James Bond.A Report
                                         Jan.1, 2006掲載

このレポートの追加、補足、修正という意味で、2006年12月31日“ブースロイドのお見立て”を掲載しました。

 イアン・フレミングが、ジェイムズ・ボンドの活躍を描いた小説“カジノ・ロワイヤル”を発表したのは1953年のことである。それ以前の英国スパイ小説は、サマセット・モームの“Ashenden(アシェンデン(秘密諜報部員)”などに代表される、リアルな人物描写によるスパイの実像を描いた作品が主流を占めていた。
 フレミングの作品は、それらとは異なって娯楽性に富んでおり、新しいスパイ小説のスタイルを作り上げた。その後フレミングは、この英国秘密情報部員の物語を毎年のように生み出すようになった。
 1964年、フレミングが他界し、ボンドの英雄伝は途絶えたはずだったが、その後も複数の作家が後を継いで物語を続けた。しかし、ジェイムズ・ボンドが、時代を超えたスーパーヒーローとして生き続けることになったのは、一連のボンド作品がシリーズ物として映画化され続けているからに他ならない。
 そうでなければ、ジェイムズ・ボンドは単に、過去の冒険小説ヒーローとして片付けられていたであろう。またフレミングも、フィリップ・オッペンハイムや、エドガー・ウォーレスのように、昔の人気作家のひとりとして、埋もれてしまったに違いない。
 したがって、現在ジェイムズ・ボンドの人物像として、人々が思い浮かべる姿は、映画の中のボンドであり、イアン・フレミングの描いたものとはかなり異なっている。
 映画ではすでに5人の俳優がボンド役を演じ、次回作では6人目のボンド俳優が誕生する(パロディ版は除く)。それぞれに魅力あるキャラクターであるが、フレミングの創作したボンドは、また別の魅力に溢れている。スクリーンの中のボンドは、いずれもスーパーヒーローであるが、原作のボンドは決してそうではない。時として人間的な弱さも見せる等身大のヒーローだ。
 使用する銃に関しても、意外な嗜好が感じられて面白い。
 そこで、フレミングの描いた、オリジナル・ジェイムズ・ボンドの銃について解説してみることにした。おそらく、これほど細かく、ジェイムズ・ボンドの銃について、解説したものは無いと思う。

Beretta 25ACP
 最初の作品、“カジノ・ロワイヤル”(Casino Royale:1953)の中で、ボンドはバレルを短くしたコルト・ポリス・ポジティブ(Colt Police Positive)38口径をホテルのベッド、その枕の下に隠していることが語られている。これが彼の持つ銃に関する最初の記述だ。
 バレルを短くしたポリス・ポジティブとは、コルト・デティクティブ・スペシャルの事だと普通思うわけだが、あえて“バレルを短くした”という以上、銃はポリス・ポジティブであって、そのバレルをある程度、短くカットしたものと考えるべきだろう。なぜそんな手間の掛かることをしたのかは不明だが。
 しかしこれは、どうも枕の下専用だったらしい。いわゆる就寝中の突発的事態に対応するものだ。実際には、これを使うことは一度もない。
 その後、まもなくボンドが常に身に付けている銃が描かれる。ベレッタ(Beretta)25ACPだ。初期の作品群では常にボンドはこれを愛用している。
 型式やモデル番号についての記述はないので推測するしかない。特徴としてはグリップパネルを外し,フレームにテープを巻いたものだという。原版の表現では“Taped Berretta”だ。銃の厚さを少しでも薄くすることが目的らしい。
 “カジノ・ロワイヤル”は1953年の作品だ。したがってこれより前の時代に存在した25口径のベレッタであることは当然だ。
 1953年以前のベレッタ25口径は、M1919, M1919/26, M1926/31, M1935, M418, M950と6種類ある。M950を除けば、いずれもM1919の改良発展型だ。M950は1950年発売の新型で、ハンマー露出、ポップアップバレルを有する。
 ボンドは1958年の“ドクター・ノオ”でベレッタの使用を禁じられた。その際、このベレッタは15年以上愛用しているといって抵抗した。この15年が真実なら、1950年に登場した、当時の最新型であるM950は計算が合わなくなるので、候補から除外される。
 M418は登場が1946年であり、これも選定基準から外れてしまう。残るはM1919からM1935までのモデルだ。
 既に述べたように、ボンドはベレッタのグリップ・パネルを外し、代わりにテープを巻いて使用している。銃の厚みを軽減させることを目的としているらしいのだが、M1919のシリーズはグリップセフティがある。これがあるとテープは巻きにくいだろう。グリップセフティを無視してテープを巻いてしまうと、常にグリップセフティがoffの状態になり好ましくない。この場合、テープを巻いた後、グリップセフティ部分を切り取る必要がある。

                左上下 Beretta M1935、右上下 Beretta M418

 M418はBeretta M1935の戦後改良型で1946年から供給が始まった。スライドのセレーションが斜めになって、グリップ・セフティの形が変わったぐらいで、大きな差はない。

 そもそもリボルバーならともかく、セミオートマチックの場合、グリップ部分に上手くテープを巻くのは難しい。
 そしてもうひとつ、M1919シリーズのみならず、当時のベレッタはトリガー・バーとディスコネクタが一体になってフレーム左側面に露出しており、それをグリップパネルが押さえ込んでいる形式だ。この場合、グリップパネルがないとパーツが外れてしまうし、グリップパネルがトリガー・バーに強く接触しているとトリガーが上手く引けなくなってしまう。だから当時のベレッタピストルのグリップ・パネルはベークライトだけでなく、メタルのベースがあってその上にベークライトのパネルが付いていた。ベークライトだけだと変形してトリガー・バーに接触し、トリガー・プルを悪化させる恐れがあるし、場合によってはトリガーが引けなくなる恐れがある。
 このパネルの存在を無視してテープを巻いてしまうと、トリガー・バーが動かなくなって発射できなくなる。だから事実上、当時のベレッタはグリップパネルを外してテープを巻く、といったことはできないはずだ。
 しかし、最初のM1919はトリガーバーの形式が違うものだった。そしてM1919の初期型はグリップセフティがない。となると、ボンドのベレッタはM1919であると考えるのが妥当だ。
 グリップにテープを巻くというとテニス・ラケットのグリップテープのイメージが強い。とにかくボンドはグリップを薄くしたかった。それはおそらく隠し持つには、少しでも小型で薄いほうが良いからだろう。握り易さを犠牲にしても、隠匿性を優先したわけだ。

Beretta M1935のグリップを外し、エボナイトとその下のメタルプレートを分離させ、メタルプレートのみをフレームに戻して、黒いテープをフレームに巻いた想定図。テープを巻いた後、グリップセフティ部分をカットしている。ボンドのTped Berettaを実現させるにはこの方法しか思いつかない。グリップ・パネルのベースになっているメタルプレートをフレームに残さないといけないので、グリップ厚はそれほど薄くならず、これをやる事にあまり意味はない。

 これは全くの推測だが、イアン・フレミング自身がこのような銃を持っていたのではないかと考えられる。フレミングは諜報員の経験がある。そして、その時、このようにした小型拳銃を持っていたとする。そうであれば、自らの経験をベースに、大きく娯楽性を持たせた小説を書こうとしたとき、スパイの持つピストルはこういうものだ、という認識の下にボンドの銃を決めた。これはあくまでも推測だ。
 イアン・フレミングは1939年にタイムズ紙の特派員としてモスクワに行き、同年6月から45年まで海軍情報部の中佐待遇の幕僚であった。この間がフレミングの情報部員時代だ。その時、実際にこういう小型拳銃を持っていたとしても、不思議ではない。あるいは同僚もしくは知人に、そのような銃を持っている人がいたのかもしれない。
 ただ銃について知識の少ないフレミングは、小型ピストルとして適当にベレッタを選び、グリップをテープ巻きにしようと思いついたわけだ。おそらくM1935あたりを想定したのだろう。
 しかし既に述べたように、セミオートマチック・ピストルの場合、ベレッタでなくともグリップをテープ巻きにするのはかなり難しいといえる。
 ボンドはベレッタ25口径を軽い鹿革のショルダー・ホルスターにいれ、左脇の下3インチあたりに銃がくるように吊るしている。鹿革(deer skin)は財布や手袋などに使われる軟らかい高級素材だ。ホルスターに使用することはあまり無い。
 ボンドはこの銃をチャンバーに1発ロードし、マニュアルセフティをオンにした状態で携帯している。M1919であれ、M1935であれ、いずれもストライカー形式で、ハンマーをダウンさせる機能はないため、ボンドはコック&ロック(cocked'n’locked)、いわゆるコンディション1(condition 1)で銃を携帯していることになる。当時のベレッタ25ACPはいずれもマニュアルセフティはトリガーをロックするだけの形式だ。ハンマーをロック機能はないので、コンディション1で携帯して間違って落とすようなことがあれば、暴発する可能性がある。
 しかし、ここでグリップセフティの存在が大きくモノをいう。ベレッタのグリップセフティは、シアをロックする形式だ。この銃の場合、シアをロックするということはストライカーをロックするのと同じ意味を持つ。
 したがってボンドのベレッタはブラゥニングM1910並みの安全性を持っているということになる。ごく初期のM1919はグリップセフティが無いので、トリガーロックだけとなり、コンディション1での携帯は非常に危険だ。
 第1作、“カジノ・ロワイヤル”では、ボンドが予備マガジンを持っているか否かについての記述はない。
 ボンドの愛車であり、私物である4.5Lベントレー(Bentley)のダッシュボードの下の隠しポケットにコルト45口径ミリタリーモデル(M1911A1と思われる)が、おさめられている。

