Howa Gas Operation Shotgun + S&W M1000
                                       Dec.7, 2005 掲載

 ライフルをセミ・オートマチック化させるためのガス・オペレーションは、早い段階から実用化されてきた。
 初期においてはプライマー・アクティベイテッド方式やリコイル・オペレーション方式もあったが、これらは短期間で消えてしまった。ローラー・ロッキング・システムも生き残っているが、それはごく一部で、セミ・オートマチックライフル、フルオートマチック・ライフルの作動方式はガス・オペレーションが殆どだといっても良い。
 一方、ショットガンの場合は、長い間ガス・オペレーションは実用化されなかった。ライフルと異なり、1つのショットガンで使用する弾薬は弱装弾から重装弾まで多種多様だ。そのため、ショットガンは安定した回転をガス・オペレーションで得ることが難しいと考えられた。
 ジョン・モーゼス・ブラゥニング開発のロング・リコイル方式(反動利用式)が20世紀初頭より実用化していたこともショットガンにガス・オペレーション・システムが組み込まれなかった理由かもしれない。
 しかし、ブリーチ・ブロックとバレルが一緒に大きく後退し、ブリーチ・ブロックがレシーバー後端にぶつかるロング・リコイル・オペレーションはリコイルが大きい。バレルがリコイル・スプリングで大きく前進する際にもまた大きな振動が起こる。
 それでも、ブラゥニングが開発してから50年間、セミオートマチック・ショットガンといえば、ずっとこのリコイル・オペレーションだった。
 この状態を崩したのはJ.C.ヒギンズ (J.C.Higgins)だ。J.C.ヒギンズM60が市販されたガス・オペレーション・ショットガンの最初の製品といわれている。
 J.C.Higginsはメーカー名ではなく、カタログ販売で有名なシアーズ・ローバック (Sears Roebuck)のブランド名だ。1908年にシアーズのカタログにJ.C.Higginsの野球用品が掲載され、この名前がのちにシアーズのスポーツ用品ブランドとなった。射撃用品もそれに含まれた為、J.C.ヒギンズ・ブランドのショットガンが生まれた。シアーズにショットガンをOEM供給したのがハイスタンダード(Hi-Standard)だった。したがってJ.C.ヒギンズM60はハイスタンダード製であったはずだ。
 ハイスタンダードがショットガンをシアーズに供給し始めたのは1940年代後半だ。1950年代までハイスタンダード・ショットガンはOEMだけだったが、1960年代以降、ハイスタンダード・ブランド・ショットガンの商品展開が始まった。これとほぼ同時期の1961年、J.C.Higginsのブランド名は新ブランドTed Williamsに引き継がれる形で消滅した。
 J.C.ヒギンズに続いてレミントンもガス・オペレーション・ショットガンM58を市場に送り出した。1956年の事だ。
 M58が最初に市販されたガスオペレーション・ショットガンであるという説もある。いずれにしても初期のガス・オペレーション・ショットガンは、装弾の違いによる回転不良は克服されてはいなかった。
 1963年、レミントンM1100の登場で、ガス・オペレーション・ショットガンは本格的な普及が始まった。M1100はどんな装弾でも確実に回転するというわけではない。しかし、その許容範囲は大幅に広がり、実用上問題のないレベルに達したといえる。
 1960年代、日本でも数多くのショットガンが製造させていた。当時、銃を所持することはさほど難しくなかった。一番の障害は、クレー射撃はお金が掛かるという問題だ。普通の会社員では経済的にクレー射撃を楽しむことは困難で、かなり経済力のある人だけの遊びであった。
 そんな中、国産のショットガンは数多く作られていた。川口屋林銃砲火薬店はKFCのブランド名でミロク製の二連銃やパインミシン製造のリコイルオペレーション・ショットガンを販売していたし、SKBも自社製品の販売を活発におこない好調だった。そしてもう1社、日本猟銃精器製作所があった。
 この会社はロング・リコイル・オペレーションの5連発ショットガンを1963年に発売し、フジ・ダイナミック・オートと名付け、7年間に約7万挺を販売した。しかし輸入自由化に伴い海外から撃ちやすいガス・オペレーション・システムを搭載したモデルが輸入されるようになったことで、1970年ごろには売上げが大幅に減少してしまった。

