Pistols & Revolvers in the conflict INDEX
第一次大戦勃発 Part 7 : イタリアの局外中立
Glisenti M1910 & Beretta M1915
1872年、イタリア陸軍はセンターファイア式リボルバーM1872を採用した。シャメロー・デルビン(Chamelot Delvigne)が設計したダブルアクション・ソリッドフレーム・リボルバーで、6.3インチのオクタゴン・バレル(Octagon barrel:8角銃身)を装備したものだ。
装填排莢は、ローディングゲートから1発づつおこなう。口径は10.4mmで、翌年フランスが採用したM1873リボルバーによく似ている。フランスのM1873リボルバーはノンフルーテッドシリンダー(シリンダーが円柱状で、軽量化のための溝がないもの)だが、イタリアのM1872リボルバーはフルーテッド・シリンダー(溝ありシリンダー)だ。
イタリアのM1872リボルバーは特定のメーカー製モデルではなく、グリセンティ(Siderugica Glisenti)をはじめ、複数のメーカーが製造した。この黒色火薬を利用するリボルバーは、採用されてから70年後の1943年までイタリア軍で利用し続けられた。
M1872リボルバーの採用から7年後、改良型M1879が制式リボルバーに加わった。このM1879リボルバーをさらに改良し、スモークレスパウダー仕様にしたのがイタリア軍制式M1889リボルバーだ。
M1889リボルバーは1910年にグリセンティM1910が採用されるまでの22年間、何度も小改良が加わりながら製造されたため、様々なバリエーションがある。

初期のM1889リボルバーは折りたたみ式トリガー(folding trigger)だった。折りたたみ式トリガーは当時、かなり広範囲に採用された安全機構だ。トリガーガードがなく、代わりにトリガーをフレームから露出している部分の基部から前に折りたたんでしまう。こうすればトリガーが引かれることはない為、安全が確保出来るというものだ。射撃する際には、折りたたんだトリガーを起こしてダブルアクションで引く。
折りたたみ式トリガーは、19世紀末から20世紀初頭にかけて製造されたリボルバーによく見られたが、その後まもなく消えてしまった。
この折りたたみ式トリガーをやめ、通常のトリガーガードを装備した改良型が登場し、さらに安全性を高めるためにハンマーの前進をブロックする機構がフレーム左側面に追加されたものも作られた。
M1889リボルバーはトリガーを引き切ったときだけ、ハンマーが完全に前進し、トリガーを緩めるとハンマーが僅かに起き上がって停止するいわゆるリバウンド・ハンマー形式だった。しかしこれだけでは、銃を落としたりしてハンマーが強打されるとハンマー自体が前進してしまい、弾薬のプライマーを打ってしまう可能性があった。ハンマーブロックはこの問題に対処するためのもので、これにより6発全部をシリンダーに装填したまま、安全に携帯が出来るようになった。
M1889リボルバーの製造はグリセンティ(Siderurgica Glisenti)社を始め、メタルウルギカ・プレシアーナ社、カステリ社など数多くのイタリアの銃器メーカーで製造された。フレーム左側面シリンダー前部にその製造メーカー名と製造年が刻印されている。
オクタゴン・バレルをやめ、短いラウンドバレルを付属させたものがOfficer’s Modelとして登場し、実質的にこれがM1889の最終生産型となった。
M1889リボルバーは、グリセンティオートマチックが採用された後も、第二次世界大戦終結の1945年までイタリア軍で使用が続けられた。

19世紀末、セミオートマチック・ピストルの開発がヨーロッパで進められた。この分野で先頭を走ったのはドイツとオーストリアだった。
イタリアは少し遅れたものの、Bethel Revelliが1902年、独自のセミオートマチック・ピストルの設計を終えて、グリセンティ社がこれを製造した。
グリセンティが製造したのは1902年から1907年までで、その後、1908年からおおよそ1925年まではテンピニ(Metallurgica Bresciana gia Tempini)社が製造を引き継いだ。

この両者は同じものではなく、テンピニが製造したものはブリクシア(Brixia)と呼ばれ、グリセンティとは区別されている。ブリクシアはグリセンティを単純化し、側面加工をよりフラットにした。またグリセンティのグリップフレーム前面にあったグリップセフティを省略している。
グリセンティおよびブリクシアはショート・リコイルメカニズムを持つが、そのロッキング・メカニズムは独特のものだ。
