Pistols & Revolvers in the conflict INDEX

                    第一次大戦勃発 Part 4 : ロシア総動員令

Montenegrin Revolver  モンテネグリン・リボルバー

 1862年、モンテネグロ公国の隣国であるオーストリアに、レオパルド・ガッサー(Leopold Gasser)社が設立された。そして1870年、オーストリアはガッサー(Gasser)モデルM1870レボルバーを制式採用した。
 ガッサー モデルM1870レボルバーは11.25mm×36弾を使用するヒンジド・フレームのダブルアクションレボルバーだ。14.75”と9.3”と2種類のバレル長がある。これはオーストリア軍の下士官用として採用になった。
 モンテネグロ公国はリボルバーを自国生産しておらず、すべて輸入に頼っていた。国内に銃器工場を持つ試みもあったが、結果的にこのプランはうまく行かなかった。
 そこでモンテネグロはこの ガッサーモデルM1870レボルバーを輸入、自国の将校用の準制式として採用した。
 19世紀のアルバニア地方の伝統として、男子が成人となった時、大人の男である証としてピストルを1挺持つというものがあった。これはこの地方の成人の儀式である。
 19世紀後半のこの時期、ここでいうピストルとはリボルバーのことだ。かつて日本の武士が刀を腰に帯びていたように、彼らは大型リボルバーを腰にさしていた。それが男の証であり、シンボルであった。
 男の証、シンボルである以上、それは大型リボルバーでなければならない。男らしさの証なのだ。小型の22口径のリムファイアなどでは男の持ち物ではない。アルバニア地方の男達は、そのように考えた。
 モンテネグロ公国軍の準制式となった巨大なガッサ―レボルバーを、民間人も好んでこの購入した。大型リボルバーの持つ雰囲気が、バルカン地方の男達の琴線を刺激したのだろう。ガッサ―以外にもよく似たリボルバーが、オーストリアやベルギーのリェージュで多数製造され、南米やバルカン地方に数多く売られた。

                     Hinged frame Montenegrin Revolver

 モンテネグリン・リボルバーとは、それらの大型リボルバーの総称だ。男のシンボルとしてのリボルバーにはエングローブやゴールドやシルバーのインレイが施されたり、アイボリーやボーンのグリップで装飾されたりしている。
 ヒンジド・フレーム・モデルだけでなく、ソリッド・フレームのサイドゲート・モデルであっても、よく似た形であればモンテネグリン・リボルバーと呼ばれる。

                      Solid frame side gate Montenegrin Revolver

 モンテネグリン・リボルバーと総称されるリボルバーのカートリッジは11.75mmであると言われている。しかし実際には、オーストリアのGasser リボルバーと同じ11.25mm×36弾を使用する。
 実際の弾丸径は11.25mmではなく、11.3mmだ。ケース(薬莢)の長さは2種類あり、11.25mm×36弾薬はOfficerと呼ばれた。このケース長は36mmではなく、実寸は34mm+アルファだ。名称に使われた値より多少、短いが、このケース長は45 Long Coltの32.8mmより長い。
 さすがにこれでは大きく長過ぎると思ったらしく、ケース長を23.7mmとしたCommandと呼ばれる弾薬もあった。
 弾丸の重量は282gr.から313gr.程度で、当事のローディング・データーは失われていて判らないが、44S&W Special、44Russianや45Coltと並ぶハイパワー・カートリッジだった。

モンテネグロ公国は、第一次世界大戦に参戦する際にも、このモンテネグリン・リボルバーを装備して望んだ。古臭い時代遅れのリボルバーに見えるが、第一次大戦当時、リボルバーを装備していた国は少なくない。イギリス、フランス、ロシアといった大国ですら、その装備はリボルバーであった。小国モンテネグロが古いリボルバーを装備していたのは、むしろ当然のことだったと言える。