 Colt M1911A1 写真のものは戦争中にライセンス生産されたレミントン・ランド社製M1911A1

 さすがに25口径では、実戦用の銃として適切ではないことをボンド自身も知っているということだ。服の下に隠し持つ銃は小さく隠匿性が高いことを求めた結果、ベレッタになったが、枕の下とか、車の中にはもっと強力な銃を装備して不測の事態に対処しているというわけだ。
 この作品の中でボンドは実際に、コルト45ACPを取り出している。もっとも発射することことなく、敵に捕らえられてしまった。
 その際、当然ベレッタも奪われた。しかしその後、回収したのだろう(状況から判断して、回収できたと見るのが妥当だ)。2作目、“死ぬのはやつらだ”(Live and Let Die:1954)、でも、同じベレッタを使っている。
 “カジノ・ロワイヤル”ではベレッタを撃つことはなかったが、 “死ぬのはやつらだ”ではベレッタを抜いて撃った。その時の相手はレミントン・ライフルを持っていた。ボンドは8発入りの予備のマガジンクリップを1個持っていた。しかしレミントン・ライフルと撃ち合っても25ACPの力不足のためか、彼は追い詰められてしまうことになった。敵の拠点に潜入する際には、それなりの武器を持っていくべきだが、ボンドは25口径のベレッタひとつで乗り込んだ。これは無謀だったという他はない。
 敵であるミスター・ビッグの船に向って危険な海中を移動する際にも、ボンドがウエットスーツの下に忍ばせているのは、相変わらずベレッタだ。これがもし大藪春彦の描くヒーローなら、想像を絶する数の武器弾薬を持って行くに違いない。100人の敵とでも一人で戦えるワンマン・アーミーだ。

ボンドの生い立ちと経歴

 ジェイムズ・ボンドは、スコットランド人の父、アンドリュー・ボンド(Andrew Bond)と、スイス人の母、モニク・ドラクロワ(Monique Delacroix))の間に生れた。父親は兵器メーカー ヴィッカーズ(Vickers armaments)の海外派遣員で、ジェイムズ・ボンドの初等教育はすべて海外で受けたものだ。
 しかしジェイムズが11歳の時、両親が登山事故で死亡してしまった。そこでジェイムズは叔母のチャーミアン・ボンドによって引き取られ、育てられた。
 12歳にイートンに入学、しかし、初年度の2学期でイートンから退学処分となってしまった。理由は友人の家のメイドと間違いを犯したというものだ。のちのジェイムズ・ボンドは一連の任務の間、多彩な女性関係を持つのだが、その片鱗は12歳の頃から見られるというわけだ。
 イートンを退学処分となった為、フェッティスに転学したボンドは17歳で卒業するまでにボクシングの試合に学校代表として参加(ライト級)し、またイギリスのパブリック・スクールとしては最初の本格的な柔道部を創設した。
 1941年、19歳の時、のちの国防省となる政府機関に入った。この時、情報部の仕事についたと思われる。特務大尉だった彼が、戦争が終結した1945年には中佐に昇進していた。そして戦後、情報部の仕事に付いた。
 1954年には、“ムーンレイカー”事件でその功績を称えられ、聖ミカエル・聖ジョージ勲爵士に列せられる。
 数々の功績を上げたボンドだが、その階級は、ずっと予備役海軍中佐だった。
 1963年、行方不明のまま、不慮の死を遂げたと考えられ、国防省の1級国家公務員に昇進した。もっとも、その後生存が確認され、情報部ダブル・オー課に復帰したので、おそらくこの昇進は無効になっただろう。

 そして途中、ボンドはバラクーダに襲われ、ウエットスーツが破れてしまった。海水がウエットスーツの中に入ってきたが、この時、ボンドは、もうこのベレッタは使い物にならなくなったと考えている。海水が浸入にして濡れてしまったからだ。この事は、フレミングにあまり銃の知識がないことを示している。今どき(50年前も)、銃弾は基本的に防水だし、銃自体も濡れただけで使用不能になったりしない。海中ですら発射出来る。当時のフレミングは、それを知らなかったようだ。
 もちろん海水に浸した場合は、テフロン・コーティング等の表面処理をしていない限り、速やかにクリーニングする必要がある。
 この作品の中で、ボンドは敵から奪ったコルト・ディテクティブで相手を倒している。
 “死ぬのはやつらだ”でも、ボンドは敵に捕まり、ベレッタを奪われた。しかし事件解決後、やはりベレッタを回収したのだろう。敵が放棄した基地にベレッタは残されたままになっていたと推測される。次の“ムーンレイカー” (Moonraker:1955)でも同じベレッタを持ってボンドが登場するからだ。
 前2作に比べ、“ムーンレイカー”は非常にスケールが大きい。のちの映画シリーズに通じるスペクタクル感覚を持っている。今では当たり前となった弾道ミサイルは、1954年当時、まだ実用化していない新兵器だった。
 今回も敵はソ連であり、同時にネオナチの陰謀が絡んでいる。冷戦構造とナチスの影、時代を感じさせる舞台設定だ。
 冒頭、ジェイムズ・ボンドはコルト・ディテクティブを使って訓練を行うシーンがある。本部の地下で、月曜の朝一番の事だ。ディテクティブは地下射撃場の常備品らしい。いつも使う銃で訓練するほうが効果的だと思うが、とにかくここで使うのはこのリボルバーだ。ボンドの小火器訓練の成績は、情報部で一番であることがここで語られている。
 ボンドは例によってベレッタを持ってムーンレイカー基地に着任する。もっとも今回もベレッタを撃つ機会は無かった。
 国内任務である関係で、ボンドは自分の車でムーンレイカー基地に乗り込む。そして“カジノ・ロワイヤル”の時と同様、車に常備しているコルト45口径を使おうとする。しかしやはり使うことができなかった。
  そして愛用のベレッタとコルトを共に失う。今回もボンドは敵に拉致されたのだ(3回連続だ)。この時、ベレッタは奪われ、今回はとうとう回収出来なかったようだ。コルトは大破した愛車ベントレーの横に落ちていたのが発見されたが、おそらく破損していたのだろう。
 この作品の終わりで、ジェイムズ・ボンドは休暇に向かう直前、Mより新しいベレッタとコルトをプレゼントされる。「これが必要だろう」と言われて、箱入り状態で届いたのだ。ボンドはベレッタのみ取り出してホルスターに入れた。グリップについて記述がないので標準のままだろう。
 コルトは休暇旅行に持っていくには大きすぎるので旅行から帰ってから開けるといって、箱に入ったまま、彼の事務所に置いておかれた。
 Mからプレゼントされたベレッタは果たして従来と同じモデルなのだろうか。記述がないところをみると同じだと考えられる。しかし、ボンドのベレッタが初期のM1919であったとしたら、この時、同じベレッタが容易に入手できるものだろうか。M1919初期型は、当時からみても40年近く前に製造中止になったモデルだ。
M1919初期型が、それほど簡単に手に入るとは思えない。となればジェイムス・ボンドのベレッタはもっと後の製品であると考えることができる。私がボンドのベレッタはM1919ではなくM1935あたりだと考える理由はここにある。
 これまでの3作ではベレッタが特に役に立ったという印象はない。しかし4作目“ダイヤモンドは永遠に”(Diamonds are Forever:1956)では、25ACPとは思えないほどの活躍をしている。追ってきた敵の車を大破させ、高速で走る列車上の敵を外から撃ち倒している。またサイレンサーがこのベレッタに初めて付けられた。
 Mからプレゼントされたベレッタだが、ボンドはやはりグリップを外してテープ巻きにしている。どうもこのスタイルがえらくお気に入りのようだ。
 この作品の中では“カジノ・ロワイヤル”、“死ぬのはやつらだ”に登場したボンドの友人、CIAのフェリックス・レイターが登場する。このときはCIAを既に退職してピンカートン探偵社に勤めているフェリックス・レイターだが、再会したボンドに向って「まだベレッタを使っているのか?」と聞く場面がある。ボンドは「そうだ」と答えている。
 アメリカ人であるフェリックス・レイターが、一般的なアメリカ人の感覚を持っているとしたら、ボンドのように危険な仕事をしている人間が25ACPのピストルで武装しているのを見て黙ってはいないだろう。「そんな銃では犬も倒せないぞ」っていう感じで批判するはずだ。アメリカ人から見れば、38Specialが対人用ピストルの最低ラインとなっている。1950年代でも同じことだ。しかしレイターは25ACPを使用することについて特に何も指摘していない。
 この作品のボンドに敵はアメリカの犯罪組織だ。過去の3作はいずれもソ連の情報部、またはソ連の情報部とつながりを持つネオナチや犯罪者だ。今回、初めてソ連が関係しない敵が現れたわけだ。ボンドはアメリカのギャングなんて、と当初バカにしていたが、実際には手強い相手だと痛感した。
 今回も敵に捕らえられたが(4回連続だ)、このときはあっさり脱出している。ベレッタも回収できた。
 最後、偽装の為、ボンドはこのベレッタを放棄している。Mから貰ったベレッタだから愛着が無かったのか、偽装の為とはいえ、あっさり捨ててしまった。
 短編 “バラと拳銃”(From a view to a kill)がどの時期に書かれたかは不明だ。これは1960年に短編集として出版されたものだ。ジェイムズ・ボンドの物語が評判になった後、フレミングはPLAYBOY誌などから短編小説を書く事を求められた結果、ボンド・シリーズにも数作の短編がある。これはそのひとつで、フランスが舞台になっている。この中でボンドはコルト45口径を使っている。これは彼が私有車に常備しているコルトなのかもしれないが、この時、ボンドはフランスに車を持ってきていないようだ。NATOの基地が絡んだ事件であったので、急遽、基地にあったコルトを使用したように思える。
 この時の状況は、敵に襲撃される恐れが非常に強かったので、ボンドとしても戦闘能力の高い銃を選んだと考えるのが普通だ。
 しかし舞台がフランスであることから、この際、月並みなコルト45口径ではなく、フランス軍が戦後に採用した9mmパラベラムのセミ・オートマチックMAS M1950などを使ってくれたら面白かったと思う。

