ブースロイドのお見立て  Recommendation by Boothroyd
                                            2006年12月31日掲載

 ジェイムズ・ボンドの物語のファンであったジェフリー・ブースロイド(Geoffrey Boothroyd)は、ジェィムズ・ボンド小説の作者であるイアン・フレミング(Ian Fleming)に手紙を書いた。
“ジェイムズ・“ボンドの物語は素晴らしい。但し、ボンドの銃の選択はおかしい。”という趣旨の手紙だ。1956年のことである。
 これは一種のファンレターだが、ボンドの愛用する25口径ベレッタはパワー不足であるとして、ボンドが選ぶべき銃について、詳細に解説したものだ。
 これをきっかけにして、イアン・フレミングとジェフリー・ブースロイドは往復書簡を交わすようになった。銃に関して知識の乏しかったフレミングが、ブースロイドに銃について質問し、ブースロイドがそれに答えるという形である。
 ブースロイドの存在がなければ、ジェームズ・ボンドは25口径ベレッタのグリップにテープを巻いた、“taped Beretta”を最後まで愛用していたのかもしれない。
 2006年1月1日, Shooting Tipsでは“Taped Beretta & Walther PPK James Bond. A Report”と題し、イアン・フレミングが書いたジェイムズ・ボンド小説の銃について、詳細に解説した。
 その中で、“Dr. NO”の原作の冒頭、ボンドが愛用のベレッタを上司であるMに取り上げられ、兵器係のブースロイド少佐が推奨するワルサー(Walther)PPKとS&W センティニアル・エアウェイト(Centennial Airweight)を渡されるシーンについては、特に入念に書いた。
 そのときの私の推測は, いくつかの点で間違っていたことがその後、判明した。その訂正補足の意味を込めて、今回の“ブースロイドのお見立て”を書くことにした。1年前とは、違った形で、ボンドの銃について、分析してみようと思う。
 銃に疎いフレミングに、銃関係の情報を吹き込み、小説にまで“兵器係ブースロイド少佐”として登場した(映画では後に“Q”と呼ばれる人物に変貌した)、ジェフリー・ブースロイドなる人物は、いったい何者か。当時はグラスゴーに住む、 単なる“お節介な”銃愛好家だと思っていたが、この人物は素人ではなかった。
 偶然にも、私はブースロイドが書いた本を、ある場所で見つけてしまった。英国の古いショットガンについて詳細に述べている本である。ジェフリー・ブースロイドは英国のGun enthusiast、すなわち銃器研究家であった。
 その著作は、“Shotguns and Gunsmith”, “The British Over and Under Shotgun”, “Sidelocks & Boxlocks:The Classic British Shotguns”, “The Shotgun: History and Development”, “The Handgun”などがある。
 古いショットガンについて書かれたものが多い。銃以外の分野について書いたものもあるようだが、そちらの方は良く判らない。発行から50年を経た現在も再版が出ているようだ。
 以下、実在のジェフリー・ブースロイドに関しては、“ブースロイド氏”とし、小説および映画に登場したブースロイドは“ブースロイド少佐”と記述する。
 ブースロイド氏は、フレミングに最初に送った手紙の中で、ベレッタ25口径はreally a lady’s gunだと言い切っている。小説“Dr. NO”に登場するブースロイド少佐も、Mから、“First of all, what do you think of the Beretta, the .25?”と問われ、“Ladies’ gun, sir.”と答えている。
 25口径オートマチックを女性用と断定する感覚はあまり適切ではないと思うが、ボンドのようなダブルオー・ナンバーを持つ男、すなわち任務であれば、殺人も許される立場にある者が選ぶ銃としては相応しくない、という意見には同感だ。
 ブースロイド氏がフレミングへの最初の手紙で、ボンドの銃としてお奨めしたのは、S&W 38Specialセンティニアル・エアウェイトだ。これならマンストッピング・パワーがあるという。ハンマー内蔵なので服に引っ掛かったりしない。弾を装填した状態でも17オンスで軽い。全長は6 1/2インチ。銃身長は2インチだが、sawn offではないという。sawn offとはsawed off(切り詰め銃身)の英国流表現だ。

写真はCentinneal Airweightではなく、ステンレスのM640だ。当時のCentinnealはブルー仕上げ、グリップ後部にグリップ・セフティがあり、ラッチは薄い洗濯板型のものが付いている。Centinneal Airweightの画像は2006年1月1日の James Bond. A Reportに載せてあるので、ご参照頂きたい。