                     Howa Gas Operation Shotgun

 もはやリコイル・オペレーションの時代ではない。セミオート・ショットガンのビジネスを継続させるには輸入銃に負けないレベルのガス・オペレーション・システムを開発するしかない。日本猟銃精器製作所は事業の存続を図るために豊和工業と提携する。
 64式アサルトライフルの製造やウェザビー・ライフルのOEM, 自社ブランドのHowaライフルで知られた豊和工業は、ガスオペレーション・ショットガンの開発技術を日本猟銃精器製作所に提供した。
 そして1971年、国産第一号ガス・オペレーション・ショットガン フジ・スーパーオート モデル2000が登場した。アメリカに遅れること約15年が経過している。
 日本猟銃精器製作所および豊和工業に先を越されたが、川口屋林銃砲火薬店はシンガー日鋼(パインミシン)が製造したKFCガス・オペレーション・ショットガンをすぐに市場投入した。シンガー日鋼はベレッタと技術提携してBeretta A-300をコピーしKFC M100としたのだ。
 SKBもまたガスオートModel G1900を発売し、国産ショットガンも一気にガスオートの時代となった。

 国産第一号ガス・オペレーション・ショットガン フジスーパーオートモデル2000はガス・カットオフ・エキスパンション・システムが採用されている。
 発射時に銃身に開けられたガスポートからシリンダーに導かれた高圧ガスは、ガスピストンを押し、これによってオペレーティングロッドを後方に押す。ガスピストンは移動するとガスポートをふさぐのだが、ガス圧が高いとピストンの動きは速く、ガスポートを早くふさぐことになり、逆にガス圧が低ければガスピストンの動きが緩やかで、ガスポートをふさぐタイミングは遅くなる。これによって常に一定のガスがピストンの動きに作用するわけだ。これによってレギュレーターが無くても、弱装弾から強装弾まで問題なく動かすことが出来る。
 このフジスーパーオートモデル2000の製造は日本猟銃精機製作所、販売を豊和工業が担当したが、豊和はこのショットガンを輸出すべく海外の提携先を探した。
 その結果、最終的にコントラクトを結んだのがアメリカのスミス&ウェッソン(S&W:Smith & Wesson)だ。創業以来、ピストル&リボルバーの製造に特化していたS&Wだったが、この時期、幅広い製品をラインナップに加えていた。S&Wブランドのライフルやショットガン、サブマシンガンだ。S&W唯一のサブマシンガンM76が製造されたのがこの時期だし、ライフルはハクスバーナから供給を受けていた。
 豊和がS&Wに納入したフジスーパーオートはS&W Model 1000として市場投入された。なんのことはない、ライフルやショットガンはS&Wが製造したのではなく、OEM供給を受けたわけだ。

 M1000はアメリカ製ショットガンとは明らかに違う丁重な作りで、確実な作動性は高い評価を受けたが、その価格の安さは豊和としてはかなり苦しいビジネスだっただろう。
 1974年当時のlist price(標準小売価格)は$204.95だ。日本での小売価格はそれを大きく上回る¥143,000-
 同時期、アメリカ国内でRemington M1100の販売価格は$214.95-だった。これはS&W M1000と同程度だが、この価格はむしろ高価なほうでWinchester 1400は廉価モデルで$149.95、Ithaca M51は$189.95, Hi-Standard Supermatic deluxeで$179.95だった。これらはいずれもコンペティターとなるガス・オペレーションのショットガンだ。
 ポンプならさらに安い。Remington M870シリーズで最廉価のモデルは Riot Gunで$119.95でしかない。もちろん高級仕様もあるが、アメリカ人はこの手の銃にきれいな木目やエングローヴを求めない。S&Wが別ラインで供給したポンプアクション・ショットガンS&W Model916 Eastfield Pumpに至っては最廉価モデルでなんと$98.25だ。
 いくら丁重な仕上げで作動性が良くても、この手のショットガンは実用品であり$200程度までが一般的な市場価格というわけだ。
 豊和からS&Wに納入されるM1000の価格は、1挺$100よりずっと低かっただろう。これではビジネスとして成り立たせることはかなり難しかったはずだ。
(為替レート:1949年に $1=\360と定められたが,1971年にニクソンショックでスミソニアン・レート$1=\308に切り上げられ, 1973年から変動相場制に移行し、円高傾向に向って動き出した。1974年当時の為替レートは変動相場制に移行していたため正確にはわからないが、$1=\270〜\300程度だったと思われる。)
 S&Wガス・オートマチックにはひとつの欠点があった。バレルのバスポートから導き出された高圧ガスが、ガスピストンを動かす際、その余剰ガスをガスピストンの前方にリリースする構造だった。こうするとマガジンチューブの延長ができない。ポリス用とした場合、エクステンション・マガジンチューブを付けて装弾数を拡大できることは重要だ。