断面図にあるハンマー状のものがロッキング・ブロックだ。これにフレーム内マガジン後方の板バネがテンションを掛けている。
発射時の圧力がボルトフェイスに加わるが、このロッキング・ブロックによりボルトの開放が止められる。バレルと一体になったバレルアッセンブリーは数ミリ後退出来る構造を持ち、発射時にはボルトと共にバレルアッセンブリーがショート・リコイルする。この動きでロッキング・ブロックが回転し、これでボルトのロックは開放され、ボルトが開放される。開放されたボルトを再び閉鎖状態に持っていくのも、このロッキング・ブロックの役目だ。ロッキング・ブロックにテンションを掛けている板バネはリコイルスプリングとしての機能がある。ハンマー状のロッキング・ブロックが元に戻ろうとする動きが、ボルトを前進させるのだ。
1910年、イタリア陸軍が採用したが、すでに1905年にイタリア国境警備隊カラビニエーリはこのグリセンティをピストル・オートマチカ05として使っていた。世界的なセミオートマチック化のトレンドに乗った形でこのピストルを採用したわけだが、グリセンティの評判は良くなかった。
マニュアルセフティは無い。左側面にある小さなレバーはボルトホールドオープンラッチだ。
ロッキング・ブロックがボルトの閉鎖機能も兼ねているあたり、合理的といえないこともないが、デザイン的に無理があるように思える。
そして致命的であったことは強度の問題だった。当初、グリセンティはボトルネックの7.65mm弾を使用するものだった。この弾は7.65mm Luger弾とよく似ているが、全長は少し長い。その後、この弾は9mmに切り替わった。これは9mm Glisentiと呼ばれ、寸法上、9mmパラベラムと同じだが圧力は低い。
サイズ的に同じである為、9mmパラべラムをロードすることが出来るが、本体の強度は9mmパラに耐えられるものではない。ボルトはレシーバーの片側でのみ保持されている。左側面はカバー状になっていて外すことができる。この片面保持の構造ゆえ強度的に9mmパラべラムが使えないのだ。もし間違って9mmパラべラムを使用すると銃が破損する可能性があり、きわめて危険だ。
圧力の低い9mm Glisentiを使うのであれば、別にショート・リコイルである必要はなく、重いスライドと強いリコイルスプリングを組み合わせればブローバックでも対応出来る。
第1次大戦が始まると、生産が面倒なグリセンティの数が不足するという事態に至った。
イタリアのブレッシア地区ガードネにあるベレッタ(Beretta)社はスポーツ用ショットガンメーカーで、ピストルを生産していなかった。16世紀以来、この地で代々銃器生産を行ってきたベレッタ・ファミリーをこのとき率いていたのはピエトロ・ベレッタで、彼はベレッタ社の経営で様々な変革を行い、発展の機会を作り出していた。イタリア軍のピストル不足を解消すべく、ベレッタはスペインのビクトリア・セミオートマチックを輸入しイタリア軍に納入を試みた。しかしビクトリアはあまりにも品質が悪く、ベレッタは独自のピストルを生産して軍へ売り込むことを決定した。
ピストルの生産経験の無いベレッタ社だったが、この事は逆に有利に展開できるきっかけにもなった。長い開発の歴史がないだけに、余計なこだわりはない。市場にはすでにジョン・モーゼス・ブラゥニングの作ったシンプルで巧みな設計のブローバック式のセミオートマチックピストルが存在した。ブラゥニングをベースに、ベレッタらしさを織り込んだものを開発すれば良い。グリセンティは独自性にこだわり中途半端なものだったが、ベレッタの技師、ギアンドーソはハンマー内臓式のシンプルなものを作った。

それがベレッタ初のセミオートマチックピストルであり、のちにM1915と名付けられたものだ。ピストル不足に苦しんでいたイタリア軍はさっそくこのベレッタM1915(Beretta M1915)を採用した。
ベレッタ モデルM1915ピストルは、スライドを大きく重くすることと強めのリコイルスプリング、さらにスライドがフレームにぶつかる部分にリコイルバッファーを置いて、9mmグリセンティをブローバック作動させることに成功している。
スライド上面は前1/3が大きく開かれ、バレルが露出している。これは後に作られたベレッタ・オートマチックピストルの殆どに共通する特徴だが、モデルM1915ピストルは、エジェクション・ポートは単独で開かれ、スライド上面の切り欠きとは別になっている。一方、モデルM1915ピストルのスライド上面前端はカットされたまま繋がっていない。フロントサイトはバレルに直接取り付けられている。
モデルM1922(別名 Beretta M1915/19, またはM1915-1919)ピストル以降は、スライド前端上部はブリッジ状に繋がっており、フロントサイトはスライド側に付けられ、スライド上面の切り欠きとエジェクション・ポートが一体になった現在のベレッタデザインが完成した。