Then we’ll have to change your equipment. That was one of the findings of the Court of Inquiry. I agree with it. D’you understand?
ともかく、我々は君の装備を替えなくてはならない。これは査問委員会で決まったことのひとつだ。私も同意見だ。わかるな?


 第5作、“ロシアから愛をこめて”(From Russia with Love:1957)、でもボンドはベレッタを持って登場した。相変わらずグリップはテープ巻きだ。
 この時、ボンドは予備のマガジンを持っていない。8発装填しただけで予備の弾も持ち歩いていない。
 ところがパリ リッツ・ホテルの一室でボンドはミスを犯した。サイレンサーをつけたベレッタをベルトに挟んでいて、抜き出す際にサイレンサーがベルトに引っ掛かってしまったのだ。
 ボンドはその失敗の影響で何ヶ月もの間、病院で過ごすことになる。命が助かったのは奇跡というべき状況だった。

ボンドの年齢
 1964年に発表された“007は二度死ぬ”で、ボンドが1941年19歳で、政府機関で働き始めたと語られるまで、ボンドの年齢についてしばしば話題になったらしい。
 一連の作品の中で常に30代後半と思しき表現で描かれていた為、ボンドはいつまでも歳をとらないで作品が展開されていると解釈する意見もあったようだ。
 しかし1941年19歳という設定は、あとから無理やり、つじつまを合わせたと思われる。最初の作品、“カジノ・ロワイヤル”は1953年に発表されたものであるため、1952年の出来事だと推定される。1941年19歳なら、1952年は30歳または31歳だ。
 1955年刊行の3作目“ムーンレイカー”の中で、ダブルオー課の停年の話が出てくる。ダブルオー課の停年は45歳だという。生き延びて停年を迎えると、現場から離され、本部の幕僚的な仕事を与えられるそうだ。ボンドはそれまであと8年あると言っている。これは、おそらく1954年の話だ。45歳まであと8年、すなわちボンドはこの時、37歳ということになる。
 しかし、それでは1941年には19歳ということと合わなくなる。
 シリーズ物の作家は時として、このような矛盾に陥ることがある。フレミングも、こんなに何本ものボンド作品を発表するつもりは当初は無かったのだろう。
 1959年刊行の“ゴールドフィンガー”の中では、ボンドはダブル・オー課で6年働いている、と語っている。この話は1958年のことだと解釈すると、ダブル・オー課所属になったのは、“カジノ・ロワイヤル”の1952年となってしまう。これは“カジノ・ロワイヤル”でダブル・オー課に所属するキッカケを語っていることと整合性が取れない。
 第一作“カジノ・ロワイヤル”でボンドは、ダブル・オー課に属するようになったキッカケになった2つの仕事についてついて語っている。
 ニューヨークのロックフェラー・センター RCAビル36階にあった日本の領事館に勤務する日本人の暗号解読専門家を狙撃するというものだ。ボンドは300ヤード離れた隣のビルから、レミントン・ライフルでこの日本人を狙撃した。
 “カジノ・ロワイヤル”は1953年に刊行された作品だ。舞台は1952年、もしくは1953年となる。日本は敗戦からまだ数年という時代であり、アメリカと敵対する状態ではない。とすると、この狙撃は真珠湾攻撃以前のことと考えられる。
 次の作品“死ぬのはやつらだ”で、ボンドはこの時、戦後初めてアメリカの地を踏んだという。となると、やはりこのニューヨークの狙撃は戦前の事だということになる。
 それはすなわち、彼が政府機関で働き始めた1941年、19歳の時の話でしかあり得ない。
 この狙撃に続いて、ストックホルムでドイツに寝返ったノルウェー人の二重スパイをナイフで殺している。ドイツに寝返ったという記述からも、戦後の話ではないことは明らかだ。
 ボンドはこの2つの仕事をこなして、ダブル・オー課の一員になったと語っている。わずか19歳、または20歳という若さだ。
“読後焼却すべし”の中で、Mはボンドに年齢の話をしている。
 ある状態になる年齢は40歳過ぎだといって、ボンドに、まだその年齢にはなっていないだろう、という。
 ジェームズ・ボンドの物語が評判になると、雑誌社から短編の依頼がフレミングのもとに届くようになった。そしてPLAYBOY誌などにボンドのショート・ストーリーがいくつか掲載された。
 それを集めたものが1960年に出版された。“読後焼却すべし”はその中の一編だ。この話は内容から判断すると、ドクター・ノオの後の事件で1957年10月の出来事だと推定される。
 “ムーンレイカー”で1954年5月に37歳なら、1957年10月は確実に40歳になっている。
 とにかくこの時期、フレミングはボンドの年齢を曖昧にしたと思われる。話を進めるにつれてボンドがどんどん高齢化していくのは、どうも都合が悪い。いつまでたってもボンドの年齢を30歳代としておけば、颯爽としたイメージで話を展開できる。ようするに「サザエさん方式」だ。時間は経過しても、登場人物の年齢はいつまでも固定させる手法で、シリーズ物はこの手を使う場合が多い。
 フレミングは晩年、“007は二度死ぬ”で、ボンドの年齢について明確にしたのだが、ここにひとつミスがある。 “007は二度死ぬ”の中でボンドはネズミ年生まれだというのだ。欧米人には馴染みのない干支について、日本の諜報機関の長であるタイガー田中よりボンドに伝えられた。
 ネズミ年生まれであったとしたら、ボンドは1924年生まれだということになる。あるいは1936年生まれだ。すると1941年には19歳ではない。
 些細なことをいつまでも問題にしていても仕方が無い。ボンドが何年に生れようと、そんなことは大して重要ではない。ようするにボンドは一連の作品の中で、常に30代後半なのだ。彼の年齢はそう決めておけば良い。
 ここから先は、6作目、“ドクター・ノオ”(Dr.No :1958)の最初に描かれている。
 英国情報部ダブルオー課に復帰したボンドは、Mからベレッタを取り上げられてしまう。別の銃を使え、というのだ。
 ボンドがミスを犯したのはベレッタに問題があったのではない。引っ掛かったのはサイレンサーであり、ベレッタ自体にはその問題はないはずだ。ところがMによれば悪いのはベレッタだというのだ。
 これには裏の話がある。1956年5月、ボンド・シリーズのファンであるジェフリー・ブースロイドはイアン・フレミングに手紙を書いた。
 手紙の内容は、ボンドの使うベレッタはパワーが無くボンドには不適切な銃である、という内容だ。さらにブースロイド氏はボンドの銃として、S&Wセンティニアル・エアウェイトをお奨めしている。さらに車には357Magnumリボルバーを装備した方が良いとしている。44Magnumの方が良いが、センティニアルの38Specialとの互換性から357Magnumとしている。
 加えてホルスターはバーンズ・マーチン・トリプルドロー・ホルスターを推奨した。
 グラスゴー在住のブースロイドがどの程度の銃器専門家なのかは判らないが、ごく普通のガン・ホビィストかもしれない。指摘内容はごく普通で特筆すべき部分はなさそうだ。
 ブースロイドの手紙に対しフレミングは大いに感謝しこの後、フレミングとブースロイドは交換書簡を続けた。
 1957年1月、フレミングは“ドクター・ノオ”の執筆に入った。ここでブースロイドとの書簡に基づき、ボンドのベレッタを取り上げることにした。ボンドが重傷を負う“ロシアより愛をこめて”は1957年に出版されたが、このサイレンサーが引っ掛かるエピソードは、ブースロイドの指摘に基づき、ボンドの銃を換えさせるための伏線だったのだろう。おそらく1956年5月から始まった交換書簡の後に書かれたものだろう。
