| Polish Radom VIS Wz.35 ポーランド軍制式拳銃ラドム VIS Wz.35 by Satoshi Maoka, Photo by 床井雅美
Poland 1939 ポーランド1939年
1938年3月、ドイツはボスニアを併合、中欧での膨張政策を開始した。同年10月、チェコスロバキアのズデーテン地方を併合、1939年3月、ボヘミア、モラヴィアを併合し、チェコスロバキアを保護国とした。次の狙いはポーランドである。第一次大戦で失った領土の回復は、ヒトラーが絶対達成しなければならない目標だった。
しかしポーランドはイギリス、フランスと相互援助条約を結んでいた。ドイツのポーランド侵攻は、イギリス、フランスと戦争になることを意味する。
1942年になればドイツは戦争の準備が完了する。イギリス、フランスとの戦争は、その後にしたい。ドイツはイタリアと手を結ぼうとしていたが、さらに日本も巻き込みたかった。日本の海軍力が味方に付けば、イギリス、フランスを牽制出来る。ポーランドに侵攻したドイツに対し、イギリス、フランスは黙って見ている事しか出来なくなるだろう。日独伊三国同盟はドイツにとって、そういう目的があった。

ポーランド軍ラドム VIS Wz.35刻印、中央はポーランドの国章である王冠を頂いた白鷲。これはポーランド王国の独立と統一を示したもので1919年に定められた。
1939年4月、ヒトラーは“白号作戦”ポーランド侵攻計画を発動した。8月下旬、遅くとも9月上旬にはポーランドに侵攻する。それまでに日本との軍事同盟を締結しなければならない。
しかし日本にとってドイツと手を結ぶことは、ヨーロッパの戦争に巻き込まれることを意味する。イギリス、フランスとの戦争は、やがて眠れる獅子、アメリカと戦うことになる。日本は既に中国との戦争が進行している。満州国国境ではモンゴル共和国と地域紛争が続いている。これは日本とソ連との紛争だ。そんな日本にとって、さらに米英仏と戦う余力など全く無い。
日本海軍はドイツとの軍事同盟に絶対反対だった。米英仏と戦うとき、その兵力の中心は日本海軍となる。しかし、海軍にはアメリカと戦って勝てる見込みなど無いことが判っていた。
一方、日本陸軍はこの提案に積極的だった。ドイツと手を結べば、ソ連を背後から牽制する。これによって、ソ連からの攻撃の心配なしに、その時進行中だった中国との戦争に全兵力を投入出来ると考えた。
当時のマスメディアも、ドイツとの同盟推進を大々的に謳った。中国天津での反日テロ事件で、イギリス租界がテロリストの拠点になっていたこともあり、日本国民には反英意識が高まっていた。その裏返しが親ドイツ感情につながる。国民は日独伊三国同盟を熱望した。それは世界と戦争をすることを意味するとは知らずに。
陸軍はさまざまな手で同盟締結に向けて動いたが、海軍と天皇は絶対反対の立場を崩さず、議論は平行線をたどった。
ドイツのポーランド侵攻には日独伊三国同盟が不可欠だ。しかし日本は結論を出せずにいる。
ヒトラーはそんな煮え切らない日本の態度に愛想を尽かしかけていた。
同時にヒトラーは、イギリス、フランスがソ連と同盟を結ぶことを非常に恐れていた。1939年4月、ソ連のスターリンはイギリス、フランスに相互安全保障のための提案を持ちかけた。ドイツにとって、ソ連はまだ敵に回すわけにはいかない相手だ。イギリス、フランス、ソ連による包囲はドイツの敗北を意味する。
だがイギリスは、ソ連との同盟には否定的だった。同盟を結べば、共産主義勢力の西ヨーロッパ進出につながりかねない。
ドイツ総統ヒトラーはソ連首相スターリンへ接近した。ソ連がイギリス、フランスと同盟を結ぶことを阻止するために。日本はもうあてにならない。ドイツがソ連と手を組べば、日独伊三国同盟など無くても、イギリス、フランスは戦意を喪失するだろう。これでポーランドへ侵攻出来る。
ドイツのソ連接近を知った日本は、大きな衝撃を受けた。あれほど共産主義を敵視していたヒトラーがソ連と手を結ぶ。そんなことがあるわけはない。
しかし、長い鎖国の後、世界政治の舞台に突然踊り出たヒヨコのような日本には、ヨーロッパ各国の複雑な駆け引きは、理解のレベルを超えていた。
ソ連の立場から見た場合、イギリス、フランスと同盟を結ぶ事は、ソ連がドイツ、日本と同時に戦うことを意味する。いつかドイツとは戦うことになるにしても、ソ連としては、まだ先に延ばしておきたい。革命後のソ連の軍備はまだ十分ではなく、特に空軍力はドイツに大きく劣っている。