                      Solid frame side gate Montenegrin Revolver

第一次大戦勃発 Part 4 : ロシア総動員令
 
 ドイツ皇帝(カイザー)、ヴィルヘルム2世はオーストリア・ハンガリー二重帝国とドイツが、セルビアだけを相手にした戦争を望んでいた。しかしセルビアをロシアが支援したことは、ドイツにとって誤算の始まりであった。
 ロシアは18世紀中期より、スラブ民族の盟主をもって任じ、汎スラブ主義を掲げ、オスマン帝国(のちのトルコ)の支配下にあったバルカン半島のスラブ人独立運動を支援していた。不凍港の獲得を目指してバルカン半島への勢力拡大を図るためだ。
 1875年、オスマン帝国統治下のボスニア・ヘルツェゴビナで、帝国に対するギリシア正教徒の反乱が発生し、翌年にはブルガリアでも反乱が起こった。オスマン帝国はこの反乱を鎮圧したが、ロシアは、バルカンのキリスト教徒の解放とスラブ人救済を名目として、オスマン帝国へ戦争を仕掛けた(1877-78、ロシア・トルコ戦争)。
 その結果、オスマン帝国は破れ、1878年3月にサン・ステファノ条約が結ばれた。 この時、ロシアはオスマン帝国に対して、セルビア、モンテネグロ、ルーマニアの独立と、マケドニアを含むブルガリアをロシアの保護下におくことを確認した。
 しかし、イギリスとオーストリアの反発で、このサン・ステファノ条約は破棄され、代わってベルリン条約が1878年7月に締結された。
 新たなベルリン条約により、ルーマニア・セルビア・モンテネグロの独立が承認され、ブルガリアはオスマン帝国統治国となった。ロシアはベッサラビアを得ることが出来たが、これではバルカン半島に勢力拡大を目指す目的は達成出来たとはいえない。
 これはドイツ ビスマルクの陰謀であると感じたニコライ二世は、三帝同盟(ドイツ、オーストリア、ロシア)を破棄し、ドイツとロシアの関係は大幅に悪化した。
 17世紀、ロシアは東方のシベリアへ領土を拡大し、18世紀に北方戦争(1700〜21)やポーランド分割(1772〜95)により西方のバルト海方面へ領土を拡大した。さらに南方に向かって、黒海へ進出した。19世紀になると不凍港の獲得を求めて、黒海から地中海への進出をはかる“南下政策”を積極的に推進した。しかし、この南下政策は、ことごとく失敗してきた。ロシア・トルコ戦争でやっと成功したと思ったところへ、ビスマルクにより、南下政策が阻止されてしまったわけだ。
 代わってロシアとフランスが接近する。1891年、ロシア・フランス同盟(1894年完成)が結ばれた。これは第三国からの脅威に対する政治協定だ。
 ドイツ、オーストリア・ハンガリーとセルビアの戦争にロシアが介入した理由は、ビスマルクによって阻止されてしまった南下政策を再開させるという意味もあったし、台頭してきた国内の社会主義運動から国民の目を逸らせるという意味もあったのだろう
 いずれにしても、ロシアは7月29日、総動員令を発した。オーストリア・ハンガリー帝国に対してだけではなく、ドイツに対しても全面戦争を行うべく、行動を開始したのだ。
 ところが、ロシア皇帝(ツアー)ニコラス2世(Nicolas II)はまもなくこれを部分動員と変更する。ツアーは、カイザーから直接交渉の可能性を打診された為、戦争回避の可能性に望みをつないだのだ。それに驚いたのはロシア軍だ。部分動員では、戦場での優位性を確保出来ない。軍はニコラス2世に再動員を要求し、30日、再度、総動員令が発せられた。
 ロシアとの戦争が避けられないことを悟ったドイツ参謀総長モルトケ(Helmuth J.Ludwig von Moltke)は、オーストリア・ハンガリー帝国に対ロシア総動員令を発令させた。そしてドイツは“臨戦体制”を発した。

 モンテネグロとは“黒い山”を意味する。14世紀、セルビア王国ではドゥシャン王の死去後、国内が分裂し、ゼータと呼ばれた山岳地方がモンテネグロとして独立した。
 15世紀末には、オスマン軍がこの国に侵攻した。その結果、首都を山深いツェティニに移している。この時代、バルカン地域は、オスマン帝国が支配しており、山岳地方の小国、モンテネグロが独立を維持いていくことは困難だった。
 オスマン帝国に対しては一定の税金を納める貢納国として、辛うじて完全な支配を免れていたが、絶えずオスマン帝国の脅威にさらされるという立場が続いた。
 モンテネグロは16世紀から19世紀中期までの間、正教会のヴラディカが政治的支配権を持つ神政国家であった。その間、モンテネグロ人といての強力な意識が出来上がったのは、オスマン帝国の脅威によるものだ。
 すでに述べたようにロシアがバルカン半島進出の名目としてスラブ系民族を支援、ロシア・トルコ戦争に勝った結果、モンテネグロは1878年、セルビアと共に独立を勝ち取ることができた。
 モンテネグロはオーストリアとは国境が面している関係で、バルカン戦争以降、オーストリアとの友好的政策とっていた。ロシアに対しても軍事的援助を求め、契約を進めていたところに、サラエボの事件が飛び込んだ。
 オーストロアとロシアとの対立が深まる中、モンテネグロは、その両者に対して友好関係を維持していたが、7月31日、ロシアの総動員令発令を聞いたとたん、モンテネグロは突如としてオーストリアに宣戦布告をおこなった。

Apr.16, 2004
Satoshi Maoka

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