 それ続くドクター・ノオの冒頭、退院して仕事に復帰したボンドはMに呼び出された。どう見ても“ロシアより愛をこめて”での失敗原因をベレッタに求めるのは筋違いだ。ボンドもどんな銃でも同じ問題が起こりえると反論している。しかしMはそうは考えなかった。査問委員会も同じ結論に達したと言っている。ダブル・オー課から去るか、拳銃を変えるか、ボンドはそんな選択に迫られた。
 ずいぶん酷い話だ。銃を換えなければダブル・オー課から去れというのは、脅しでしかない。
 ボンドはベレッタを15年使い続けたといい、それまで失敗したことは無かったと主張している。それにベレッタが使い慣れていて好きだともいった。
 これはちょっと違う。“ムーンレイカー”でベレッタを失い、“ダイヤモンドは永遠に”では、Mから貰ったベレッタを捨ててきた。すなわちロシアより愛をこめてでトラブルを起こしたベレッタは少なくとも3代目ということになる。15年使い続けたのではなく、同じ型式のベレッタを15年使い続けたと言うのが正解だろう。
 ボンドの発言に対し、Mは容赦しなかった。フレミングに対し、熱心に銃のコーチングをおこなったブースロイド氏の進言だ。フレミング自身もボンドを容赦しない。
 そこでなんと、フレミングは小説の中にもブースロイド氏を登場させた。英国情報部の兵器係ブースロイド少佐としてだ。小火器の世界的権威だそうだ。
 世界的権威ブーズロイド少佐は、ベレッタ25口径を女性用と言い切った。威力が無さ過ぎると。これは正解だ。
 ブースロイド少佐が推奨した銃はワルサーPPK32口径と、S&W センティニアル・エアウェイト38口径だ。
 現実のジェフリー・ブースロイドは当初S&Wセンティニアル・エアウェイトを推奨していたのであり、ワルサーPPKを薦めてはいなかった。しかしフレミングはボンドの職業上の理由でサイレンサーを使用することにこだわった為、サイレンサーを使用できる銃としてワルサーPPKが挙げられたと思われる。
 第二次大戦中、ステンSMGのサイレンサー・モデルを射撃したことのあるフレミングは、サイレンサーの効果にかなり魅力を感じていたようだ。
 ブースロイド氏もリボルバーにはサイレンサーが効果がないことを認めていた。そんなわけでワルサーPPKが候補に挙がったのだろう。
 その選択は間違っているとは思わないが、小説の中でブースロイド少佐がPPKの比較用として挙げたモデルはソ連のトカレフ、日本の14年式、ドイツのザウエル38Hだ。
 PPKはこれらに劣るが、トリガーが軽くボンドにちょうど良いと言っている。ザウエル&ゾーン(Sauer & Sohn)38Hはともかく、トカレフや14年式を候補に挙げるとは、いったいどういう感覚だろう。小火器の世界的権威の意見とは思えない。
 あまりに妙な記述なので、原文を挙げておく。
 Major Boothroyd put on the expert’s voice. ‘As a matter of fact, sir,’ he said modestly, ‘I’ve just been testing most of the small automatics. Five thousand rounds each at twenty five yards. Of all of them, I’d choose the Walther PPK 7.65mm. It only came fourth after the Japanese M-14, the Russian Tokarev and the Sauer M-38. But I like its light trigger pull and the extension spur of the magazine gives a grip that should suit 007.It’s a real stopping gun. Of course it’s about a .32 calibre as compared with the Beretta's .25, but I wouldn’t recommend anything lighter. And you can get ammunition for the Walther anywhere in the world. That gives it an edge on the Japanese and Russian guns.’

007シリーズすべてを翻訳した井上一夫氏のように、上手い訳はできないが、私なりの翻訳はこのようになる。
 ブースロイド少佐は専門家らしい声で話した。「じつのところですね、サー」彼は控えめに言った。「私は主だった小型オートマチック・ピストルのほとんどをテストしてみたところです。それぞれの銃を25ヤードで5,000発撃ってみました。そのなかで私はワルサーPPK 7.65mmを選びました。これは日本の14年式、ロシアのトカレフ、そしてザゥアーM38に続く4番目の評価だった銃ですが、トリガーが軽いのが気に入りました。それにマガジンの下に指掛けのエクステンション・スパーがあるので、007の手にぴったりでしょう。ストッピングパワーは高いですよ。なにしろ32口径ですから、ベレッタの25口径とは比較になりません。これより軽い銃はお奨めできませんね。それにワルサーの弾なら世界中どこでも手に入ります。その点では日本やロシアの銃はダメですね。」
 銃愛好家なら突っ込みどころが満載だ。トカレフや14年式は小型拳銃ではない。主だった小型拳銃をすべてテストしたって?、5000発づつ25ヤードで撃ったとは、大変な労力だ。5000発テストは、軍制式ピストルトライアル並みだ。アメリカ軍がM1911を選定したときのトライアルは6000発だった。
 その中でPPKは4番で、その上位に14年式とトカレフ、Sauer 38があるとは参った。
 ワルサーのトリガーが軽い?少なくともダブルアクションは超重い。トリガープルが良いのは14年式だろう。
 少なくとも、この4挺で5000発テストをノー・トラブルでクリアできる銃はない。おそらく真っ先に脱落するのは14年式だ。
 32口径のストッピング・パワーはかなり低い。25口径よりはマシだが。
 この一連の記述、候補設定はまず間違いなくジェフリー・ブースロイドの提案ではなく、フレミング自身が考えたものだ。銃の選定に関し、小説家に進言をするほどの銃器愛好家であるジェフリー・ブースロイドが、こんな間抜けな候補と評価内容を挙げるはずがない。
 ジェフリー・ブースロイドはスコットランドのグラスゴーに住んでいた。この小説が書かれた段階においてイアン・フレミングとの間は手紙のやり取りをしていたに過ぎず、両者は会って話をしたことは無かった。二人が直接出会うのは、これを執筆してから4年後の1961年の事だ。
 電話でのやり取りはあっただろうが、コミュニケーションの主流はもっぱら手紙だった。言うまでもなく、現在のようなE−mailは存在しない。手紙のやり取りは、時間が掛かり、細かな質問と回答の応酬には向かない。
 ボンドが新たにPPKを使用することについては、二人の間で合意したことは間違いないだろうが、小説の中のブースロイド少佐がトカレフや14年式を引き合いに出すというところは相談されなかったのだろう。
 製本された“Dr.No”を見て、ジェフリー・ブースロイドは愕然としただろう。
 なぜ敵国であるソ連のトカレフを候補として推薦するのか。いくら薄いとはいっても大きすぎてボンドの嗜好には全く合わない。それに安全性にかなり問題がある。14年式も問題外だ。そもそも8mmNambu弾をどうやって調達するのか。弾薬の件はフレミングも小説の中で述べている。弾薬調達に問題があるなら、初めから候補にいれるべきではない。