 手紙は、素人に説いて聞かせるような表現で書かれている。ボンドはコルト・ディテクティブ・スペシャル(Detective Special)を敵から奪って使ったり、ユニバーサル貿易の地下射撃場で、ディテクティブを使って訓練もしている。まさかフレミングがいくら銃オンチだったとしても、2インチのスナッブノーズ・リボルバーを知らないはずはない。
 38Specialはブースロイド氏によると、extremely accurate cartridge(究極の高精度弾薬)だそうだ。そして銃口初速は700ft/sec.、銃口エネルギーは200ft/lbs.だという。一方、ベレッタは758fts.の銃口初速だが、銃口エネルギーはわずか67ft/lbs.しかないという。
 さらに車にはもっと強力な銃を装備したほうが良いと進言している。当時、ボンドの車には、コルトM1911A1が装備されていた。どうやら45ACPではダメだということらしい。
 ボンドが車に装備すべき銃は、ブースロイド氏によれば、S&W 357Magnumだという。44Magnumほどのパワーは無いが、銃身長の選択は3 1/2インチ, 5インチ、6インチ、6 1/2インチ,8 3/8インチがある。6 1/2インチで銃口初速は1,300fps, 銃口エネルギーは600ft/lbsであると説明し、パワーがあることを強調した。この銃は300ヤードから撃っても効果があるし、20ヤードからのグループは1インチ以下だという。
    

