古峰ヶ原射撃場
                                      May.30,2006掲載

 今では想像することが難しいが、1950年代の終わり頃から1960年代前半にかけて、日本でGunブームが起こった。
 西部劇に人気が集まり、輸入された玩具の銃に大人が群がった。アメリカの子供向けの玩具を、少しでも実物に近くしようと改造したことが、その後モデルガンの誕生に繋がった。
 誰もが玩具銃で満足するわけではない。実銃への興味が高まり、1961年8月、池袋の西武百貨店で銃砲展が開催された。警察庁、防衛庁、靖国神社、日ラ、日クレ、米国第五空軍などが後援し、古銃から狩猟銃、アメリカ軍のサブマシンガンや、BAR,ピストルまで銃が多数展示された。凄い人気で、その後、川崎のさいか屋でも開催された。日本橋の三越では世界の狩猟展が開催されている。
 スポーツ用ライフル、ショットガンは今よりずっと簡単に所持することができ、デパートでも宝飾品売り場の隣で銃を売っていた。1960年代、射撃人口は増加の一途を辿り、必然的に射撃場も次々作られていった。
 ブームである以上、それはやがて廃れる。繰り返し起こった銃犯罪で、銃刀法が強化され、銃器を所持することは簡単ではなくなっていった。法的制約を受けながら、面倒な手続きを経て銃を持つより、ゴルフや釣りを趣味とする人が増えた。結果的に射撃人口は減少し、銃器産業は衰退していった。
 ブームが過ぎ去った後も国体開催等で公営射撃場は作られた。それ以外にも民間射撃場が新設された例はわずかではあるが存在する。
 しかし、大半の射撃場は、1960年前後、射撃が盛んだった時代に作られたものだ。古い施設であっても、管理にじゅうぶんな経費を掛け、リニューアルをすれば最新の設備となる。しかし、多くの射撃場は、1960年代のままで、古臭い雰囲気を現在まで引きずっている。
 ゴルフ場のような射撃場は無いものだろうか。私はずっとそう思っていた。大人の健全な遊びという意味で、ゴルフと射撃は同列だと思う。
 快適でキレイなクラブハウスがあり、射座から整備された芝が広がる。そんな環境の射撃場があっても良いはずだ。
 私はライフル射撃からこの世界に入った。競技用エアライフルを買って通うようになった区の射撃場は、特に古臭いわけではなかったが、かなり年季の入った設備だ。そして東京都の大会に参加すべく、朝霞射撃場を訪れた私は、その設備のボロさに唖然とした。
 1964年の東京オリンピック以降、整備はしているものの、まとまった改修費は出ないためか、ここまで古い設備がまだ稼動しているのかと驚くほどの古臭さだ(朝霞射撃場の雰囲気は、“日本のピストル射撃”をご参照ください)。
 慣れというものは、生きていく為に人間が身に着けた特技なのだろうか。2度3度と訪れた結果、朝霞の古臭さも気にならなくなった。小口径ライフルを取得して、最初に訪問した伊勢原射撃場(旧射場、のちの第二ライフル射場)も、たいへん古いものだったが、すでに免疫ができていたので、まあこんなものだろうと納得した。大口径ライフルを持ち、勇んで駆けつけた長瀞射撃場は、開設したばかりの真新しいものだったが、華やかな雰囲気はなかった。射撃場とはそういうものだ。自分の中でそんなイメージが定着しつつある頃、クレー射撃も少しカジるようになった。
 地味なライフル射撃と違い、クレー射撃には華がある。競技人口も多いし、動きがあって遊びの要素も強い。しかしクレー射撃場もライフル射撃場と五十歩百歩だった。
 現在の射撃人口ではこんなものなのだろう。ある意味、これは諦めざるを得ない。
 しかし、キレイに整備されたクレー射撃場が日本に存在するという話は聞いていた。但し、「一見さんお断り」で誰でも行ける設備ではないという。
 だが、現在は少し状況は変わっており、ごく一部のシューターだけの設備ではなくなっている。ライフル主体でクレー射撃は年に数回しかやらず、万年初心者を自称する私も、その射撃場を使用する機会に恵まれた。

 栃木県の日光に近い鹿沼市古峰ヶ原、ここに古峯(ふるみね)神社がある。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)をお祀りする由緒正しい神社だ。古峰ヶ原(こぶがはら)射撃場は、この神社の宮司さんの個人所有で、古峯神社が管理を担当している。