英国秘密情報部
 ボンドはSecret Intelligence Service(=SIS)のダブルオー課に所属している。一般にはMI6(Military Intelligence 6)として知られているが、フレミングはその作品の中でMI6(em ai six)という呼称は使っていない。MI6という呼称はいつの時代から使われるようになったのか不明だが、正式名称ではない。正しくはSISだ。
 SISは1909年にForeign Section of the Secret Service Bureauとして設立された。1922年にその一部が独立してSISとなった。
 1940年には戦争におけるスパイ活動に特化する形で、The Special Operations Executive (SOE)がSISから独立した。おそらくボンドは1941年、SOEの特務大尉としてスカウトされたのだと思う。このSOEは戦後に再びSISと統合された。
 フレミングの描く英国秘密情報部はリージェントパークにある。実際にはここにSISのビルは(当時も)ない。ジェイムズ・ボンドの物語は大人のおとぎ話であり、実際のSISの姿を表しているのではないことが伺われる。
 とにかくここでは、フレミングの描いた英国秘密情報部について語ろう。
英国秘密情報部はユニバーサル貿易という会社をカモフラージュに使っていた。ところがこれを長く使っていたおかげで、ユニバーサル貿易=SISということが、かなり広く知れ渡ってしまった。その結果、1964年頃、新しくトランスワールド財団という名前を使うようになった。
  ボンドが属する部署はダブル・オー課だ。この部署に属する特務部員はゼロを二つ最初に並べたコードナンバーを持っている。これがダブルオー・ナンバーで、任務遂行に際して敵を殺しても、責任を問われることは無い。
 決して殺人に特化した任務を常に与えられるというわけではないが、通常はかなり危険が伴うオペレーションに投入される場合が多い。
 ムーンレイカーの時代、ダブル・オー課には、あと2名、008と0011がいる。ビルと言う名の008は敵地から脱出しベルリンで静養中。0011はシンガポールで消息不明。ボンドはこの課で最古参となっている。
 Mはボンドをもっとも頼りにしており、戦闘能力においてもボンドがこの課で最高であると密かに評価している。
 サンダーボール作戦では009について言及がある。ダブル・オー課に所属する秘書はローリア・ポンソンビーだ。所属する部員の共通の秘書で、情報部の最高機密に参与できる特任秘書官のひとりだ。Mの秘書として有名なミス・マネーペニーもその一人であることは言うまでも無い。
 ローリア・ポンソンビーは1961年、結婚して引退した。
 代わってダブル・オー課の秘書となったのがメアリー・グッドナイトだ。漆黒の髪に青い目の美女で、元海軍婦人部隊員。だれが最初にこの秘書をものにするか、という賭けがなされたという。ローリアの時は課のだれも手を出そうとはしなかったが、メアリー・グッドナイトの扱いはずいぶんと違う。
 この賭けの本命視されていたのが、ボンドと元海兵隊コマンドの006だ。結局、ボンドは別の女性との出会い(運命の女性、トレーシーだ)で、この賭けから離脱した。
 気になるのは、この賭けで006と007が本命、という事だ。極めて少人数である課で、そのうち2名が本命ということは不自然だ。確かに“ムーンレイカーの時”、ダブルオー課は3名だという記述はあったが、その後、増えた可能性は大いにある。他の課員のことが語られる都度、そのナンバーが違うではないか。006, 007, 008, 009, 0011 少なくとも5名分のナンバーが出てくるのだ。
 
 ボンドに任務を与え、危地に送り出すのは常にMだ。本名はサー・マイルズ・メッサーヴィ。したがって、Mという呼称は、その名前から来たもので、役職名ではない。
 退役海軍中将(大将という記述もある)で“女王陛下の007”の少し前に、セント・マイケル・セント・ジョージ上級勲爵士という位階を与えられた。もっとも、どうやらそれを喜んではいないようだ。
 独身。道楽は水彩画で、イギリスの野生の蘭を19世紀自然主義で描く。
 Mのオフィスは9階12号室。彼の前任者はこの部屋で部下に銃で撃たれて死亡した。
 1957年、英国情報部のダブル・オー課のメンバーが持つべきピストルを選択する際に挙げるべきなものは、もうちょっと違うモデルだろう。
 ボンドは小さく、持っていることを相手に悟られない銃を持つことを希望している。ベレッタ25口径はそれにピッタリだというわけだ。ガバメントを使用したこともあるが、やむを得ず使用した(“バラと拳銃”の時の事か?)のだと言う。
 しかしMもブースロイド少佐も、25口径よりもっとパワーのあるものを持てという。
 現在なら小型で強力なサブコンパクト・ピストルは数多く存在する。しかし50年前にはそんな選択肢は無かった。
 当時存在したもので選べば、PPKは正しい選択だ。マウザーHScでも良いが、1957年にはまだ戦後の再生産は始まっていないので、HScを使うなら戦中モデルから選ぶ必要がある。またHScの方がPPKより一回り大きい。
 ブラゥニングM1910も良い。チャンバーに装填したまま携帯するのは、いささか不安があるが、ストライカー形式ではかなり安全性は高い。
 コルトM1903(M1908)でも良いが、ブラゥニングより大きくなる。その他、フランスのMABやアメリカのレミントンM51、イタリアのベレッタM1934やガレーシーなども候補に上がるだろう。チェコのVz52なども優秀なモデルだが、当時のチェコは共産圏なのでこれは対象外とすべきだろう。なんといっても冷戦初期だ。共産主義国は最大の敵だった。
 当時、西側の現役生産モデルに限定した場合、ダブル・アクショントリガーを有するワルサーが最上の選択であることが判る。ブースロイド少佐がトカレフや14年式を引き合いに出したことはいただけないが、PPKを推奨したのは正しいと思う。
 ワルサーPPKの戦後再生産がスタートしたのは1951年から1952年にかけてだが、当時はまだドイツ国内で装薬銃の生産は禁止されていた。そのため生産はフランスのマニューリン社(Manurhin:Manufacture Demachines Du Maut-rhin)でおこなわれた。この作品が書かれた1957年にはMade in W.Germanyの刻印のあるPPKが登場している。
 そしてこの時、ワルサーPPKはMark IIとなった。旧型との違いは、内部構造と外観の両面に見られる。ローディング・インジケーターのスプリング、ファイアリング・ピン、ハンマー・アクセルな どの部品形状が変更になった。またPPKのグリップは、それまでワン・ピースのベークライト製グリップ・パネルだったが、Mark IIタイプで は左右から合わせるツー・ピースのプラスチック製のものとなった。スライド上面のサイト・システムも改められ、リア・サイト、フロント・サイトともに大きくなり、狙いやすくなった。
 ボンドはブースロイド少佐の推奨でワルサーPPKをバーンズマーチン・トリプルドロー・ホルスターに入れて携帯することになった。しかしバーンズマーチン・ホルスターは実際にはリボルバー用しかない。
 この間違いは、ジェフリー・ブースロイドがフレミングにS&Wを薦めた際にバーンズマーチン・ホルスターについても記述したことに起因している。フレミングは、このホルスターがリボルバー専用とは知らなかった。
 小説の中ではボンドにPPKと同時にS&Wセンティニアル・エアウェイトも与えられた。これは最初にS&Wを推奨したジェフリー・ブースロイドの意見を最大限に尊重した結果だと思う。
 ジェフリー・ブースロイドはリボルバーを推奨したかった。しかしフレミングはサイレンサーが付く銃にこだわった。その結果が、ワルサーPPKの選択だ。
 結局、ボンドはこの2挺を持ってジャマイカに向う。
 ちなみにブースロイド少佐は、フレミングの作品ではこの時だけ登場し、2度と現れることはなかった。しかし映画の世界では、その後ブースロイド少佐が、特殊装備開発担当、コードネーム“Q”となり繰り返し登場するようになる。
 原作には装備課としてのQ課は登場するが、Qは個人を表すものではない。またブースロイド(Boothroyd)少佐はQ課の長でもなければ、Q課に所属もしていないようだ。
 映画ジェームズ・ボンド・シリーズの最初を飾った作品、“ドクター・ノオ”でも、このベレッタをPPKに変更するエピソードが描かれている。そんなシーンは無くても、なんら問題がないのに、原作に忠実であろうと考え、このシーンを加えたようだ。映画はかなりの部分で原作に忠実に作られている。しかしクライマックスは違うし、細部にもいろいろ違いがある。そもそも原作に忠実なら、PPKと共にセンティニアルもボンドに渡さなければいけない。
 映画では、10年以上、ベレッタを使い失敗したことが無いというボンドに対し、Mは前回、ジャミングを起こして負傷したではないか、銃を変更する理由を告げている。そしてアーモラーMajor ブースロイドがワルサーを勧めるのだ。この時点ではブースロイドはQという役名ではないが、3作目で役名がQに変わった。
 小説でも映画でも、このシーンはベレッタのイメージを大きく損なっている。特に映画の方が顕著に、ベレッタよりワルサーが優秀であるというイメージを観る者に植えつけた。
 この映画のせいでワルサーは大きく売り上げを伸ばした、と伝えられている。それが真実であるかどうかは定かではない。少なくともアメリカ市場では、ボンド映画によってワルサーの売り上げが伸びたという事実はないようだ。
 しかし、現在の映画でこのような描き方をしたなら、ベレッタは映画制作会社を訴える可能性がある。不当にベレッタのイメージを損ねているというわけだ。
 但し、この映画が作られた1962年、小説が書かれた1958年のいずれにおいても、ワルサーはベレッタより優れたピストルを生産していたことは事実だと思う。
 ワルサーは当時、時代の先端を走っていた。しかし現在は全く事情が違う。数々のメーカーを呑み込んでヨーロッパ有数のメーカーとなったベレッタ社と、かつてはドイツ公用銃の多くを生産していたものの、軍、警察の制式採用からほとんど外れ、チャチな空砲銃メーカーに買収されてしまった元気のないワルサー社。まさかこれほどの差が付くとは1962年では誰もが予想しなかっただろう。
 話を小説版に戻す。
 ボンドはベレッタを手放すとき、未練たっぷりだった。Mのデスクの上に置かれたベレッタ(Taped Berettaと表記されている)の15年間の思い出が去来し、感傷的だった。フレミングは、2回、ベレッタが交換されたことを忘れてしまっていたようだ。