 この2丁を装備すれば、クイックドロウにもまたロングレンジにも対処できるとしている。
ブースロイド氏はホルスターの重要性についても語っている。センティニアル・エアウェイトを薦めたと同時に、バーンズマーティン・トリプルドロゥ・ホルスター(Berns-Martin Triple Draw Holster)の“ライトニング(Lightning)”が良いとしている、スプリング内蔵型でベルトに装着、もしくはハーネスを使用してショルダー・ホルスターにもなる。ブースロイド氏は様々なホルスターを使用した経験から、これが一番であると結論に至ったようだ。
 そして銃の抜き方まで伝授した。
 右腰のベルトに装着した場合、まず左足に体重を移す。手で上着を払いのけ、そのままグリップを握る。人差し指はホルスターの外側に沿わせ、ホルスターのフロントを割るように銃を抜く。
 このホルスターはいわゆるブレイク・フロント・オープンというわけだ。この抜き方だと3/5秒で20フィート先の敵を撃てるという。
 ショルダー・ホルスターとして使用する場合、アップサイドダウンで左脇に吊る。グリップが真下に来る。しかし、スプリングのテンションで銃は落ちない。
 上着を左手で払い、右手で銃のグリップを握る。人指し指はホルスターの外側の沿わせ、そして一気に銃を抜く。
 アップサイド・ダウンの状態から左手で銃を抜くこともできる。左手で上着を払いながら、グリップを掴み、右に押し出すようにして銃を抜く。
 さらに銃を右腰に装着した状態から左手で銃を抜く手法も伝授している。人指し指と中指でグリップを掴み、薬指と小指はトリガーを引く為に待機させる。銃を逆さまの状態で抜き、薬指と小指でトリガーを引くのだという。
 これを実行するには、トリガーガードをカットしてしまうことが理想なのだそうだ。
 ここまでを一気に、最初の手紙で書いている。遠慮なし、いささか(かなり?)失礼、且つ大胆な提案だ。会ったこともない人気のある小説家に向かって、ここまで大胆な提言をするとは良い度胸だ。
 しかし、イアン・フレミングは喜んで返事を書いた。往復書簡が始まった後、ブースロイド氏は、バーンズマーティン・トリプルドロゥ・ホルスターがどんなホルスターか確認したければ、テキサス州のS.D.Myers Saddle Co.からカタログを貰うことを提案し、住所を教えている。また、このホルスターを考案したミシシッピ州に住むJack Martinは、ホンモノのガンスリンガーだと言っている。
 ボンドの使うchamois(シャモア)革のホルスターは、素早い抜き撃ちをしなければならないときには、神様の助けが必要だという。シャモアとはヨーロッパの野性ヤギだ。革が軟らかく、抜き撃ちには不向きだ。
 本当にヤギ革のホルスターがあるのかどうかは判らない。ボンドにオシャレなイメージを与えたくて、フレミングはシャモア革のホルスターとしたのかもしれない。
 ファンという立場で、愛すべきヒーローの銃を提案し、作家がそれに前向きに乗っているという構図は、ファンにとって嬉しいことだろう。いささか子供じみているようにも思うが。ブースロイド氏の年齢は不明だが、イアン・フレミングとおそらく同年代で、往復書簡はブースロイド氏にとって、とても楽しいものであったに違いない。
 ブースロイド氏はスメルシュの銃についても提言している。スメルシュ(SMERSH)とは、ソ連に実在した公式な殺人機関で、ボンド小説の初期において、敵として登場していた。1955年の時点で40,000人もの職員がいたといわれている。SMERSHは”Smiert Spionam” を意味し、これを英語にすると、”Death to Spies(スパイに死を)”となる。
 ブースロイド氏は、スメルッシュが、ルガーの長銃身モデルにストックを付けたものを中距離射撃で使用した実績があると手紙で述べている。何か絵に書いたような話ではある。
 事実なのか、ブースロイド氏の妄想なのか判らないが、事実であった可能性はある。
 20世紀後半の東西冷戦は、2つの異なったイデオロギーがぶつかり合い、お互いの勢力圏の拡大を目指して、熾烈な戦いが繰り広げられた。
 双方が世界を何十回も滅亡させるに足る核兵器を保有し、実際、核ミサイルが発射寸前までいった一触即発の危機もあった。
 米ソが全面的に戦う戦争はおこらなかったが、代理戦争の戦場で,その地に住む罪の無い人々に数々の悲劇がもたらされた。
 そんな冷戦時代にあって、エスピオナージの世界には、ある種のファンタジーがあったようだ。Fantasy, すなわち幻想だ。60年代から70年代に様々なスパイ小説や映画が作られたが、そこには様々な小道具があしらわれていた。超小型カメラ、盗聴器、偽装銃、無線機、暗号解読器、情報伝達のテクニック、青酸カプセル、自白薬、…
 作り話の世界でのみ存在するもののあっただろうが、現実にも存在したものも多い。スパイ戦における道具は、スパイはこうあるべきというイメージに裏付けられ、双方がある種の約束事に基づいて動いていた。国境地帯での捕虜交換などはその一例だ。なんでもあり、の世界ではなく、ある種の秩序があった。それが現代のイスラム原理主義との戦いとは大きく違う。冷たい戦争を戦うスパイ達は、心の中でどこかその戦いを楽しんでいた可能性がある。フレミングの描いたボンドの物語も、そんなファンタジーから生まれたものだ。
 スメルシュのメンバーがコートの中に忍ばせた長銃身のルガーを取り出し、ストックをはめ込んで、タンジェントサイトを距離に合わせ、西側のスパイに狙いを定める。トリガーを引くかどうかは、状況次第だ。そんなシーンがどこかで現実にあったのだろう。
 ブースロイド氏はスメルシュが使用した、あるいは使用するであろうモデルをいくつも挙げた。ラドムP35, ラハティ(Lahti)、トカレフ、コルト・ポケット・モデルM、ワルサーP38…携帯性を求めたらワルサーPPKやマゥザーHScがあるという。


 今後のストーリーでは、ボンドと戦うスメルシュのエージェントに、これらを持たせろというわけだ。スメルシュと戦うボンド中佐は、トリガーガードを切ったS&Wリボルバーを使う。すなわち、この時点でワルサーは敵の装備として、推奨されていたわけだ。
 ブースロイド氏は書簡の中で、1948年U.S.Army Ordnance Corpsが行った精度、耐久性を含めたテストについて言及している。ブースロイド氏がスメルシュ用に推奨したモデル、パラベラムP-08、ラドム35、コルト9mmコマンダー、ラハティ, トカレフ、P-38, PPK, HSc、ザウアー(Sauer)38H,がテストされ、それに加えてM1911A1, 14年式が評価対象であると延べている。当時の主だったモデルをテストしたものだろう。ブラゥニング ハイパワーについて、ブースロイド氏は言及していないが、おそらく書き忘れたのだろう。
 そのテスト結果が妙だ。何と精度に関しては南部が一番だと書いている。2番がトカレフ、3位はザウアーだそうだ。どんなテストだったにしろ、これはおかしい。南部にそんな素晴らしい精度は無い。トカレフも同様だ。3位がザウアーの小型ピストルというところもおかしい。至近距離ならともかく、25ydも離れたら、ザウアー38Hの出番は無い。
 U.S.A.F.のF.S.Allen大佐がこのテストの結果について語っていると、ブースロイド氏は書いている。これはO.C.Testというものだそうだ。Ordnance CorpsでO.C.なのだろう。U,S.Armyのテストについて、U.S.A.F.が語るという部分が引っ掛かる。いすれにしてもAllen大佐は、緊急時の自衛用武器としては、38Specialの軽量モデルが一番だという結論を語ったということだ。ブースロイド氏も同感だという。確かに、米軍パイロットなどは自衛用として、コルトコブラ等の38Specialリボルバーをショルダーホルスター等で携帯しているケースが多い。
 陸軍はこんなテストをおこなったが、38Specialのリボルバーを候補に入れていないのでは、まっとうな結果にはならない。そう言いたいのかもしれない。