またソ連がヨーロッパとアジアで同時に戦争を遂行することは、戦力を分散することになり、どうしても避けなければならない。ソ連がイギリス、フランスに接近する素振りを見せれば、ドイツは焦り、ソ連に接近するだろう。スターリンはこう読んだ。そしてその通りになった。ヒトラーは餌に食いついたのだ。
1939年5月、ドイツはまずイタリアと軍事同盟“鉄鋼同盟”を結んだ。ヒトラーは日本と同盟を結ぶことに、もはや見切りをつけようとしていた。諦めたわけではないが、日本の煮え切らない態度に失望していた。
鉄鋼同盟の成立はイギリスにとって衝撃を与えた。イギリスのチェンバレン首相は、ソ連との同盟に向けて重い腰をあげようとしていた。
同年8月、ドイツはソ連との間にある諸問題について、解決の用意があることをモスクワに通告した。そしてヒトラーは、ドイツが他国と結んだ反コミンテルン協定の撤回と、ポーランドとバルト海諸国でのソ連の権益の尊重を約束した。
しかし、スターリンはイギリス、フランスとの同盟締結に向けて動くふりをした。ドイツから最大限の譲歩を引き出すためだ。
ヒトラーも、そんなスターリンの目論見は判っていた。しかし、今は相手の手に乗って踊らざるを得ない。いずれソ連とは戦うことになるだろう。しかし、今はポーランドが欲しいのだ。
遠く極東では、関東軍がソ連軍と満州モンゴル国境ノモンハンで激しい戦闘を繰り広げている。帝国陸軍大本営はソ連との国境紛争が拡大すことがないよう、関東軍に指示を出していた。しかし、中国大陸駐留の関東軍はそれに従わず、ノモンハンでの戦闘を拡大させた。その行動は、結果としてスターリンをヒトラーに接近させる後押しとなった。
ソ連がイギリス、フランスと手を結んでも、ヨーロッパでの戦争に巻き込まれるに過ぎない。東からは日本がうるさく攻撃を仕掛けてくる。それに比べ、ソ連がドイツと手を結べば、ポーランド及びバルト諸国から物質的利益を得られる。その上、ヨーロッパでの戦争に、ひとまず中立の立場をとることが出来る。ソ連はまだ戦争を始めるほど国力がない。
スターリンはイギリス、フランスとの交渉を長引かせて置いて、裏ではヒトラーの呼びかけに答えた。
8月19日、ドイツとソ連の不可侵条約締結は確実となった。これでヨーロッパでの戦争にソ連が巻き込まれることはない。このことを確信したスターリンは、ノモンハンで関東軍へ総攻撃を開始した。
それまでソ連は、この国境紛争が日本とソ連の全面戦争に発展してしまうことを恐れていた。しかし、ヨーロッパ戦争にソ連が巻き込まれる心配が無くなった今、大胆に敵、関東軍を殲滅することが出来る。
ソ連が日本に送り込んだスパイ、ゾルゲは、帝国陸軍大本営が、ソ連との国境紛争を全面戦争に発展させる意図はないという情報を本国に送った。ソ連もまた日本と、まだ本格的に戦争を始めるつもりはない。
ゾルゲの情報はスターリンを大胆にした。ここで関東軍を思い切り叩いておこう。思い上がった日本に、ソ連と戦うことの恐ろしさを教えることが出来る。
8月23日、独ソ不可侵条約がモスクワで調印された。これはイギリス、フランスに大きな衝撃を与えたものの、両国のポーランドへの姿勢を変えさせることは無かった。
ヒトラーの読みは外れた。しかし、もう後には引けない。ドイツはポーランドに進行する。それでイギリス、フランスと戦争になっても構わない。
ヒトラーとスターリン、20世紀の生んだ2人の怪物が手を結ぶことで、世界は一気に戦争に向かって転げ落ちていった。
9月1日、ついにドイツ軍はポーランドに侵攻した。その数150万、機甲部隊を先頭に進撃するドイツ軍にポーランド軍は次々撃破されていった。
9月3日、イギリス、フランスはドイツに対し戦線布告した。しかし両国にはポーランドを救うことは出来なかった。ルーズベルト大統領は、アメリカがヨーロッパ戦線で中立の立場をとることを表明した。
ソ連はノモンハンで関東軍を撃破、国境線から追い出し、9月16日、日本と停戦協定を結んだ。そして十分な戦力を整え、9月17日、ポーランドに侵攻した。
9月27日、ワルシャワはドイツおよびソ連により陥落した。
Radom VIS wz1935 ラドム
1930年代、ポーランド軍の制式軍用ピストル・トライアルが進められていた。ワルシャワのパンストボォビィッチ・ボイトボォルニアッチ・ウツブロヘニア(PWU)の技術者、ピオトール・ビィルニエブツィックは、1930年、PWU モデルWzor1928ピストルを設計し、図面を軍制式ピストル・トライアルに提出した。