Walther PPK & S&W Centennial
 “ドクター・ノオ”では、任務に着いたとき最初に携帯していたのはPPKだが、ノオ博士の支配するクラブ島に潜入する際に持っていくのはS&Wだ。
 ボンドにとってベレッタは、身体の一部と感じるくらい馴染んでいたが、この2挺に対しては、それほど気に入っていない。ボンドもこの2挺がベレッタより役に立つということは理解してはいる。それでも気に食わないのだ。クラブ島にカヌーで潜入する際にS&Wを選んだのは、こちらの方が遠距離でも有効だ、という判断からだ。
 しかし敵の本拠に乗り込む際に、スナッブ・ノーズ・リボルバー、それ5連発の銃だけを持っていくというのは何とも心許ない。せめてSMGのひとつでも持って行きたいところだ。大藪春彦のヒーローなら、カヌーが沈むくらいの武器弾薬を持っていくはずだ。


   S&W Centennial Airweight  1952年 S&W社設立100周年記念モデルとして登場したセンティニアルだが、その後、製造中止となった。しかしグリップ・セフティを省略するなど、改良したM40が再登場し、マイナーチェンジを加えて現在まで続いている。写真はボンドが使用したと思われる初期型。薄い板状のラッチ(サムピース)が特徴的だ。

 今回、ボンドは敵の接近に際し、水中に潜り、水の中から飛び出したと同時に射撃している。どうやらフレミングも水没した銃でも使えることを理解したようだ。このあたりもジェフリー・ブースロイドからの情報かもしれない。
 ボンドはS&Wをこの島で使い11発発射する。至近距離の敵は1発で倒すことが出来たが、あとの敵は生身の人間ではなく、とても強力で、歯が立たなかった。
 事件解決後、ボンドは暗号電報(!, 時代を感じる)でS&Wについて兵器係(ブースロイド)に皮肉を言うのだ。
“REGRET MUST AGAIN REQUEST SICK LEAVE STOP SURGEONS REPORT FOLLOWS STOP KINDLY INFORM ARMOURER SMITH AND WESSON INEFFECTIVE AGAINST FLAME-THROWER ENDIT”
 電報らしい文体だ。意味としては、「残念ながらまた病気休暇を要請し診断書を送る、兵器係にスミス&ウェッソンは火炎放射器には歯が立たなかったと伝えてくれ」という事だろう。
 ベレッタを取り上げられたことについて、かなり根に持っているようだ。
 続く長編7作目の“ゴールドフィンガー”(Goldfinger:1959)では、ボンドの銃は全く活躍しない。作品の最初の段階でボンドはPPKを持っている。しかしオーリック・ゴールドフィンガーに接近するにあたって、変な疑いを持たれないように銃を置いていくのだ。ボンドの武器は靴の踵に仕込んだ2本のナイフだけだ。
 最初の部分に登場するPPKはショルダー・ホルスターではなく、ベルトに装着されている。フレミングは、ジェフリー・ブースロイドに間違いを指摘されたので、バーンズ・マーティン・ホルスターをボンドに使用させることを止めたのだろう。
 短編“危険”(Risico)はゴールドフィンガーの後に起こった事件を描いたものだ。イギリスに供給される麻薬ルートを壊滅させる為に、イタリアにボンドが送り込まれる話だが、この作品の中で、ボンドはPPKを使って銃撃戦を演じている。
 事実上、ボンドがPPKを撃つ最初の作品だ。 
 8作目の“サンダーボール作戦”(Thunderball:1961 )でもボンドはPPKを使う。但し、この作品でPPKを使うのは鮫を殺すときだけだ。
 9作目の“私を愛したスパイ” (The Spy Who Loved Me:1962) は、23歳の女性ヴィヴィエンヌ・ミシェルの一人称で語られる異色作だ。カナダ国境近くの町のモーテルで事件に巻き込まれた女性のもとに、任務を完了して移動中のボンドが偶然現れ、彼女を窮地から救い出すという話で、フレミングとある女性との共著として発表された。
  この小説は、ヴィヴィエンヌ・ミシェルの恋愛遍歴を語るだけで全体の半分近くを費やしている。後半になってやっとジェームズ・ボンドが登場する。
 この時のボンドは、ちょっと趣きが違う。初対面のヴィヴにボンドは、最近カナダで起こったロシアの亡命技術者暗殺計画と、それを阻止した自分の任務についてベラベラと話して聞かせている。その余りの饒舌さに、違和感を感じずにはおれない。こんなおしゃべりなスパイがいて良いのか。
 この作品は、発表されたとき非情に評判が悪かった。ジェイムズ・ボンドが世界を飛び回って敵と戦う姿を期待している読者に対し、カナダ国境近くにあるアメリカの片田舎、レイク・ジョージで、ジェイムズ・ボンドが巻き込まれた小さな事件ということでは、納得して貰えないのは無理もない話だ。番外編というべきだろう。
 ボンドが事件に関わるキッカケも、車がパンクしてしまった、という何とも格好の悪いことから始まっている。
 この作品の中で、ボンドはかなりミスを犯している。自分自身でも、「いつもの調子が出ない」と、ぼやいているのだから困ってしまう。
 亡命者暗殺計画阻止での自分の活躍をヴィヴに話した際に、ボンドは大きなピストルを2挺持っていった、語っている。PPKを大きなピストルとは言わないだろう。
 何しろ、ヴィヴの一人称で語られているのだ。銃の名前は語られていない。この話の舞台となった片田舎では銃撃戦になるのだが、そのとき、ジェイムズ・ボンドは重そうな拳銃を左脇の下に入れているということが、彼女の言葉で語られている。それもグリップを下にしてぶら下がっているというのだ。グリップが下だとするとアップサイド・ダウンかホリゾンタル・ホルスターだということになる。
 クリップ(マガジン)を交換するという表現があるので、ボンドがここで使ったのはリボルバーではないということが判る。それ以上、ここで使った銃が何かを知る手段はない。
 この小説の中で、イアン・フレミングは銃の名称でひとつ、ミスを犯している。ヴィヴが自分自身を守ることができるようにボンドは銃を1挺渡すのだが、この時、ボンドは「これはSmith & Wesson のPolice Positiveだ。本当に人を撃ち殺せるやつだからね」と言っている。
 S&Wにポリス・ポジティブなどというモデルは無い。ポリス・ポジティブはコルトの製品だ。
 かつて“カジノ・ロワイヤル”で、ホテル・スプランデッドのベッドで眠る際、ボンドはコルト・ポリス・ポジティブを枕の下に忍ばせていた。あの時のポリス・ポジティブが再登場というわけかもしれない。おそらくこれがカナダでの任務に持っていった2挺のうちの1挺だ。
 この小説はある女性との共著といっているが、おそらくフレミングが一人で書いたのだろう。1964年夏、イアン・フレミングが死去するまでに残した作品は、子供向けの小説「チキチキ・バンバン」を除けばすべてジェームズ・ボンドの活躍を描いたものだ(別にノン・フィクションは1つある)。作家として、こんな違うものも書けるのだ、という事を見せたかったのかもしれない。
10作目“女王陛下の007”(On Her Majesty’s Secret Service:1963)で、アルプス山中のピズ・グロリアに准男爵サー・ヒラリー・ブレイとして潜入する際にも、一切の武器を持っていなかった。この時、ボンドの唯一の武器はロレックスの腕時計だけだった。この時計は特殊装備ではなく、市販のロレックスである。彼はこれをナックルとして使った。