古峰ヶ原射撃場スキートレンジのエントランス・ゲートだ。石積の門に眼を凝らすと“古峰ヶ原射撃場”と彫ってあることが微かに見える。

              ゲートを通ってから、レンジに続く道。整備された緑が眩しい。

 射撃場は、神社の入り口前にある道路からトンネルを通って山を越えた先にある。明確な看板はない。道路右側に大きなお屋敷の入り口と思しき立派な門がある。ここがスキート射撃場の門だ。石の門柱に目を凝らしてみると、古峰ヶ原射撃場と刻まれていることがかろうじて読み取れる。門を入って進んでいくときれいな洋館が見えてくる。ここがクラブハウスだ。すでにこの段階で並みの射撃場と違う雰囲気に圧倒される。
 クラブハウス正面に整備されたキレイな芝生の広場がある。ゴルフの18番ホールを思わせるたたずまいだ。スキート射撃場はここにある。
 かつては3面のスキート射台があったそうだが、現在は1面のみだ。残りの2面は野球が出来るグラウンドとなっている。

 スキートレンジのクラブハウス。前にある垂れ桜が美しい。このクラブハウスは通常、使用していない。このクラブハウスを利用できるシューターは会員だけだ。

 古峯神社は、夏の林間学校としての施設もあり、おそらくそこに来た生徒達の遊び場として、この野球場施設があるのだろう。野球場といっても、バッターボックス後方にバックネットが少しあるだけで、特別な施設はない。
 その横がスキートレンジだ。しかしグリーンが広がる中、ハイハウスとローハウスの洒落た建物があるだけで、通常のスキート射台の雰囲気はない。屋根が全くないのだ。屋根がないと、実に開放的だと感じる。射台は大理石が芝の中に埋め込まれている。移動する通路も芝の上で、特に半円形の通路があるわけではない。芝の上を歩くのは気持ちが良い。

 

 射台にはマイクがない。射手のコールをどうやってプーラーが聞くのかといえば、プーラーが射手の後方に立ち、直接コールを聞く。プーラーはリモートコントローラを持っており、クレーの放出はその場で行なうのだ。
 プーラーハウスはあるが、地面に半分埋め込まれている。屋根がなく音が反射するものがほとんどない為、一般の射撃場より射撃音がずっとマイルドだ。

  赤の矢印の人がプーラーさん。手に持っている物が有線のリモートコントロール放出ユニットだ。

 射座の後方にはあずまやがあり、中にはカウンターがあってコーヒーのサイフォンがセット可能だ。
 スキート射台の右側には、ハイハウスから飛ばすクレーを受けるネットがある。しかしローハウスからのクレーを受け止めるネットはない。クレーは低い位置にある林の中に消えていくのだ。
 右のネットはキレイだ。通常のスキート射場なら、クレーがいつも当たる部分が汚れ劣化し、1番射台に立ったとき、クレーの飛行ラインを推測することに役に立つ。しかしここのネットはほとんど汚れていない。

             朝、到着したときに撮ったもの。クレーの破片はほとんど無い。

 朝、射場について驚いたことは、クレーの破片がほとんど落ちていないことだ。奥のほうに1部だけオレンジ色の破片があったが、それだけだ。清掃が行き届いている。通常のクレー射撃場は、多数の破片が落ちていて、地面がオレンジ色に染まっていることが普通だ。
 とにかく美しく、キレイに整備されている。これこそが大人の遊び場だ。

 古峰ヶ原射撃場には、トラップ・レンジもある。古峯神社から来ると、道路の右側にあるお屋敷の入り口のような門を通り、スキート射場に入ったが、トラップレンジは道路の左にある。こちらは立派な門はなく、道路からすぐの場所にクラブハウスがあって、その先がレンジだ。

 1面のみでバックトラップはない。空に向かってクレーを追い、クレーは低くなった位置にある森の中に消えていく。なんとも爽快だ。但し、スキートレンジのように芝が埋め尽くされているわけではない。今は整備中なのか、クラブハウス横に東屋の土台が建築中だった。

 古峰ヶ原射撃場を作ったのは、古峯神社の先代の宮司さんだ。所有者である現在の宮司さんは、モスクワオリンピック射撃競技の代表選手だった。
 しかしオリンピック開催国であるソ連が、前年にアフガニスタンへ軍事侵攻したことから、西側諸国約50カ国は、モスクワ・オリンピックをボイコットした。そのため、宮司さんのオリンピック出場は幻に終わってしまった。当時は冷戦の真っ只中だ。
 先代の宮司さんが自らの土地に射撃場を作った目的は、射撃練習の為であったのだろう。射撃が好き人は誰でも、できることなら自宅に射撃場を作りたいと思うはずだ。
 私設射撃場であったが、1974(昭和49)年にスキート・レンジが、1977年にはトラップ・レンジが公認射撃場となった。
 スキートレンジの方が、より力の入った入念な創りになっているが、このトラップ・レンジも素晴らしく立派なものだ。

