピストルで撃つ散弾の射程距離は僅かだが、食料調達の手段として、多少の役に立つ。また地域によっては危険な小動物もいるので、それらを撃つことも出来る。
この決定は1945年9月であり、既に第二次世界大戦は終了していた。製造したのはモスバーグ(OF. Mossberg & Sons, Inc.)だ。
アメリカ軍戦闘機がアジアのジャングル上空で、日本軍の攻撃を受けて墜落するようなことは、もはや無い。したがってこのモスバーグのサバイバル用バレルは実際に使われることは無かった。
M4
1947年、陸軍直属航空部隊は正式にアメリカ合衆国空軍として認定された。空軍は引き続きサバイバル・ツールとしてスティーブンス22/410を装備していた。しかし、1949年、Burton T. Miller少佐(後に大佐)が中心となって、より実用的なものを求める動きが始まった。

開発名T-38, 設定させたスペックは、重量は4ポンド(1.82kg)未満、ボルトアクション、着脱式4連マガジン、伸縮式ワイヤーストック、着脱式14インチバレル。スティーブンスの特徴であった.410の発射機能は盛り込まれていない。
スティーブンスの22LR では、あまりにも非力である。T-38ではセンターファイアであることが求められた。最終的に選択されたのは22Hornetだ。22Hornetは1920年代に開発された小動物用小口径カートリッジで、40gr.の弾を2700fps, 648ft.lbsで撃つ。軍用として考えた場合、その威力は不十分だが22LRよりはるかにパワフルだ。
1950年、完成したライフルはM4 Survival Rifleと名づけられた。重量は1.7kg(3.75ポンド)、ワイヤーストックを短くすると全長は35.6cmになる。小口径ボルトアクション・ライフルのバレルド・アクションに最小限度のフレームと、ワイヤーを曲げただけのスケルトン・ピストルグリップが付いて、同じくワイヤーを曲げて作ったリトラクタブル・ストックが組み合わさったものだ。
粗末な作りで使いやすい銃ではない。しかし緊急事態用として考えれば、使いやすさはある程度、犠牲になっても仕方が無い。スティーブンス22/410よりだいぶ強化されてはいるが、4連発のボルトアクションでは、戦闘用としてみるとかなり心許ない。第二次大戦後、各国の軍がボルトアクション・ライフルによる武装をやめて、セミオートマチック、さらにはフルオートマチックが可能なアサルトライフルを装備する方向に切り換わりつつあった時代だ。
製造がはじまった1950年は、ちょうど朝鮮戦争が勃発した年だ。サバイバルガンの需要は大いに高まり、ハーリントン&リチャードソン(Harrington&Richardson)によって29,000挺以上が製造された。
しかし小口径センターファイア・ライフルとなったM4では、やはりサバイバルガンとして不十分であるという意見も出た。スティーブンス同様に410のショット・シェルと、センターファイア・ライフル弾を撃てて、かつ小型軽量化したものが求められた。
M6
この開発モデルにはT-39というコードナンバーが付けられた。スティーブンスのような通常型ショットガン形状ではどうしても大きくなってしまう。T-39はスティーブンスと同様、ライフルバレルと410ショットガンバレルを上下に並べたコンビネーション・ガンとして設計されたが、一番の違いは、完全に2つに折れるということだ。チャンバーの付け根の部分、下側を軸として、銃身部分がストック下部に完全に折りたためる。この状態で全長はわずか355mmとなる。

これがM6だ。試作品30挺はハーリントン&リチャードソン(H&R)によって作られたが、その後、イサカ(Ithaca)が製造権を勝ち取り66,000挺以上が作られた。
この銃は22Hornettと410のショットシェルを組み合わせたものだ。スチールプレスで作られたストックのチークピース部分を開けると、そこには予備の弾薬を収納出来るようになっている。ストックのグリップ部に突起があり、これがトリガーだ。トリガー・ガードはない。
