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Streamlined Hsc 流線型HSc
July 31, 2006 掲載
マゥザー(Mauser)はセミオートマチック・ピストル開発の歴史に大きな足跡を残したメーカーのひとつだ。まだセミオートマチック・ピストルの明確な形態が定まらない1895年に開発されたC96ピストルは、トリガー前方にマガジンを配置し、クリップを使用して弾薬を装填するライフルの機関部に近いレイアウトで作られた。
着脱式ボックス・マガジンを使用しなかった理由は、ボルヒャルド(Borchardt)ピストルが着脱式ボックス・マガジンのパテントを申請してしまったためであるが、このパテントはその後、成立しなかった。だから、マウザーは、C96を着脱式ボックス・マガジン形式に切り替えることもできたわけだが、C96とその発展型は、1932年のM712 シュネールフォイヤー(Schnellfeuer)が登場するまでクリップ装填方式を維持した(セミオートカービンとしたM1917ではボックス・マガジン化した例がある)。

C96は一般にマゥザー・ミリタリー・ピストル、またはブルームハンドル(Broom Handle)・ピストルと呼ばれ、中国やイランで数多く使われた他、本国ドイツでも第一次大戦中にパラベラム・ピストルの不足を補う形で軍に採用された。しかし全体的に大きく重く、バランスが悪いため、軍用銃として成功したモデルとはいえない。
ショートバレルや装弾数削減といった小型軽量化が図られたが、基本的構成を変更することはなかったため、それには限界があった。19世紀末にセミオートマチック・ピストルの形状がグリップ部分にマガジンを内蔵する形に定まってくると、前方配置型マガジンのC96ピストルはデザイン的に古臭いものとなってきた。
1908年、ドイツ軍制式ピストルとしてパラベリューム・ピストルP-08が選定されたが、マゥザー社はC96ピストルが採用されることを目指していた。しかし独特な形状から、制式採用は無理であることは、マゥザー社も予測していただろう。
すでに1900年頃から、もっと小型で使いやすいセミオートマチックに研究が進められていた。M1906/08と呼ばれるモデルが試作されたのは1900年代前半のことだ。このモデルはデタッチャブル・マガジンとなっているが、そのレイアウトにおいては、依然としてC96ピストルの流れを継承している。結局、このモデルは試作に終わったが、それとは別に9mmパラベラムを使用する通常型セミオート.マチック・ピストルの開発がおこなわれた。
この時、マゥザー社が目指していたのは、9mmパラベラムでありながら、シンプルなブローバック式のセミオートマチックだった。しかし9mmパラベラム発射時のプレッシャーに、ロッキング機構の無い状態では安全な射撃は難しい。
9mmパラベラム仕様のモデルが登場するより早く、25ACPのセミオートマチック・ピストルが開発された。それがMauser M1910だ。このモデルは25口径のピストルとしては、比較的大きな部類に入る。
M1910は市場からは予想以上の反響を受け、販売台数も伸びた。遅れてMauser M1912/14という9mmパラベラム・ピストルが登場した。単なるブローバックではなく、 hesitation blowbackと呼ばれる遅動式メカニズムを内蔵している。しかしこのモデルはごく少数が製造されただけに留まった。
そして1914年にはM1910の口径を32ACPに拡大した改良型M1914が登場した。 M1910,M1914(M1912/14も含む)は今日的視点から見た場合、非常に古臭い形状をしている。当時においても、ベルギーのFN M1910などと比較すると、お世辞にも洗練されているとは言えなかっただろう。しかし銃としての工作精度や仕上げの面でマゥザーも大いに魅力があった。
マゥザーM1910及びマゥザーM1914は、大きさ、外見などがわずかに異なるものの,基本的に同型のメカニズムで設計されている。

ストライカー方式のシングル・アクションで、トリガーの後方,グリップ上部にマニュアル・セフティ(手動安全装置)がある。このマニュアル・セフティは,レバーを押し下げるとセフティがロックされる。セフティの下にある丸いボタンが,セフティ・キャッチ・リリース・ボタン、すなわちセフティ解除ボタンだ。このボタンを押すと、スプリング・ロードのセフティ・レバーが上昇し、安全が解除される。単純なレバーの上下動でセフティ・コントロールするのではなく、プッシュボタンによる解除が、マゥザーポケットピストルの特徴の一つだ。