 このO.C.testの結果について書いたブースロイド氏の手紙の内容が、Dr.NOの冒頭、ボンドに新しいピストルを推奨する兵器係のブースロイド少佐の言葉として展開された。
 1年前、私はJames Bond. A Reportを書いたとき、小説の中でブースロイド少佐の挙げた候補がおかしいと書いた。
 ボンドの新しい小型ピストルを選定する際、ブースロイド少佐は、トカレフ、南部、ザウアー38H、PPKを候補として挙げた。どう考えてもおかしい。性格の異なるものばかりで、携帯性重視の小型ピストルの選定にトカレフや南部が候補となる事自体、妙だ。この候補選定は、銃を知らない=銃オンチのフレミングが勝手に挙げたものだろうと1年前の私は推測した。しかし、ブースロイド氏がフレミングに送った手紙に、このO.C.Testの結果が書かれていることから、なぜこのような候補が挙げられたのかが判ったような気がする。この手紙の記述を使ったのだ。
 1位の南部、2位のトカレフ。テストで優秀な結果が出たなら、それは良い銃に違いないとフレミングは考えた。但し、銃オンチのフレミングも、南部の弾は手に入りにくいことは知っていた。トカレフもだ。それに極東の敗戦国や、冷戦時代の敵国の銃を英国秘密情報部ダブルオー課のエースに持たせるのは、やめようというわけだ。
 とにかくこのブースロイド氏の手紙を見て、あのDr.NOの中で掲げられた候補銃についての長年の疑問が解けたように思う。
 ブースロイド氏はリボルバーの信者だったようだ。実際に愛用しているという銃がフレミングのもとに届けられ、1957年発刊のジェイムズ・ボンド長編第5作 “From Russia with Love(ロシアから愛をこめて)”の表紙のイラストになった。
 ブースロイド氏の銃は、S&WのKフレーム、38Specialで銃身を2 3/4インチにカット、ランプフロントサイトを取り付け直したものだ。トリガーガードはカットされ、トリガーに簡単に指が届く。

