The History of German Police Pistols ドイツ警察ピストル・ヒストリー Top page : Index

Chapter 8 Conclusion 終章

page 8-1 軍事連絡部、市民警察の武装と国境警備隊の武装
page 8-2 ニーダーザクセン州警察戦後の武装
page 8-3 ニーダーザクセン州警察のライフルとマシンガン
page 8-4 ケルン警察の使用弾数、チャンバーへの装填

       ハノーバー警察の採用していたWalther PP, トリガーガード基部下方にあるマークで識別が出来る

The History of German police Pistols Chapter 8 Conclusion 終章

軍事連絡部
 東西冷戦の時代、東西に分割されたドイツ国境は、ヨーロッパにおける資本主義と共産主義が、直接向かい合う境界だった。その境界線では、水面下で、東西の熾烈な駆け引きが40年以上にもわたってくりひろげられた。
 スティーヴィン・L・トムソン(トンプソン)(Steven L.Thompson)が1979年に書いた小説「A-10奪還チーム、出動せよ」(原題:Recovery)という小説がある。
 東ドイツ領内ポツダムに設置されたアメリカ軍の軍事連絡部は、ソ連軍によって東ドイツ領内におびき出され撃墜されたアメリカ軍軍用機パイロットを、ソ連軍に発見される前に救出する“Recovery(奪還)Team”の基地になっていた。
 一方、西ドイツには、ソビエトの軍事連絡部が置かれていた。
 これら軍事連絡部の要員は、外交クーリエ(伝達使)の名目で、相手側の領内を自由に動きまわれる権限が与えられていた。アメリカ軍事連絡部は高性能車を駆って東ドイツ領内を疾走し、人民警察(ボポ)を振り切ってパイロットを発見し、救出する。
 NATO軍事演習の中、最高機密の攻撃システム ジーザス・ボックスを搭載されたA-10Fが、ソ連軍の陰謀により東ドイツ領内に誘導され墜落するところからこのストーリーは始まる。
 最高機密を守るため、軍事連絡部員マックス・モスは、チューンナップされたフォード・フェアモントで東ドイツ領内を駆け巡り、パイロットの救出と ジーザス・ボックス回収をはかる。その彼を追うソ連軍、東ドイツ警察、そして諜報部。
 この小説は、スピード感にあふれた一級のエンターテイメントだ。
 だが、アメリカ軍諜報部員が、高性能車で東ドイツ領内を自由に走り回るという設定は、あり得ない荒唐無稽なことにもうつる。
 しかし、この設定は、小説作家が勝手に作り出した小説用の嘘ではない。
 ドイツは、戦争に破れ、戦後アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に占領、分割統治された。それぞれの占領地域には、残りの3カ国の軍事連絡部が置かれ、4カ国の情報交換をおこなった。
 ドイツが東西に分離されて、それぞれ独立した後も、東ドイツには、アメリカ、イギリス、フランスの軍事連絡部がそのまま残った。
 他方、西ドイツには、ソ連の軍事連絡部が残された。この状態は冷戦が激化してからも継続された。東西ドイツはそれぞれの領土内に、互いの敵方の拠点が置かれ続けたわけだ。
 国境を超えた軍事連絡部との通信には、秘密が漏れやすいとの理由で、命令書を人間が運ぶ外交クーリエ(伝達使)が使われ、車が交通手段として使用された。
 戦後の混乱の中で、それぞれの軍事連絡部までクーリエが移動する道順を限定する取り決めをすることが忘れられたまま、この制度は調印された。
 そこためクーリエは、相手領内をどのように遠回りをすることも可能だった。しかも、クーリエには外交官に準じた権限が与えられていた。つまり、車両内にとどまる限り、相手は手を出すことができない特権がある。
 クーリエ車両には、所属する国旗が描かれた特別なナンバー・プレートが付けられ、容易に識別出来るようになっていた。
 冷戦中、西側、東側共に、クーリエ車両を諜報活動に利用した。ワルシャワ・パクト軍による軍事訓練などが行なわれると、西側のクーリエは、東ドイツ領内を走り回りワルシャワ条約機構軍の情報を集めたし、ソビエト側も、西ドイツで同じような訓練がおこなわれると、西ドイツ領内を走り回ってNATOの動向を探った。このような状況は、東ドイツが崩壊するまで続いた。
 クーリエ車両にも制約があった。クーリエ車両の搭乗者は、目的地以外、相手国の領土内で車両から降りてはならなかった。また、信号待ちなど、やむを得ない場合を除き、長時間停車してもいけないというルールが互いの間で取り決められていた。
 現実に東ドイツでアメリカ軍将校がクーリエ車両から降りて、新たに配備された新型ソビエト戦車を密かに撮影中、事故を装ってその将校が戦車にひき殺されるという事件も起こった。将校が禁止されていた車両から下りての撮影していたため、事故後、アメリカは、ソビエトに対して表立った厳重抗議をおこなわなかった。
 似たような事例は、冷戦中に多数発生していた。ルールに違反して発見されれば、スパイ活動をしたとされ、重大な結果を招く。最悪の場合、それは死を意味した。
 お互いに利益とならなかったため、ごくわずかな事例を除くと、これらは事故として処理され公になることがなかった。東西ドイツ領内では、両陣営が一般に見えない戦争を繰りひろげていたのだった。
 このような時代背景のもとで、西ドイツの警察武装はおこなわれていた。そのため、政治状況が、警察装備に大きく影響を与えたのは、無理からぬ点があったのだ。

市民警察の武装と、国境警備隊の武装
 西ドイツ警察のピストルは、1970年代まではワルサー・モデルPPピストル、モデルPPKピストルを中心とした7.65mmの中型ピストルだった。
 その後、ドイツ赤軍などのテロが激化したことにより、治安維持を目的として、より威力の大きな9mmパラベラム・ピストルの装備が許されるようになった。これが、西ドイツ警察の武装に関する一般的な認識だ。
 基本的にこの認識は、間違っていない。クリミナル・ポリッツァイ(犯罪捜査警察)またはシビル・ポリッツァイ(市民警察)の装備していたピストルは、1970年代前半まで口径7.65mm×17(.32ACP)が基本的だった。
 冷戦の最中、最前線に立っていた西ドイツの警察は、一般の市民警察だけでなかった。西ドイツでは、国土が戦場になる可能性が高いところから、より重武装で、準軍隊的な性格をもつブンデス・グレンツシュッツ(BGS:連邦国境警備隊)やシュッツ・ポリッツァイも、不可欠な存在として組織された。
 第二次世界大戦後、市民警察より早い時期に、BGSの前身であるランデス・グレンツシュッツ(州警備隊)が組織された。準軍隊の性格が強かったランデス・グレンツシュッツは、最初から9mm×19 (9mmパラベラム)口径のピストルで武装していた。
 ナチ党が絶対権力をもっていた第二次世界大戦の終結まで、ドイツ警察が市民を弾圧したことの反省から、第二次世界大戦後のドイツ市民の間には、警察が過剰な武装をすることに対して強い反発があった。
 この反発を考慮して、一般市民に接する機会の多い市民警察は、ドイツ警察の武装として伝統的だった威力の低い7.65mm×17ピストルを装備することになった。その背景には、当然、政治的な配慮が大きく働いていたのだった。

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