                     Walther PPK Mark II

 脱出したピズ・グロリアに再び戻り攻撃を仕掛ける際にはPPKを持っていく。何度も繰り返して言うが、戦闘になる確率が非常に高いのにも関わらず、強力な武器を持っていこうという考えはボンドには無いらしい。大藪春彦のヒーローなら、シコタマ武器を・・・(しつこい!)
 11作目“007は二度死ぬ”(You Only Live Twice:1964)で日本に派遣された際も丸腰だった。外交的任務にピストルは不要だからだ。このときのボンドはダブル・オー課ではなく、外交官課の所属となっている。ダブル・オー課から脱落してしまったのだ。
 当然、コードナンバーも007ではない。このときのボンドは7777なのだ。日本の公安調査庁により、日本人に変装させられたボンドは敵地に赴く際に、忍者の装備を渡されるが、武器は2インチのポケットナイフと細い鋼鉄の鎖だけだ。
 この作品の中で、日本の警察がM-14 Automaticを使っているという記述がある。これはかつてブースロイド少佐が候補に挙げた銃のことだろう。言うまでもなく14式拳銃だ。
 12作目“黄金の銃を持つ男”(The Man with the Golden Gun:1965)でダブル・オー課に復帰したジェイムズ・ボンドは再びPPKを持って任務に赴く。今回の任務はフランシスコ・スカラマンガの暗殺だ。スカラマンガはカリブ海域および中米諸国で活動するフリーランサーの殺し屋で、KGBの仕事を請け負うことが多い。射撃の腕は抜群で、英国秘密情報部は何人ものエージェントがこの男に殺された。ジェイムズ・ボンドの敵役として登場した人物で、本格的な銃を持って現れたのはこのスカラマンガが最初だ。彼が使うのはコルト・シングルアクション・アーミー45口径だ。ゴールドメッキが施されている。
 ボンドはこのスカラマンガおよびその一派と、PPKで銃撃戦をする。この時、ボンドは予備のマガジンを3本、持っていた。PPKに装填された7発+1と合わせて32ACPを29発。ジェイムス・ボンドとしてはかつて無いほどのファイヤー・パワーだ。
 この作品の校正作業中にイアン・フレミングは他界した。したがって“黄金の銃を持つ男”は、ボンドの最後の冒険だ。

 “ドクター・ノオ”以降、銃をワルサーPPKに変更したボンドだが、ワルサーに替えてから一度も、サイレンサーを装着した例はない。サイレンサーへのこだわりから、ジェフリー・ブースロイドの推奨したS&Wセンティニアルではなく、ワルサーPPKにしたと思われるが、結果的にはその必要性はなかった。
 しかし、ボンドの銃がスナッブ・ノース・リボルバーであったとしたら、ボンドという人物のイメージはかなり違ってくるように思うのは私だけだろうか?

ボンドの容姿
 黒い髪、右目の上にひと房の髪がパラリと垂れ下がっている、右頬に縦にひと筋、細い傷跡があり、これが海賊みたいな印象を与えている。グレイがかった青い目、あまり色男ではない。
 “カジノ・ロワイヤル”ではこのように言い表されていたボンドだが、その後、結構ハンサムであるということになった。
 “ムーンレイカー”の中で、ボンドの容姿について、ちょっとホーギー・カーマイケルに似ている、と語られている。これはフレミングがどのような顔の男を想定して描いていたかを知る有効な手掛かりだ。体型も似ているという。しかしボンドは、ホーギー・カーマイケルより口元をが意地悪そうで、目は冷たい、という。
 ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)は作曲家であり、映画俳優でもあった。"Star Dust"、"Georgia on My Mind"といったスタンダード・ナンバーを作曲し、自らもピアノを弾きながら歌った。TVドラマ黎明期の“ララミー牧場”などにもレギュラー出演していたらしい。
 ジェイムズ・ボンド作品が映画化されるにあたって、ボンドを演じるショーン・コネリーと会ったフレミングは、「ボンドはこんな感じの男じゃない」とかなり批判的だったらしい。
 確かにホーギー・カーマイケルはショーン・コネリーとは違うタイプだ。むしろ2代目ボンド俳優のジョージ・レーゼンビーの方がホーギー・カーマイケルに近かったように思う。もっとも、その時、すでにフレミングは他界してしまっていたので、ジョージ・レーゼンビーについてのフレミングのコメントは無い。
  “ロシアから愛をこめて”ではボンドの容姿についての記述がさらに鮮明なものとなる。ソビエト連邦国家保安省の資料の中に、ボンドについての詳細な資料があるのだ。
 浅黒い顔でひげはなく、日焼けした右頬に3インチほどの傷あとが白くあらわれている。真っ直ぐなかなり長い黒い眉の下に、大きな鋭い目。髪は黒く、左側で分け、ばっさりと黒い前髪が右の眉にかかるような無造作に櫛の入れ方。長めのまっすぐな鼻から短い上唇。その下に大きくて格好はいいが残忍そうな口。あごも真っ直ぐ張っている。
 身長183cm、体重76kg、体格は骨細、目は青。左肩に傷跡。万能選手で拳銃、ボクシング、ナイフ投げの名手。英語の他にフランス語とドイツ語を話す。
 183cmで76kgというのは、かなりの痩せ型だといえる。というより183cmの身長で76kgは軽過ぎだ。こんなに体重が軽いはずがない。このあたりはフレミングのミスだろう。
 “サンダーボール作戦”の中では、女の視点から見て、背は6フィートぐらいで、歳は30代半ば、澄んだ青い目で色は浅黒く、どちらかと言うと苦みばしったいい男、といった表現で語られている。
 濃紺のスーツにシルクの白いシャツ、そして黒いシルクのニットタイを愛用している。他の登場人物の服のブランドが語られることはあるが、ボンドの服やネクタイについて、何の生地を使ってどこで仕立てたか、といったことは語られない。
 映画では、やたらとタキシードに身を包んだボンドが登場するが、小説ではボンドがタキシードを身に着けていた、という記述はない。ヨーロッパのカジノや夜のパーティなどに出入りする際には、タキシードを身に着けていたかもしれないが、そういったシーンは、ごく一部だけだ。したがってボンドの衣装としてのタキシードのイメージは、映画で作り出されたものだ。
 ジェイムズ・ボンドは撃ち合い以外で奮起することは、美女の車に追い抜かれることだけだと、“女王陛下の007”の中で語られている。ボンドは他の何より、銃の撃ち合いに奮起するということだ。しかし実際に派手な銃撃戦となった例はボンドの作品中では僅かしかない。また撃ち合いに奮起する人物は普通25口径などを選ばないはずだ。
 どうもイアン・フレミングの銃器感覚は妙なズレがある。25口径がかなりお好きらしい。ボンドの敵も25口径を使っている場合が多いのだ。
 “ロシアより愛をこめて”で、スメルシュの殺人鬼グラントは本に偽装した25口径変装銃を使う。
 ゴールドフィンガーの銃はコルト25口径だ。映画ではゴールドメッキのリボルバーだったが、原作ではセミオートだ。“サンダーボール作戦”で登場したスペクターのエミリオ・ラルゴもコルト25口径を使う。
 25ACPはセンターファイアー・ピストル弾としてはもっとも威力が低く、殺傷力も最低だ。これで撃ってもよほどの急所に当たらない限り、相手の戦闘力を奪うことは難しい。すなわち反撃される恐れがあるということだ。
 射撃の腕で威力の小ささをカバーするといえば聞こえが良いが、ベレッタであれコルトであれ、25口径のポケットピストルで正確な射撃は期待できない。銃そのものに精度が無いのだ。至近距離からなら確実に敵を撃つことはできるが、正確に狙ったところに当てることはできない。すなわち腕でカバーすることはできないのだ。
 フレミングが銃を持った写真をみたことがある。小さな写真だが、蝶ネクタイをしたフレミングがタバコを吸いながら4インチバレルのリボルバーを構えているというものだ。 
 本の著者紹介用に、編集者から依頼されてちょっとポーズをとりました、って感じの写真だが、銃はコルトのように見える。顔付きから判断すると比較的若いので、作家デビューから間もないときのような写真だ。ここはベレッタ25口径をもってボンドを気取って欲しかった。このコルト・リボルバー?がどこから出てきたかは定かではない。フレミングの私物だろうか。
 銃の所持に関してイギリスは昔からかなり厳しかった。推測するにフレミングは銃を持っていなかったと思う。銃に関する記述を見ても、彼は銃と射撃に関して、かなりのシロウトであることが明らかだからだ。