ハンマーが露出したシングルアクションで、ハンマーの上部に上下の銃身のどちらから発射するかを選択するセレクターがある。
このM6サバイバルガンが採用されてから約30年後の1981年、スプリングフィールド・アーモリー(Springfield Armory)はM6スカウト(M6 Scout)ライフルを民間市場に向けて販売を開始した。M6スカウトはミリタリー・オリジナルのままではない。オリジナルの14インチバレルでは法的な規制を受けるため、18インチとした。また安全対策としてトリガー・ガードが追加された。22 Hornettに加えて、22LRと410を組み合わせたモデルもある。着脱式ピボットピンにより収納時に分解も出来るようになった。折りたたんだ状態で19インチ、伸ばすと32インチとなる。パーカーライズド・フィニッシュに加え、現在はステンレスモデルもある。
MA-1(AR-5)
話を1950年代に戻そう。空軍のサバイバルガンはM4, M6の完成で終わることは無かった。
ロッキード社(Lockheed Aircraft Corporation)の主席特許顧問のジョージ・サリバン(George Sullivan)は、軽合金とプラスチックが新しい銃のマテリアルとして多用される日が来ると確信していた。フェアチャイルド社の統合幹部ポール・S・クリ―ブランド(Paul S. Cleaveland)とサリバンは、新しい銃器素材のことで意気投合し、それがフェアチャイルドの社長リチャード・S・ブーテェル(Richard S. Boutelle)に伝わった。これがきっかけとして、1954年10月1日、航空機産業のフェアチャイルド社(Fairchild Engine and Airplane)の一事業部として、アーマライト(Armalite)・デヴィジョンが設立されたのである。
アメリカ空軍のBurton T. Miller大佐はM4サバイバルライフルに満足してなかった。もっと使いやすく、もっと小型軽量なモデルを求め、改めてトライアルを行うことを決めた。アーマライトデヴィジョンはまず民間市場に向けて新しいマテリアルを多用した軽量ライフルを投入し、その後、軍用ライフルへ進出する計画だったが、このアメリカ空軍サバイバルライフル・トライアルという絶好の機会が目の前に現れたことでその方針を転換する。
1955年、アーマライトよりAR-5と呼ばれる試作品が提出された。22ホーネットを使用するボルトアクションで着脱式14インチバレルを備えている。重量はわずか2-1/2ポンド、アルミのレシーバーとステンレススチールライナーのアルミバレルが使用されていることでこれだけの軽量化が達成された。

M4のような粗末なワイヤーストックではなく、グラスファイバーストックが付いている。このストック内にバレル、レシーバーを分解して収納することで、AR-5は保管時にはストックのみの状態になった。そして驚くべきことは、この状態でAR-5は水に浮くのだ。
実際問題、水に浮かなくてはいけないという状況は少ないだろうが、脱出が海上であるケースを考えれば、水に浮くということのメリットは無いわけではない。
1957年AR-5はアメリカ空軍のテストを経てAR-5Aとなり、制式名称MA-1を獲得した。M4、M6に続くサバイバル・ライフルだ。
この時代は冷戦の真っ只中である。米ソの対立は直接戦争を避けながら、多くの地域で限定的な代理戦争が繰り返されていた。航空機が発明されてわずか半世紀、航空機による戦闘、爆撃の時代から、ミサイル(核ミサイルを含む)による大規模攻撃に当時の戦略は転換しつつあった。
当時の軍関係者の多くは、やがて有人航空機は過去のものとなるという近未来予測を持っていた。この予測は現在に至ってもまだ達成されていないが、当時はまもなく、戦闘機や爆撃機に人間が乗って戦う時代が終わると考えられていた。航空機が無人になれば、敵制圧地域や未開のジャングルでパイロットが遭難する事は無くなる。