その後、ヤン・スコルツィピンスキーが協力、ピオトール・ビィルニエブツィックと共に開発を続けた。
独自設計のピストルを目指すほど、ポーランドに時間の余裕は無かった。ヨーロッパの緊張は既に高まりつつあったからだ。ビィルニエブツィックは、当時もっとも完成度の高いセミオートマチックピストルとして、J.M.ブラゥニング設計のコルト モデルM1911A1ピストルを選び、これを元にしてポーランド軍のピストルを設計していった。

左:ポーランド軍制式ピストル VIS Wz.35, 中:ドイツ占領下で生産されたP35(p), 右:戦時省力化モデルGrade 3
基本構造はM1911A1ピストルそのものだ。当時、ヨーロッパで一般的になりつつあった9mmパラベラム弾を使用するために、45ACPを使用するM1911A1よりスリム化されている。
スライドの形状とフレームの組み合わせ、スライドストップのデザイン、トリガー形状と、グリップ・セフティ、ハンマースプリング・ハウジング、ファイアリングピン、エキストラクター、マガジン・キャッチ、セフティメカニズム、ほとんどの部分はM1911A1のコピーといっても良い。
フレーム下部がスカートのように広がっており、M1911A1と違った印象を与える。グリップのバレルに対するアングルはより垂直に近くなり、マガジンからチャンバーへのローディングはより容易になった。
スライド後部はM1911A1より延長され、ハンマーダウン時にその側面をより多く覆う形状になっている。またハンマースパーは丸いソリッド形状になっている。
ショートリコイル・バレルのティルト方式はM1911A1のリンク方式ではなく、バレル下部の傾斜によりティルトする方式に改められた。このデザインは、1927年のブラゥニング・パテントPAT.1618510に明確に図示されている。ビィルニエブツィックがそれを見て、コピーした可能性は高い。
リコイルスプリングのガイドピンは長く、バレル先端部まで延びている。この部分はコルト モデルM1911A1やブラゥニングのパテント図とは異なる。しかし、ガイドピンの長いモデルは、すでに市場の存在していた。たとえばビィルニエブツィックが所属するパンストボォビィッチ・ボイトボォルニアッチ・ウツブロヘニア(PWU)が、チェコスロヴァキアから輸入していたCz24ピストルもロングリコイルスプリング・ガイドピンを採用していた。
ラドム・ピストルはこの時点では、ほとんどオリジナルといえるべき特徴がない。だが使用する弾丸はオリジナルとなる予定だった。ビィルニエブツィックは9mmパラベラムではなく、それを元にした9mmパラベラム・ポーリッシュを使うつもりだった。しかし、9mmパラベラムがヨーロッパで広く普及していたことから、オリジナル弾薬の使用を断念している。
ビィルニエブツィック(Wilniewczyc)とスコルツィピンスキー(Skrzypinski)の名前を組み合わせ、間に“&”を意味する“I”を置いて、WISがこのピストルの名前になるはずだった。しかしWの発音はVに近く、またVISとはラテン語のPowerを意味することから、このピストルはVISと呼ばれるようになった。
試作ピストルVIS wz1930が完成、軍の採用に向けて1932年、ポーランド軍のトライアルが行われた。その結果、安全に関わる操作性向上の要求から、コルトM1911A1と同型のサム・セフティを廃し、スライド左側にデコッキング・レバーが装着されるようになった。
コックされたハンマーを、安全に前進させるためだ。これなら従来のモデルのように、ハンマーを指でおさえながらトリガーを引き、注意深く前進させるといった手順なしに、レバーを押し下げるだけで、ファイアリング・ピンを保持してハンマーを前進させられる。1929年に開発されたワルサーモデルPPピストルがこの形式のデコッキング・レバーを持っている。内部構造は異なるが、操作性は同じだ。
サム・セフティは分解用のスライドストップ・レバーにその役目が変わった。しかし、従来とほぼ同じ場所にあることから、このVIS ピストルはデコッキング・レバーとサム・セフティがそれぞれ独立して付けられていると思われがちだ。しかし、このサム・セフティのような形のスライド・ストップ・レバーはセフティとしての機能はない。