 “From Russia with Love”初版を探し、その表紙の画像を初めて見たとき(入手はできなかったが、現物を見ることはできた)、このイラストはバランスがおかしいと思った。フロントサイトが大きすぎる。しかし実物の画像を見ると、やはりフロントサイトがかなり大きいことが判った。グリップはスムーズウッドで、ハンマーとトリガーにはエンジンターン加工が施されている。
 ここに載せた画像は、S&Wのミリタリー&ポリスの画像を加工したものだ。Adobe Photoshopで銃身をカット、フロントサイトを移動させ、トリガーガードをカット、グリップの形状を修正したものだ。ブースロイド・スペシャルに似たものができたと思う。しかし、ハンマーとトリガーのエンジンターン加工は見送った。現物のグリップはもっとキレイなものだ。概ねのイメージとして、捉えて頂きたい。
 素早くトリガーに指がアクセスできるように、トリガーガードを切り落とす加工は、かつていくつかのカスタムモデルでみたことがある。しかし、現実問題として、これはお勧めできないように思う。
 危険なのは、ホルスターに戻す瞬間だ。勢いよく戻したとき、うっかりホルスターの縁にトリガーがぶつかると、ダブルアクションでトリガーを引いてしまうかもしれない。結果は自分の足を撃ち抜くか、お尻の肉が削がれる。そんな失態を演じてしまいかねない危険な改造だ。
 かつて銃のプロフェッショナルは、セミオートではなくリボルバーを選ぶ、と言われたことがある。1950年当時を思えば、これはあながち間違いではないといえる。
 セミオートはスマートでカッコいいし、装弾数も多い、再装填も素早くできる。しかし、初弾を撃つスピードは、当時であれば、リボルバーが勝るし(今は違う)、弾さえ装填してあれば、トリガーを引くだけで確実に撃てる。オートマチックは、どのコンディションで持ち運ぶか選択肢が多い。セフティ解除や、ハンマーコック、スライド操作といった撃つ前の儀式がいろいろ選べるとなると操作ミスを起こす可能性がある。
 その点、ダブルアクション・リボルバーはトリガーを引くだけだ。セミオートにはジャムという不確定要素もある。そう考えれば、プロフェッショナルはリボルバーという考えは理解できる。
 現代ではリボルバーはほぼセミオートに駆逐されたといって良い。それはセミオートの信頼性が上がり、ダブルアクションやマニュアル・セフティ・レスが普及したからだ。しかし1950年中期であれば、事情は違う。ダブルアクション・セミオートは、一連のドイツ製品しかなかった。アメリカ最初のダブルアクション・セミオートであるS&WのM39は1956年に登場した。
 リボルバー党であるブースロイド氏の進言で、ボンドの銃はそのままS&Wセンティニアル・トリガーガードカットダウン・モデルになったとしたら、ジェイムズ・ボンドのイメージはかなり変わっていたかもしれない。
 当然、映画のショーン・コネリー・ボンドも、センティニアルだ。
 ブースロイド氏センティニアルを強く推していたにも係らず、ボンドの銃としてPPKが浮上した理由は、明確ではない。ただ、フレミングはサイレンサーにこだわり、ブースロイド氏は、サイレンサーを付けることはお勧めできないと答えている。同時にシリンダーギャップがあるリボルバーでは、サイレンサーは意味を成さないとも言っている。
 やはりサイレンサーがPPKを浮上させる最大の要因だったと思う。
 フレミングはブースロイド氏の進言したセンティニアルを無視することはしなかった。トリガーガードこそノーマルのままであったが、小説に登場するブースロイド少佐は、ボンドにPPKと共にセンティニアルを渡している。
 車に装備する357マグナムは出てこない。実際問題、Dr.NO以降、ボンドが自分の車を現場に持ち込むことは無かった(“サンダーボール作戦”の前半、ロンドン市内を走行中、襲撃を受けたことはある。このときは通勤時だ)。
 センティニアルはDr.NOでこそ使用されたが、その後の小説には一度も登場しなかった。PPKとセンティニアル、この2丁は性格が近く、両方を使い分ける意味はあまり無い。
 銃オンチのフレミングは、遠射用としてセンティニアルを登場させた。2インチのスナッブノーズで遠距離射撃というのは、どう考えても無理がある。
 一般的にサイレンサーを装着する場合、セミオートのバレルを延長、スライドから露出させた部分の外周にネジ山を切ったスレッデッド・バレル(threaded barrel)とし、その上でサイレンサーを取り付けることになる。もし本格的にサイレンサーを使用するなら、そういった部分にも凝って貰いたかった。スライドからバレルが露出し、外周にねじ山のあるPPKだ。そして映画版も同様にしたとしたら、その後の他の映画に登場するサイレンサーも同様の流れができただろう。007はスパイ映画の草分けであり、そういった部分にも影響力があったはずだ。しかし現在でもほとんどの映画は、銃身内にネジ山がある銃しか出てこない。
 映画の007は盛んにサイレンサーを使用したが、フレミングの小説では、PPK採用後、サイレンサーは一度も登場しなかった。テープド・ベレッタの時代には、サイレンサーを使用している。サイレンサーを荷物に入れる際、歯磨きチューブに偽装するといったシーンもあった。
 フレミングとしては、サイレンサーを使用するためにブースロイド氏一押しのセンティニアルではなく、PPKとしたのだろう。しかし、その配慮も結果的には意味は無かった。