スライド・ストップはマガジンでコントロールする。マガジン内の最終弾が発射されると,スライドはマガジン・フォロアーにより直接オープン・ポジションでホールドされる。通常であれば、マガジン・フォロアーが別部品であるスライド・ストップを押し上げて、スライドをホールドする。
しかしマゥザーはマガジン・フォロアーが直接スライドの動きを止める。マガジン・フォロアーによる直接的なスライド・ホールド・オープン・メカニズムの場合、給弾の為にマガジンを抜くと、スライドは前進閉鎖してしまうという問題があった。しかしマゥザーは、マガジンを抜くと今度はホールド・オープン・キャッチが作動して、スライドを開放状態のまま保持するようにした。
そして新たなマガジンを挿入すれば(弾の有無は関係ない。マガジンの抜き差しで作動する)、ホールド・オープン・キャッチが外れてスライドは閉鎖し、マガジンに入っている第1弾をチャンバーに送り込む。
このマガジンを入れるだけで、スライドが自動閉鎖する機能を持つセミオートは非常に稀だ。
第一次世界大戦終結後、ドイツはベルサイユ条約の制約下に置かれ、軍用小火器の生産に制限が加えられた。しかしマゥザーM1910,M1914は対象外の為、製造が再開された。
しかし1929年、ワルサーがモデルPPを開発、販売を開始するとマウザーM1914は急速に旧式化してしまった。PPはスマートな外観を持つと同時に、ダブルアクション・トリガーとそれを活かすための徹底した安全機構を持っていた。当時のセミオートは、通常はチャンバーを空の状態にしておき、発射する際にはスライドを引いて第一弾をチャンバーに送り込む動作が必要だった。
スライド操作は一瞬にしておこなえるが、この動作は両手を使う必要がある。片手が塞がった状態では射撃体勢に入れない。状況によってこれは致命的だといえる。しかし当時はそれが大きな問題にはなっていなかった。
しかしモデルPPはこの事態を解決すべく、常にチャンバーに第一弾をロードして携帯することができるようになっている。セフティ・レバーを操作すると、ファイアリング・ピンがロックされ、コックされていたハンマーが前進する。しかしファイアリング・ピンを叩く直前にハンマーブロックが作動してハンマーは固定される。ブロックによってハンマーは前進を阻まれている為、この状態ではハンマーがファイアリング・ピンを叩くことはあり得ない。
従来では考えられなかったような徹底した安全機構を装備することで、モデルPPはチャンバーに第一弾をロードしていても安全に携帯することができる。
発射するには、セフティレバーを解除し、ダブルアクションでトリガーを引くか、あるいは指でハンマーを起こしてシングルアクション・トリガーとする選択肢がある。トリガーを引き切ることで、ハンマーブロックはその機能を止め、発射することができる。
さらにはチャンバーロード・インジケーターを持ち、第一弾がチャンバーに送り込まれているかどうかが外から見ても判断できるようになっている。
モデルPPは当時のエポックメーカーだった。このモデルの登場で従来のセミオートは急速に旧式化し始めた。
1931年には、バレルとスライド・カバー、グリップフレームを短くしたKruzモデルPPKが登場し、ワルサーモデルPPおよびPPKはドイツ警察が採用し始めた。もっとも急速にPP, PPKに切り替えが進んだわけではない。ドイツ警察はそれまで使用してきた様々なモデルも平行して使用し続けた。
ワルサーの躍進を決定付けたのは、急速に台頭したナチ党の標準ピストルとして採用された時かもしれない。ワルサーはこれをきっかけとして、ナチスドイツと共に発展を始めた。いや、PP, PPKの開発の背景にはナチ党関係者からのアドバイスがあった可能性もある。
マゥザーもM1914を改良、グリップ部に丸みを持たせて握りやすさを向上させたM1934を登場させたが、ワルサーPP,PPKと比べるといかにも旧式という感じは否めない。
ナチ党は、急拡大を遂げ、ワルサーPP,PPKが行き渡らないといった状況に陥った。即応性に高いダブルアクションメカニズムと高い安全性を有する小型ピストルであれば、特にワルサーにこだわる必要はなかった。しかし現実にはワルサー以外にそれに該当するモデルは存在しなかった。