ダブル・アクション・トリガー・メカニズムの採用も検討されたが、結局見送られた。軍用ピストルはあまり速射性を求められてはいない。ダブル・アクションとすることで、構造を複雑にすることより、M1911A1ピストルからコピーしたシンプルな構造を維持するほうが得策と判断された。
1933年、ポーランド政府はPWUから、このピストルの生産権を買い取った。さらなる改良が加えられ1935年、ポーランド軍制式ピストルVIS wz1935が制式に採用された。
ラドム造兵廠が量産を開始、スライド左側面にF.B.RADOM, その下に製造年、続いてポーランド国章、VIS-wz35, そしてPat.Nr.15567と刻印されている。グリップには逆三角形の中にFBとある。
1935年に量産が始まったが、本格的な量産が開始されたのは1937年になってからだ。この時期、ドイツとポーランドの間は緊張が高まり、ラドム造兵廠はVIS wz1935ピストルの量産を急ぐようになった。
当初、着脱式ショルダー・ストックも合わせて制式採用し、組み合わせて使うことを想定していたが、ショルダー・ストックを生産する余裕はなく、少数が試作されたに留まった。
VIS wz1935ピストルは、ポーランド初の自国設計の軍用ピストルであったが、ポーランドのための量産期間は短かった。1939年、ポーランドに侵攻したドイツ軍はラドム造兵廠を接収してしまう。それまでに製造されたVIS wz1935ピストルは約50,000挺だった。

ドイツ占領下で作られたWIS Mod.35 P35(p), 鷲とWaA77のヴッフェンアムト刻印がある。ポーランド王国の紋章は無くなった。
ポーランドの西半分を占領したドイツ(東はソ連が占領)は、接収したラドム造兵廠で、ドイツ軍向けにVIS wz1935ピストルを製造させた。戦線を拡大していくドイツ軍は兵器生産が需要に追いつけず、ピストルも不足していた。VIS wz1935ピストルが、ドイツ軍のモデルP-38ピストルやP-08ピストルと同じ9mmパラベラムを使用することも、ドイツ軍にとって好都合であった。ドイツはこのVIS wz1935をP35(p)として、準制式ピストルに採用、生産を継続させた。
ポーランドを守るために作られたピストルが、占領軍の兵器として使われる。なんとも皮肉な結果だ。ラドム兵器廠には、オーストリアのシュタイアー(Steyr)から技術者と検査官が送り込まれた。
ポーランド侵攻で密約を交わしたヒトラーとスターリンであったが、やがて両国間で戦争がはじまった。連合軍側にたったソ連は、東部戦線を突破、ドイツに侵攻した。
戦況が悪化する中でドイツは、1944年に準制式ピストルP35(p)の量産性を上げる為の改造を行った。分解用スライド・キャッチ・レバーを省略し、代わってハンマー・デコッキング・レバーで分解時のスライド固定を行うものとなった。ベークライト製グリップは原材料の不足の為、木製グリップに変えられ、表面処理はパーカーライジングとなった。

戦時省力型(Grade 3) VIS Mod.35 P35(p)刻印。簡略化したWaA77刻印があると同時に、鷲とWaA623刻印も見える。これはオーストリア シュタイアーで作られたパーツであることを示している。
東部戦線を突破したソ連軍が迫る中、1944年オーストリアのステイアーにP35(p)の生産設備をすべて移管した。P35(p)の刻印はなくなり、シュタイアーを意味するBNZの刻印となった。
第二次世界大戦におけるヨーロッパの戦闘は、ドイツの敗戦で終結した。ウィーンは一時、アメリカ軍が占領し、その時、アメリカは数多くのラドム・ピストルを入手した。しかしウィーンはその後、ソ連の占領地域となった。
ポーランドはソ連軍の支配下に置かれ、戦後、東側社会主義国家としての道を歩み始めた。ラドム兵器廠はモデルVIS wz1935ピストルの生産再開をすることなく、トカレフのコピー・ピストルを製造しはじめた。これはモデル ピストレットTTピストルと呼ばれ、ポーランド軍の軍用ピストルとして採用された。グリップパネルには、ラドム兵器廠を示す逆三角形にFBの文字を組み合わせたマークがある。
その後、製造されたモデルP64ピストルは、ソ連のマカロフ・ピストルに対応するポーランドの製品だ。ブルガリアや東ドイツ、中国などはマカロフ・ピストルをそのままコピーしたものを自国で生産したが、ポーランドは独自のモデルを1964年に開発した。ベースとなったモデルは、ワルサー モデルPPピストルだ。セフティの操作性なども、マカロフ・ピストルよりワルサー モデルPPピストルに近い。使用する弾丸は、ワルシャワパクトのスタンダードである9mm×18だ。