 PPKに切り替わった後、ボンドがピストルを本格的に使用する機会は非常に少なかった。結果論ではセンティニアルを採用しても、全く問題は無かった。
 もしフレミングがブースロイド氏の進言そのままセンティニアルを採用していたら、映画版の007もセンティニアルを使用した可能性が高い。
 Dr.NOの冒頭、Mに呼びつけられ、ベレッタからS&Wへ交換させられるわけだ。バーンズマーティンホルスターに、アップサイドでリボルバーをぶち込んだボンドが、ブースロイド氏の進言に従って、クイックドロウを見せる。それもトリガーガードを切り落としたものだ。右手を負傷したボンドが左手で右腰からセンティニアルを抜き、逆さまの状態で敵を撃つ。車には357マグナムの6インチリボルバーを装備し、PPKを持ったソ連のKGBと戦う。
 なんとも異質なジェイムズ・ボンドの世界が展開されたかもしれない。
 実際には、映画のボンドはずっとPPKだった。7.65mmなど時代遅れといわれるようになっても、PPKを使い続けた。1983年、ワルサーP5に乗り換えたかのように見えたが(“Never Say Never Again”, “Octopussy”)、その後、PPKに戻った。結局、1997年、“Tomorrow Never Dies”になってついにP99に切り替えた。時代に流れに遅ればせながら、乗ったわけだ。

 映画“カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)”2006 で新時代のボンド・ストーリーが始まったわけだが、PPK再登場の噂があったらしい。でも結局はP99が使用された。但し、宣伝用ポスターでは、PPKを持っているものがある。
 もし映画の世界もセンティニアルだったら、1997年まで、センティニアルを使い続けたかどうか疑問だ。もっと早い段階でグロック19あたりに切り替わっていたかもしれない。スナッグ・プルーフされたセンティニアルからの切り替えなら、同様にスナッグ・プルーフされたグロックがお似合いだ。

 1952年、S&Wは最小のJフレームモデル、チーフ・スペシャル(Chief’s Special)をハンマーレスにし、グリップ・セフティを追加した製品を登場させた。S&W社の100周年を記念し、このモデルはセンティニアルと名付けられた。これは1887年に登場したトップブレークの小型ハンマーレス・リボルバー、S&W セフティ・ハンマーレス(Safety Hammerless)、別名レモン・スクイーザー(Lemonsqueezers)を彷彿させる製品だった。
 続いてアルミニューム・フレームを用いた軽量化モデルが登場し、センティニアル・エアウェイトとなった。
 1957年、S&Wは増え続けるモデルに個別の名称を付けることが難しくなったのか、全てのモデルにナンバーの呼称を付けた。センティニアルはModel 40, センティニアル・エアウェイトはModel 42と割り振られた。
 記念すべき100周年モデルではあったが、ダブルアクションしか使用できないModel 40, 42は人気がなく1974年にはカタログから消えてしまった。
 S&Wセンティニアル・エアウェイトはジェイムズ・ボンドの愛用銃となるはずだったモデルだ。もし映画のボンドがセンティニアル・エアウェイトを手に活躍していたら、このリボルバーはもっと人気が出て、製造中止になることはなかったかもしれない。
 一説には、映画007でワルサーPPKの人気は一気に上昇したと言われている。アメリカでは、そのような事実は無いが、おそらくヨーロッパではPPKの人気を上昇させる大きな原動力となったのだろう。逆に使用を中止させられたベレッタは、ネガティブなイメージを与えられた。
 映画“ダーティ・ハリー”で、それまではマイナー・モデルだったS&W M29および44Magnnumがアメリカ市場で大いに脚光を浴びたという例もある。
 映画の持つ影響力は決して低いものではない。だからジェイムス・ボンドがS&Wセンティニアルを愛用していたら、センティニアルの人気はもっと上がっていたはずだ。そして他メーカーからも、同種のハンマーレス・モデルが登場していたかもしれない。
 1990年、コンシールド・キャリーガンとしてのM40, 42が注目され、ステンレス化されて再登場となった。その際、グリップセフティは不要として取り去られ、モデルナンバーは3桁のM640となった。エアウェイトモデルは、ブルーのModel 442, ステンレスとアルミニュームのModel 642, Jフレームにも関わらず357Magnum化させたModel 640-1が製品化された。
 さらにタイタニウムやスキャンディウムを用いた製品として、342Ti, 340Sc, 340PDがある。

 現在リボルバーは公的機関の法執行官の武器としては、ほとんど第一線を退いている。しかしJフレームだけは、そのコンパクトさを生かし、バックアップガンとして生き残っている。
 1956年に軽量、コンパクトな銃を欲していたジェイムズ・ポンドに対し、S&Wセンティニアル・エアウェイトを提案したジェフリー・ブースロイド氏の “お見立て”は、かなり的確かつ先進的だったというわけだ。

Dec.31, 2006
Satoshi Maoka

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