そうなれば、サバイバルライフルは必要でなくなる。それまでの間、すでに保有しているM4, M6を使えばよく、新たにAR-5Aを購入する必要はないだろう。当時の軍関係者はこのように思った。その結果、MA-1という制式名称を受けたにも関わらす、USAFが購入したMA-1はごくわずかであった。
AR-5Aは量産されることなく終わってしまったが、分解してバレルとレシーバーをバットストックに収めることの出来るコンセプトを埋もらせてしまうのは惜しい。2年後の1959年、アーマライトはAR-5Aを民間用に手直しして、AR-7 Explorerとして市場に送り込んだ。
IMP
1960年代後半、ベトナム戦争の激化は、サバイバルライフルのあり方を大きく変えた。敵制圧地域内で、猟をして食料を調達するといったのんびりとしたサバイバルなど、この地域ではあり得ない。
ジャングルの中、敵の目から逃れつつ、友軍の制圧地域まで移動する。アサルトライフルで武装した北ベトナム軍やゲリラと遭遇する可能性も高い。そんなときM4やM6では真っ当に戦うことが出来ない。MA-1でも同じだ。ピストルがもっとも戦闘的な武器だが、コルトM1911A1ピストル、S&W M39ピストルやスナッブノーズリボルバーではAK-47アサルトライフルを相手にする場合、とても勝負にならない。
必要なものはアサルトライフルにも対抗出来るパワフルな武器だ。アメリカ戦略空軍(SAC)は、航空機搭乗員サバイバル用の戦闘的サバイバルウェポンの開発に着手した。
そこでライフル・サブマシンガンと呼ばれる新しいカテゴリーの兵器が発案された。ライフル・サブ・マシンガンは、開発当初IMP(Individual Multi Purpose)ウエポンというプロジェクト名称が与えられた。


サブマシンガンという名称はあるものの、ピストル弾を使用するものでは無い。当初使用弾は.17口径として試作が開始されたが, まもなく.221Fire Ballに変更された。そしてコルト社が軍の要求に基づき、試作品を数挺完成させたところで、開発は中止となってしまった。
構造的には、トリガーとグリップがレシーバーおよびマガジンより前にあるブルパップ形式となっている。肩当てして撃つのではなく、レシーバーを腕の上に載せて撃つという独特のスタイルが考案された。レシーバーとグリップは左右45度回転し、角度を変えることが出来るため、射撃姿勢は自由度が高い。左右どちらの手からでも撃てる。
最終的にアメリカ軍の航空機パイロットの非常脱出用の武装として選択され航空機に搭載されたのは、一般的な軍制式弾薬を使用するM16ライフルを短く切り詰めて完成されたサバイバル・ガンだった。このサバイバル・ガンは、座席の下に収納されて航空機に搭載され、パイロットが非常脱出の際に座席とともに射出された。この切り詰め型M16はいくつかの種類がある。
軍用として採用されなかったライフル・サブ・マシンガンIMPだが、後の兵器に少なからぬ影響を残した。このライフルとサブ・マシンガンの中間的な兵器というアイデアが受け継がれ、後のFN社のP90サブ・マシンガンなどへとつながってゆくことになる。
ライフル・サブ・マシンガンは、軍に採用されなかったものの、その後より一般的な5.56mm×45弾薬を使用するように改造が加えられて、単純化されてセミ・オートマチックのみに限定された製品が、アメリカでブッシュマスターの商品名で量産されて市販された。
IMP以降、アメリカは純然たる新規製作による航空機搭乗員用サバイバルウェポンは開発されていない。20世紀末期、敵制圧地域上空で脱出した航空機搭乗員を迅速に発見し回収する装備は既に実用化されている。
動物を撃って食料としながら敵地を彷徨う事も、また不完全な武装で敵と交戦することなく、航空機搭乗員は速やかに救出されていく。
そこにはもはやサバイバル・ウェポンの出る幕はない。
Satoshi Maoka
Dec.16, 2004
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