| The History of German Police Pistols 2-3 | |||||||
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Chapter 2 占領時代,1945-1949 |
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| アストラ(Astra)M300ピストル ドイツの警察が使用したアストラ・ピストルの話は、スペイン内戦にさかのぼる。スペインでは、1936年2月の総選挙で、親ソ派の人民戦線政府が成立した。 しかし、政府内部で権力闘争が起こり、スペイン各地で軍が蜂起、政府軍と反乱軍によるスペイン内戦がはじまった。 反乱軍はフランシス・フランコ将軍が実権を掌握,反人民戦線側の最高指導者となった。フランコ将軍は、ドイツ、イタリアに支援を要請した。ドイツ、イタリア両国は、これに応えて反乱軍へコンドル師団などの支援部隊を送り、戦闘に参加させた。一方政府軍(共和国側)は、ソ連から軍事支援と世界各地から集まった義勇軍に支えられ,反乱軍との戦闘が展開された。 マドリード制圧に固執したフランコであったが、大損害を出して敗退。北部地方の攻略に方針を転換し、ドイツ空軍のコンドル師団の本格的航空支援のもと北部全域を制圧した。この時に有名なゲルニカの爆撃がおこなわれた。 ソビエト国内の大粛清の影響でソ連の支援団は引き上げ、ヨーロッパの情勢も変化し、義勇軍で構成されていた国際旅団は支援が枯渇して解散してしまう。兵力を失った政府軍は、反乱軍に撃破された。内戦に勝利したフランコ将軍は、マドリードに入城し,1939年4月1日内乱終結宣言をおこなった。 内戦でフランコを援助していたヒトラーは、日独伊三国同盟の枢軸国にスペインも参加するよう促した。 しかし、フランコは、スペイン国内が三年間の内戦で経済や産業が疲弊して、枢軸国入りの余裕などない、という理由で参加せず、結果的に第二次世界大戦に巻き込まれなかった。 だが、ドイツ,イタリアに対し、スペイン内戦中の支援に対する債務は残った。スペイン内戦中、イタリアは約7万人、ドイツは1万5000人の兵員を投入した。しかし、ソビエトが政府軍への支援を中止して本国に引き上げる際、首都マドリードにあった金塊を、内戦の支援に対する報酬として持ち逃げしてしまい,スペインに債務を支払う余裕はなかった。 そこでスペインは、負債支払いの一部として、第二次世界大戦中に、スペイン人志願兵からなる“青の師団 (Division Azul)”を組織し、ドイツのロシア前線に約二万人の兵員を送り込んだ。 また、兵器が不足したドイツ軍に対して、軍および警察用のピストルを供給した。それらのピストルの中にアストラ モデル300 ピストル, モデル600 ピストルが含まれていた。 アストラ・モデル300は、7.65mm口径で、将校と警察の武装用に用いられた。アストラ・モデル600ピストルは、ブローバック方式で、スペイン軍用の9mmベルグマン・ベアード(Bergmann Bayard:スペインでは9mmラルゴ Largoと呼んだ)を使用するモデル400ピストルを、ドイツ軍制式弾薬の9mmパラベラム用に改造したものだ。これらピストルは、ドイツに向けて戦時中に供給されていたが、連合軍のヨーロッパ侵攻によりスペインからの供給ルートが寸断されて、ドイツに送ることができなくなった。 敗戦によりナチス・ドイツは崩壊した。しかし、ドイツとスペイン間のピストルの供給契約は、国家間の契約として残っていた。スペインは、戦後のドイツ警察用に、その契約の履行が求められ、アストラ・モデル300 ピストルを多数供給した。
アストラ ・モデル300 ピストルはスペイン軍用であったモデル400の小型版でカンボ・ヒロ(Campo Giro)M1913を原形としている。その後,ブラゥニング・モデル1903及びモデル1910 ピストルの影響も受け,インターナル・ハンマー,グリップ・セフティ,マズル・ブッシング,フレームとバレルのロッキング等はブラウニング・ピストルに近い。7.65mmと9mmショートで生産され,ドイツに輸入されたものは7.65mm版だ。ドイツ警察は多数のモデル300を使用した。 1945年から1949年の占領時代に使われた警察ピストルとして、その他にベルギー製ブラゥニング・モデル1910ピストル等もある。これらのピストルについては、次の章でお話する。 “chapter 3: ワルサーの時代,1950年-1969年”は4月中旬に掲載予定 Chapter 2 占領時代,1945-1949 |
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