          トラップ・レンジのクラブハウス。通常はこちらのクラブハウスを利用する

 トラップ・レンジにあるクラブハウスもきれいに整備されている。ここで提供される食事は,一般射撃場の定番メニュー、カレーライスやうどんなどではない。古峯神社の料理人が作る2段重弁当だ。
 古峯神社では御直会と呼ばれる昼食会ができる。御神前にて御祈祷を受けた後、大広間で御神酒と神饌料理を頂くのだ。また参籠と呼ばれる宿泊設備もあり、食事を供する機能はじゅうぶんにある。射撃場のクラブハウスの食事もそこから届けられる。
 スキート・レンジにある洋館風のクラブハウスは通常は使われておらず、食事やトイレはトラップ・レンジ側のクラブハウスを使用する。スキート・レンジのクラブハウスよりずっと小さいが、上品で快適だ。書棚には、射撃関係の洋書や、古いShooter's BibleやGun Digestが収められている。きれいなロッカールームもある。ここは大人の為のサロンという趣だ。

                 クラブハウス内部。右はロッカールーム

 古峰ヶ原射撃場には射撃マナー向上委員会があると聞いた。マナーの悪いシューターは退場させられる。銃は使い方を間違えれば、凶器になる。だからマナーを重視し、安全は最優先で考えなくてはならないのは当然だ。
 古峰ヶ原射撃場の射手守則は以下の通りだ(原文通り)。
1. 銃器の取扱いは常に安全第一とし、如何なる場合においても実弾は装てんされていると思い、慎重に処置すること原則とする。
2. 射台と射手控席の往復には必ず銃の機関部を開くこと
3. 実包装てんの際は必ず銃口内の異物の有無をたしかめること
4. 銃を自分の手からはなす場合は必ず装弾を抜くこと
5. 装填していると否とにかかわらず銃口は必ず上下に向けて保持すること
6. 追射(うちなおし)の場合、初矢でクレーハウスの屋根をうたないこと
7. 射撃中に談話は絶対にしないこと
8. 最後の射手が打ち終るまで射台をはなれないこと
9. 据銃(肩付け)の練習は射台においてのみ行なうこと
10. 他人の銃に手をふれないこと
11. 使用実包は常に残数をたしかめておき放置しておかないこと
12. 射手が射台を移る場合は必ず次の射手が撃ち終わってから移動し且つ弾を抜くことを実行すること
13. 酒気をおびて射台に立つことは許さない。スリッパばきで射台に立てない
14. 射手が射手及び観覧者に対し迷惑をかける行為をしたり射手守則を無視した場合は退場せしめる
15. 管理者の承諾なく射撃を行なうことは認めない

 この素晴らしい環境の射撃場なら、服装だって、ある程度は整えなくてはならない気分になる。射手守則には書かれていないが、襟のないシャツは避けるべきだろうし、極端に短い短パンも不可だ。しかし、ジーンズは構わないようだ。基本的には、射撃ベスト、もしくはそれに順ずるものを着用する。服装に関しては、クレー射撃の国際ルールが適用されると思えば良い。タクティカルヴェストや黒いBDUなどはこの環境に相応しくない。その場の雰囲気にあった服装をする、それが大人の感覚、common senseだ。
 
 鹿沼の地には、明治時代中期に射撃場があったと言われている。明治中期といえば19世紀末だ。無煙火薬が開発されたばかり。村田経芳が少将に昇進し、銃器開発を後進に譲ったころだ。おそらくこの地にあったのはライフル射撃場だろう。古峯神社の先代の宮司さんが、その由緒ある射撃場を復活させた。その後、Gunブームは過ぎ去り、射撃は完全なマイナースポーツとなってしまったが、上品で快適な設備として管理、整備が続いている。
 古峰ヶ原射撃場は、かつては限られた人だけが利用できる設備だった。しかし、今は利用要件が緩和されている。しかし完全予約制だ。マナーを守れ、良識を持ったシューターだけがこの射撃場を利用できる。
 射撃は立派なスポーツであり、大人の遊びだ。この射撃場はそれにもっとも相応しい環境と雰囲気を持っている。天気の良い日にこの射場に立つと、射撃をやっていて本当に良かったと感じることができる。

May 30, 2006
Satoshi Maoka

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