ナチ党はその条件を満たす製品を他社も製造するように働きかけた。それに対応したのが、ザウエル&ゾーンでありマゥザーだ。32ACPのダブルアクション・セミオートマチックとしてザウエル&ゾーンはModel 38、マゥザーはHSピストルを開発した。
ザウエル&ゾーンもマゥザーもワルサーPP, PPKのストレートコピーを作ろうとはせず、独自のアレンジをおこなった。メーカーとしてのプライドがあったのだろう。ダブルアクション・セミオートのあるべき形を独自に模索し、開発に時間を掛けた。

Mauser HSc 戦中モデル 仕上げはかなりラフだ。戦後モデルとの明確な違いは、仕上げの他、グリップ・パネルのチェッカリング形状にある。
HSとはHahn Selbspannungの略で英語で表現するとSelf Cocking Hammer, すなわちダブルアクションを意味する。1937年に最初の試作品HSaが完成した。その後、HSbと試作を重ねて最終形であるHScが完成したのは1940年のことだ。
マゥザーの作ったダブルアクション32ACPセミオートマチックは、従来のM1934とは全く異なるデザインとなった。PP,PPKに負けないような新しいデザインを目指したのだろう。全体を流れるような流線型とした。
もっとも顕著な特徴は、マズルからつながるトリガーガードの形状だ。斜めの直線でトリガーガードをきれいな三角形にまとめ上げた。
ハンマー・スパーは露出しているもののハンマー自体はほとんどスライド・カバーに隠れてみえない。コックした場合もダウンした場合も同様だ。フロントサイトはスライド上面の溝の中にある。リアサイトも小さいものがスライド上面にあるだけだ。セフティレバーの位置はワルサーに近いが、レバーは小さい。
そしてスライドのセレーションを斜めにし、スライドカバーの後端の角度も全体が流れるようなデザインとなるようにまとめ上げられている。
完全なスナッグプルーフ・デザインだ。銃をホルスターから抜く際に、何かに引っかかる恐れはほとんど無い。
しかしスナッグプルーフにこだわったその結果、全体的に多少太り気味のイメージを作り上げてしまった。銃を握った手の親指でハンマーを起こしやすくすると同時に、ハンマーの大半の部分をスライド・カバーに収めるという難題を解決するために、ハンマーの回転軸は低い位置に移された。そのためフレーム後端が厚ぼったくなりグリップの位置が低くなった。バレルの軸線とグリップの位置は近いほうが良い。そのほうが反動で跳ね上がる量を小さくでき、エイミング・リカバリーが速い。その点ではHScは不利なデザインとなった。もっとも32ACPであるため、リコイルはさほど大きくなく、あまり重要な問題ではない。しかしこのハンマーの位置とハンマーをカバーするデザインのため、フレーム後部の軽快感は損なわれた。
同様に特徴的なトリガーガードの巨大な三角形も、容積的に大きなスペースを確保している。
実際にはこの三角形の内部には、フレームとバレル、スライドを固定するテイクダウンラッチが収められており、単なる飾りではない。
しかしこれらを組み合わせた結果、ワルサーPP,PPKより全体的にファットなイメージとなった。しかし見る角度によっては、非常の洗練された美しさが出る。微妙なデザインだ。
セフティ・メカニズムはワルサーと大きく異なる。ワルサーはレバーを操作することでファイアリングピンを固定、そしてハンマーをデコッキングさせる。さらにはトリガーとハンマーのコネクションを絶ち、ハンマーは前進位置からそれ以上に前に進まないようブロックを掛ける。
マゥザーもセフティレバーの位置はワルサーと概ね同じだ。しかしレバーを操作しても、デコッキング機能はない。レバーを回転させると、ファイアリングピンの位置がハンマーの打撃面から外れる。これではハンマーが落ちても、もはや撃発する可能性はない。
セフティレバーを操作して、ファイアリングピンをずらした後、トリガーを引いてハンマーを落とす。すると、セフティレバーをoffの位置にしない限り、ハンマーはもう起こすことはできない。
これでワルサーと同等の安全レベルを確保する。ワルサーの方が操作方法はシンプルだし洗練されていると言える。しかし、マゥザーとしては意地でも同じセフティ・メカニズムを踏襲したくなかったのだろう。
スライド・ストップ・メカニズムはM1910から継承されたものだ。マガジンを入れれば自動的にスライドはリリースされる。