なぜモデルM1915でスライド上面を大きく切り取ろうとしたのか、この理由は良く判らない。切り欠きはスライドの重量を軽減する。しかし9mmグリセンティを使うために、ベレッタはスライドを重くしたかったはずだ。
エジェクション・ポートと一体になった切り欠きは、開口部を大きくし、ジャムが発生する可能性を低くする効果があるが、M1915のように単独で開かれた切り欠きはこの効果がない。また先端部まで開いた切り欠きはスライドの強度を下げてしまう。
M1915のプロトタイプでは、フレーム左側面後方にセフティ・レバーがあった。コルトM1911と同じ位置だ。これはside safety typeと分類されている。その後、フレーム後方後ろ側にセフティ・レバーが移された。これがrear safety typeだ。
量産化されたモデルM1915ピストルは、プロトタイプより小型化されたセフティ・レバーが後方にある(写真ではほとんど見えない)。後ろ側から見てレバーが9時の位置にあるとセフティonとなり、レバーを7時方向にすればセフティoffだ。セフティをonにするとコックされたハンマーがロックされる。ハンマーが起きていない時にonにした場合、スライドを後ろまで引くことが出来なくなり、チャンバーに弾薬を送り込むことが出来ない。
左側面トリガー上部にもトリガーをロックするレバーがある。これはスライドを開放状態でロックするためのフックとしても使える。
モデルM1915を7.65mm×17(.32ACP)化した民間市販モデルM1915/17は、リアセフティを廃し、トリガーをロックするだけのものになり、これは後のM1934まで続いた。
第一次大戦勃発 Part 7 :イタリアの局外中立
1882年、ドイツ、オーストリア・ハンガリー二重帝国、イタリアとの間に秘密同盟として三国同盟が結ばれた。
ドイツにとって、イタリアとフランスの接近を阻止することを目的としている。オーストリアは、汎スラブ主義を掲げるロシアとの軋轢から、イタリアとの同盟を結ぶことが有利と判断された。
1861年に国家統一を果たしたイタリアにとっても、同盟国を持つことで対外的な安定を図り、内政の問題に注力することができる。また植民地獲得に出遅れていたイタリアが北アフリカに進出するにあたって、ドイツの援助を期待していた。
しかしその後、三国同盟はイタリアにとって、足かせとなってしまった。ドイツ ヴィルヘルム2世の“世界政策”により、ドイツが帝国主義的な動きを強めた結果、ドイツとイギリス、フランスとの間での緊張が高まったのだ。
地中海の制海権はイギリスが持っている。その地中海に張り出したイタリアにとって、イギリスとの関係維持は重要だった。
またイタリアとオーストリア間は、同盟関係にあっても、国境問題があり、必ずしも良好とはいえない。
アフリカに広大な植民地を持ち、大陸横断政策を推進するフランスと、そこに食い込むことを狙うイタリアは対立関係にあったが、両国間で調整が進み、1902年、両国間で秘密の中立協定が結ばれた。そのため、イタリアは三国同盟の一員ではあったが、三国協商側(イギリス、フランス、ロシア)との関係を強くしていた。
ドイツがベルギーに侵攻した8月3日、イタリアは突如として局外中立を保つことを内外に宣言する。三国同盟の一員であるイタリアの主張は以下の通りだ。
・三国同盟は防御同盟であり、侵略された場合にのみ、戦争協力の義務が生じる。
・オーストリアのセルビア攻撃は侵略である。
・イタリアはこの侵略について、一切事前通告を受けていない。
現実問題として、イタリアはフランスと中立協定を結んでおり、物資の海外依存度の大きいイタリアは地政学上、イギリスと敵対することはできない。両国と戦争になれば、国家破滅の危機に直面する。
それでもイタリアは三国同盟側に立つ条件として、オーストリアに対し、トレンティーノとトリエステの割譲を要求していた。
ドイツはオーストリアに対し、この要求を呑むよう勧告するが、オーストリアはこれを拒否した。この事が8月3日のイタリア中立宣言につながるのだ。
8月4日、イタリアは、ロシアに対し、トレンティーノとトリエステ獲得の意向を示し、ロシアはそれに前向きな回答をおこなった。
イタリアの中立宣言は、国家の運命保全と国益の追求に基づく一時的な退避行動だ。三国同盟側、三国協商側双方から執拗な参戦勧誘がなされ、戦後の有利な展開を見据えてイタリアが戦争に赴くのは、翌1915年のことである。
Oct.13, 2005
Satoshi Maoka
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