ボンドのライフル
 1961年、ビズリーで新しいFNライフルをボンドが射撃する予定だったが、NATOの核爆弾強奪事件(サンダーボール作戦)が発生して実施されなかった。新しいFNライフルとは、おそらくFALの事だろう。時期的にみても、FALが配備され始めて間もない時期だ。
 ボンドが最初に実行した“殺し”は日本人スパイの狙撃だ。これはボンドがダブル・オー課に所属するキッカケとなった事件である。おそらく1941年のことだろう。
 ニューヨークのロックフェラー・センター(Rockefeller Center) RCAビル36階にあった日本の領事館に勤務する日本人の暗号解読専門家を狙撃するというものだ。ロックフェラーセンターはRaymond Hood, Harvey Wiley Corbet, Wallace K. Harrisonらによって設計されたニューヨークを象徴するビル集合体だ。RCAビルとは、現在のGEビルのことで、1932年に建設された。ボンドは300ヤード離れた隣のビルから、レミントン・ライフルでこの日本人を狙撃した。
 この事件は、小説として書かれているのではなく、ボンドがダブル・オー課に所属するキッカケを説明する際(カジノ・ロワイヤル)にその事実を簡単に述べているに過ぎない。時代から判断して、使用したのはレミントンM30だろう。
 短編“読後焼却すべし”(For Your Eyes Only)では、カナダ警察が用意したサベージ(Savage) 99FS 口径25-3000 を使って狙撃をおこなう。
 驚いたことにこの狙撃は英国秘密情報部の正規の任務としておわれたものではない。Mのある種の私怨だ。私怨を晴らすために、Mはボンドを危険な任務に送り込んだのだ。これはMの職権乱用と思われる。
 短編“ベルリン脱出”(The Living Daylights)もまた狙撃物だ。ここで使われるライフルは308口径、ウィンチェスターの射撃競技用シングルショット・ライフルをベースに、兵器部が5連発に改造したものだという。ボンドはビズリーでの試射の際、500ヤードから1秒1発の間隔で5連射している。
 このあたりが良く判らない。シングルショット・ボルトアクション・ライフルを連発式にしたといえば、通常はボルトアクションにマガジンを追加したと考えるのが妥当だ。しかし、いくらボンドでも1秒1発の射撃はボルトアクションでは不可能だ。
 セミオートならもちろん可能だが、セミオートのシングルショット射撃競技用ライフルなどは普通存在しない。
 とにかくこれは得体の知れないライフルだとしかいいようがない。まさかボルトアクション・ライフルをセミオート化したはずはない。ピダーセン・デバイスという例もあるが、現実的ではない。
 このときのボンドの使命は東側のスナイパーの狙撃だ。ファーストチャンスしかない。であるなら、ボルトアクションの普通のスナイパーライフルで十分良かったはずだ。もしフレミングが銃が好きだったら、当時選択できるライフルはいろいろ思いつくだろう。
 イギリスらしさを前面に押し出すなら、BSA Royal Majesticなどを選ぶことができる。ウィンチェスターが良いならWinchester M70を使えばよい。
 ボンドが本格的にライフルを撃つのは、この2つの短編だけだ。

Final note
 以上、ジェイムズ・ボンドの銃について、まとめてみた。ここの載せていない短編の4作品、“珍魚ヒルデブランド ”(The Hildebrand Rarity)、“ナッソーの夜”(Quantum of Solace)、“オクトパシー”(Octopassy 旧題:007号の追求)、 “所有者はある女性”(The Property of a Lady 旧題:007号の商略)には銃は登場しない。
 こうして全てを見てみると、イアン・フレミングの銃器選定の粗が目立った感じではある。しかし、実際問題として、ボンドのようなスパイが日常に持つ銃として、ベレッタ25口径は、非常に相応しいものであると感じる。
 ジェフリー・ブースロイドは批判したが、銃を隠し持つ上においては、大きなものでは難しくなる。すでに書いたように、実際の諜報員が銃を持つとしたら、それは緊急対応用であり、まずは隠匿性を最優先にするべきだ。握り易さを犠牲にしてでも、薄くしたいとして、グリップをテープ巻きにしたことからも、それは感じとれる。
 だからボンドが25口径のセミオートを装備していることは、正しい選択だと思う。但し、彼の場合、ダブル・オー課に所属する以上、極めて危険度の高い場所に乗り込む必要がある。
 そんな時には、もっと強力な銃を持っていくべきだ。実際、ボンドは初期にはコルト45口径を装備していた。しかし敵の本拠に潜入する際に、その強力な銃を持って乗り込むことをほとんど実行していない。ミスター・ビッグの船や、ノオ博士のクラブ島、ブロフェルドの山荘ピズ・グロリアに向かうとき、ベレッタ25口径やワルサーPPK、あるいはS&Wセンティニアルだけを持っていくのは、おかしな話だ。
 通常の武装は25口径でもPPKでも良い。しかし特別危険な場所に行くときは、大型の武器、たとえばブラゥニングM1935ハイパワー・ピストルなどを装備していくとリアリティはずっと向上したはずだ。1950年代から1960年代において、ブラゥニング・ハイパワーは突出して戦闘力の高い銃だった。当時はダブルカアラム・マガジンを有するコンバット・ピストルは他にほとんど例が無かった。またハイパワーは英国軍も装備しているので、英国秘密情報部ダブル・オー課の銃器選択としては無理がない。
 ボンドは第二次大戦中、アルデンヌでドイツ軍との前線にいたことが、“ドクター・ノオ”の中で語られている。また“黄金の銃を持つ男”では、1945年にベルリンにいたことが語られている。
 であるなら、戦争末期にカナダ ジョン・イングリス社製のM1935 HP Mks1を支給されて持っていたとしてもおかしくない。ハイパワーはその時からの愛用品で、現在もそれを使っている、となれば、ストーリーにもっと厚みが出たはずだ。
 ベレッタを手放す際に、あれほど別れを惜しんだボンドだ。戦争中からの愛用銃なら、ことのほか愛着を持っているとしても不思議ではない。
 13発+1のファイアパワーは銃撃戦で力を発揮する。多弾数で窮地から脱出するシーンがあれば、なお面白い。
 ジェイムス・ボンドの物語は、多彩で非常に多くの魅力に満ちている。もっと銃描写に力を入れていれば、さらに面白さが増したはずだ。そんなことを言っても、いまさらどうにもならないことではあるのだが。

Satoshi Maoka
Jan.1, 2006

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