マニュアル・セフティをonにしてテイクダウン・ラッチを押し下げれば、スライドは簡単に分離する。ラッチを押し下げてスライドアッセンブリーを少し前に移動させるだけだ。ここまで簡単にスライド・カバーを外さねばならない理由はほとんど無いが、新しい時代のセミオートの形を模索した結果だろう。全体的な流線型デザインと共に新鮮な印象を見る者に与える。
そして内部パーツの多くがプレス加工で作られていることも見逃せない。スライドやフレームはスチールの削り出しだが、プレス加工パーツを取り入れたことは、量産性を上げるためであった。
HScの完成した1940年、すでにヨーロッパは戦争状態であった。銃の量産性は戦時中において重要な要件だ。HScはコマーシャル・マーケットに一部流れたが、生産されたものの大半は軍と警察に納められた。特にドイツ空軍に多数納入された。
すでにPP,PPKが登場して12年、HScはPPKとの距離を完全に埋めることはできなかったが、ドイツ敗戦までの間、約225,000挺が製造された。1935年以降、ドイツ軍、警察、ナチ党向けに製造されたワルサーPP, PPKの総数は約350,000-挺だ。先行したPP, PPKと比べると、225,000-挺という数字は決して少なくない。
戦後、連合軍によりマゥザーの工場は爆破され、その再建の道は険しいものとなった。多くのエンジニアが流出したが、それでもマゥザーは復活した。しかし、マゥザーにいたエンジニアを数多く擁しているHeckler & KochはHScの改良モデルHK4を完成させていた。
HK4の販売にあたってはマゥザーとの間で法廷闘争が展開された。しかし結局、HK4は販売を開始した。あらゆる面をみても改良型HK4のほうが優れている。1968年、マゥザーはHK4を追うようにHSc戦後版を発売したが、これはグリップパネルのチェッカリングパターンが多少、変っているだけでほぼ戦前戦中型のHScの復刻版だ。市場にはずっと早くに再建されたワルサーからPP,PPKが供給されている。戦後型HScはそれらのモデルに狭間にあって大きく浮かび上がることはできなかった。
戦後型Mauser HSc, “Original MAUSER”の刻印は“本家マゥザー”という意味だ。箱にも本体スライドにも記されている。マガジンボトムのフィンガー・スパーも戦後型の特徴だ。アメリカへの供給はInterarmsがおこなった。 Interarms社も既に無い。
マゥザーは戦後.オリジナルデザインのピストルを完成させることは無かった。同時期に市場に送り込まれたパラベラム(Parabellum)ピストルも、ルガー人気にあやかってスイスで製造されたパーツを組み立てたものに過ぎない。
HScも製造はイタリアに移管された。のちに多弾数化したHSc Superはイタリア・レナード・ガンバ製のオリジナルだ。コルト・ディデクティブをコピーしたリボルバーもマゥザーの名が冠されていたが、これも製造はレナード・ガンバだ。
1970年代のドイツ警察ピストル・トライアルで、マゥザーが提出したHsPが早期敗退してしまったことは、マゥザーからピストルの新規開発意欲を完全に失わせることになった。20世紀末に唐突に登場したマゥザーM2はもはやOriginal Mauserとはいえない。マゥザー・ブランドを利用しただけだ。すなわちHscがマゥザーによって開発生産された最後のセミオートマチック・ピストルであると言うことができる。
ピストルの世界では、このような徹底した流線型を求める風潮はその後、生まれなかった。もちろんスナッグ・プルーフはポケットピストルにおいては重要なことだ。しかし、HScのデザインは、とにかく流線型にすることを主眼においていたように見える。
これは平時に設計されたものではない。ヨーロッパが戦争に向かう大きな流れの中で作られたものだ。完成したときは、すでに戦争状態だった。ここまで徹底してデザインを重視したピストルが,そのような時代に開発されたことは特筆に値する。
反面、イタリアン・デザインのような華やかさは感じることはできない。線の硬さ、というものだろうか。ゲルマン民族の感覚が流線型の中に見えていることがとても面白い。武器を見るとその民族が見えてくる。
July 31, 2006
Satoshi Maoka
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