               フォアエンドキャップ部にあるガス・リリース・ポート

 当時のS&Wは警察関係に絶大なコネクションがあった。ポリス・ピストルはリボルバーであることが当たり前の時代で、ポリス・リボルバー・マーケットはS&Wとコルトの2社で寡占状態であった。
 S&Wはそのコネクションを使用してショットガンを売り込んだ。アメリカの警察はショットガンを多用する。各ポリスカーにはショットガンがほぼ確実に搭載されていた。
 リボルバーでは対処できない武装した犯罪者に対し、アメリカン・ポリスはショットガンで立ち向かうのだ。
 一部のポリス・デパートメントがS&WショットガンM1000を採用したが、この延長不可能なマガジン・チューブは不評だった。
 S&Wはその後、自社のコア・コンピュタンスはピストル&レボルバーであると考え、ライフルやショットガンの販売を止めてしまった。
 1973年初頭、株式会社日本猟銃精機製作所は株式会社フジ精器製作所に社名変更した。フジ・ブランドでのビジネスにより集中する社名変更だった。そして同年、スキート銃として、フジ・スーパーオート・パーフェクトスキート発売した。

               Fuji Perfect Skeet
 その一方で国内市場は冷え込んできた。1971年の銃刀法改正はライフルの所持を大幅に制限したもので、ショットガンに対してはそれほど厳しくなったわけではない。しかし、所持許可申請した際の手続きが面倒になった。
 ゴルフや釣りの場合は許可など不要だ。こうなると、一般的な人達は射撃を敬遠してしまい、射撃人口は減少傾向に進んだ。
 一方で、変動相場制になって円高が進み、高嶺の花だった外国製の銃価格が安くなってきた。
 この厳しい環境で、フジ精器製作所は結局、生き残ることができなくなり、銃器製造事業から撤退してしまった。
 工作機械は豊和が引き継ぎ、Howaブランドでの販売が継続された。Howaショットガンは約20年に渡り製造が続けられたが、残念ながら1990年代中頃、製造中止となった。
 豊和工業は工作機械等の産業用機器を事業の中心としている。動力織機、および紡績機械の製造から出発したこの会社にとって、小火器事業は全体のごく一部でしかない。2005年3月期の総売上¥27,357Mに対し、火器分野は¥3,248Mで12%だ。
 豊和工業が自衛隊向けとして小火器製造技術を維持していることは、一種の国策であろう。ライフルは輸出を主体として製造が続いている。ならば、民生用ショットガンの開発、製造にも再び挑戦することも可能なはずだ。
 もっともガスオペレーション・ショットガンは海外での価格が安く、利益を出しにくい。国内市場は小さい。高価な上下二連銃を開発、製造しようと思っても、今度はその技術がない。上下二連銃は熟練工による手作業の工程があり、89式の量産ができるからといって、それはまた別次元の話だ。またアメリカでは高級二連銃の需要はあまり大きくない。
 そうなるとHowa Shotgunの再登場は限りなく難しいと言わざるをえない。
 射撃場のガンラックに、豊和マークが付いたエンドキャップに見つけることは稀だろう。しかし現在も少数の豊和製ショットガンが生き残っている。この銃は、国産銃が華やかだった時代があったことを示す一つの証だ。

Dec.7, 2005
Satoshi Maoka

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