その後、ラドムはモデルP64ピストルの生産性を向上させたモデルP83バナド(Vanad)ピストルを生産、さらに社会主義政権崩壊直前、モデルP83ピストルの改良型モデルP93ピストルが完成した。
ラドムピストルVIS wz1935は戦後ワルシャワパクトの中では忘れ去られたが、西側では1950年代に注目を集めた。アメリカ軍の新型制式ピストル・トライアルでのことだ。
アメリカは第二次世界大戦中、ヨーロッパ戦線で多くの国が9mmパラベラムを制式軍用ピストルの弾丸として、採用していることに気が付いた。その後、東西冷戦が始まり、NATOが組織された。NATO加盟国の軍隊は、出来るだけ同じ弾薬を使用することが好ましい。その結果、アメリカも45ACPを止めて9mmパラベラム・ピストルを採用する方針に傾いていった。
その際、目にとまったのがラドム・ピストルだ。アメリカ軍用ピストルであるモデルM1911A1と全体の操作性は非常に近い。もともとM1911A1を元に設計され、多くの部分をコピーしたのだ。操作性が近いことは当然の事だ。
スプリング・フィールド兵器廠はラドム・ピストルを多数集めテストした。それは第二次大戦後、アメリカ軍が一時ウィーンを占領したときに手に入れたものだ。この時、もしラドムがダブル・アクション・トリガーを持っていたら、アメリカ軍新制式ピストルのベースとして採用されたかもしれない。もちろんラドムそのままではなく、新しい時代に合わせた改良がなされただろう。
やがてコルトは試作モデルT4ピストルを開発、しかし同時にコルトM1911A1の小型化モデル、9mm口径のコルト・コマンダーも合わせて製作された。これはラドムの存在を意識したものだ。このトライアルには、他にハイスタンダードの試作T3ピストルや、S&WモデルM39ピストルも加わっている。
しかしアメリカはこの時期、制式ピストル口径の変更を行う必然性はないと判断、新型ピストルの採用は見送られた。
社会主義の崩壊後、ポーランドのラドム兵器廠は民間企業Z.M.Lucznik(ザクワディ・メタロヴェ・ウゥチニク S.A.)となって再出発した。
1992年、VIS-35 Reissueと呼ばれるリバイバル製品が登場した。スライドにはF.B. RADOM, 1992, VIS wz.35, pat. Nr 155567と刻まれている。リアサイトはトライアングル(V)ノッチからスクエアノッチに改められ、プラスチック・グリップはウォルナット・グリップとなった。木製のケースに収められたプレゼンテーション・モデルとして少数生産だ。VIS wz1935の47年ぶりの再生産だ。
その後、ポーランドはNATOに加盟、口径9mm×19を使用するピストルを必要とした為、 Z.M.Lucznikは新たにモデルMAG95ピストルを設計した。ダブルアクションで、ショート・リコイル機構、ダブルカアラムマガジンを有する西側の現代ピストルの形体になっている。
しかし、Z.M.Lucznikは市場経済の荒波の中で結局、倒産してしまった。
第二次世界大戦後、ポーランドが社会主義化しなければ、おそらくモデルVIS wz1935ピストルが再生産されただろう。当時の軍用ピストルとして、wz1935は優秀なモデルだった。コルトM1911A1のコピーだからといえばそれまでだが、全くのコピーではないし、9mmの製品としてしっかりまとめ上げたことは評価されて良い。現代にまでそのまま生き残る力は無いが、モデルVIS wz1935ピストルは戦後世界中に供給されていたはずだ。
倒産したZ.M.Lucznikは、その後再建され、現在でも小火器を生産供給している。しかしVIS wz1935を生産してはいない。AKベースの223口径のアサルト・ライフルBERYL wz98, 9mm ParaのSMG, PM-98を生産している。その他、民間用に308口径のボルトアクション・ライフルや、オーバーアンダーショットガン等がある。独自設計のピストルはなく、ワルサー社よりモデルP99ピストルの供給を受け、Radomの刻印を入れたものがラインナップに載っている。
July 3, 2003
Satoshi Maoka
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