2-1 Page 1 : 占領,そして分裂, P08, Walther P-38
2-2 Page 2: S&W Military & Police, Unique M17/M17R, Enfield No.2 MKI
2-3 Page 3 : スペイン内戦,Astra Model 300
占領,そして分裂

 ドイツは追いつめられていた。反攻に転じたソビエト軍が東から押し寄せ、フランス・ノルマンディーに上陸したアメリカ、イギリス、フランスなどの連合軍が西から押し寄せてきた。さらにイタリアがムッソリーニに反旗をひるがえして連合国に加わる。
 ベルリンの総統防空壕でヒトラーが遂に自決。1945年5月8日、カイテル元帥はドイツを代表して無条件降伏文書に署名した。ヒトラーが1000年間続くと豪語した第三帝国は、12年3カ月でその歴史を閉じる。
 ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連によって分割占領された。4カ国は、共同してドイツの占領行政をおこなうことになっていたが、各占領地区ではそれぞれの占領国が実質上の統治権をもっていた。4カ国による占領は、その後,4年半続いた。
 この占領期間に、ドイツは西側3カ国占領地域とソビエト占領地域(SBZ)とに分断されていく。西側3カ国占領地域の占領行政の主導権は、アメリカに集中していった。イギリスやフランスは、当初独自に占領行政をおこなうつもりだったが、自国が第二次世界大戦によって疲弊していた為、アメリカの発言権の拡大を制限する事はできなかったのだ。
 ドイツを占領した各国は,ドイツを民主主義国家として再建するため協力していくはずであった。そしてドイツ共同占領行政は、政治体制の異なるアメリカとソビエト両大国の協調が可能かどうかの検証の場でもあった。
 だが現実には、アメリカとソビエトが対立し、冷戦構造ができあがる。ソビエトは、東ヨーロッパ各国を強い影響下に置き、さらにギリシャ,トルコ,イランなどにも強い影響を及ぼそうとした。国力に余裕のなかったイギリスに代わりアメリカは、それらの地域を援助してソビエトの影響を排除するトルーマン・ドクトリンを発表する。
 加えて、戦争に疲弊したヨーロッパ復興のため、アメリカはマーシャル・プランを発動させた。マーシャル・プランによる援助は、西ヨーロッパだけでなく、東ヨーロッパにも提供されるものだった。
 ソビエトは、アメリカがヨーロッパ全域に強い影響力をもつことに反発。1948年、チェコスロヴァキアに共産党政権を樹立させた。アメリカとソビエトの対決構造は明白となる。
 ソビエトは、占領4カ国で構成されたドイツ管理理事会から脱退した。そのため、以前から機能不全におちいっていたドイツ理事会は、完全に機能停止してしまった。
 西側占領3カ国は、統一通貨だったライヒスマルクを廃止、新マルクを占領地域に導入した。これによって西側3カ国占領地域は、統制経済から自由な市場経済への転換する準備が整う。ソビエトはこの政策に強く反発、4ヶ国間での通貨問題が話し合われるが、話し合いは決裂した。そして、ソビエト占領地域でも独自の通貨改革が行なわれた。
 こうしたアメリカとソビエトによる冷戦構造の進行は、ドイツの東西占領地区の分断を深め、次第に2つの国家としての実体をもつようになる。
 1949年5月、西側占領地区では、ドイツ憲法に相当する基本法が制定され、ドイツ連邦共和国(BRD:西ドイツ)が誕生した。他方、ソビエト占領地域は、社会主義統一党(SED)を結党し、1949年10月にドイツ民主共和国(DDR:東ドイツ)となる。
 話をドイツが無条件降伏した1945年に戻そう。ドイツは荒廃と混乱を極め、社会生活全般が崩壊していた。ライン川に掛かっていた22の鉄橋はすべて破壊され、連合軍の激しい空襲による膨大なコンクリートの残骸がドイツ都市部を覆っていた。
 廃墟と化した都市から農村に疎開する人々が増大し、ドイツ国内へかつてドイツの占領地だったポーランド、チャコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビアから追放されたおびただしい数のドイツ人が帰還してくる。東ヨーロッパからの帰還者は、1947年までに1,300万人に達した。破壊された都市部に彼らの住むスペースはなく、食料事情も極度に悪化していった。
 この混乱に対し,占領軍は、治安維持のためにドイツ警察を新たに組織した。再建ドイツ警察は、戦後まもなく占領軍の軍警察(MP)とともに治安活動を開始する。
 再建ドイツの警察官は、ピストルを装備し治安維持活動をおこなった。その際に使用されたピストルは、ドイツに残っていたものの寄せ集めであり、旧ドイツ軍制式ピストルのモデルP38ピストル、モデルP08ピストル、旧ドイツ軍将校や警察の標準ピストルだったワルサー・モデルPPピストル、ワルサー・モデルPPKピストル、マウザー・モデルHScピストル、ザゥアー&ゾーン・モデル38(H)ピストルなどだった。それらドイツ製のピストルに加え、戦時中にスペインに発注したまま納入されていなかったアストラ・モデル300ピストルアストラ・モデル・600ピストルが戦後輸入され、警察用に供給された。その他にもドイツ警察の武装用に、占領各国は自国製のピストルを持ち込んで貸与した。占領期間中のドイツ警察は、多機種のピストルを使用していたのである。

ピストーレ・ヌル・アハト(P08:Pistole 08)

 いわゆるルガー(Luger)P08ピストルで、ピストーレ・ヌル・アハトは、ドイツ軍のピストル制式名だ。
 モデルP08ピストルは、ドイツ系アメリカ人のヒューゴ・ボルヒャルト(Hugo Borchardt:英語読みヒューゴ・ボーチャード)が1890年頃に設計したセミ・オートマチック・ピストルを原形とし、改良されて完成された。
 このボルヒャルト・ピストルが開発された当時、アメリカのガン・メーカーは、あまり興味を示さなかった。そこでボルヒャルトは、ドイツに渡り、ルドウィック・ローべ社と契約を結んで、ボルヒャルト・ピストーレC93(Borchardt Pistole C93)の名前で1893年に生産を開始した。
 しかし、このトグル・アクション(Toggle action)を組み込んだピストルは、大きくかさばるうえにバランスが悪く、けして完成度が高いものでなかった。
 1897年、DWM(Deutsche Waffen und Manitionsfabriken:ドイツ・兵器・弾薬製造会社)が、ボルヒャルト・モデルC93ピストルの製造を受け継いだ。DWMのエンジニア,ゲオルグ・リューゲル(Georg Luger)は、このピストルを小型・軽量に改良した。完成されたプロト・タイプが、試作モデル1898ピストル試作モデル1899ピストルだ。
 試作モデルを発展させた量産型がモデル1900ピストルとなる。DWM社は、量産型ピストルをパラベラム ピストーレ(Parabellum Pistole)名付けて販売を開始した。ドイツでは、現在でも一般的にルガー・ピストルとは呼ばず、パラべラム・ピストルと呼ばれている。 パラべラム・ピストルをアメリカへ輸入して販売したニューヨークのストーガー(Stoeger)社は、パラべラム・ピストルの開発を担当した技術者ゲオルグ・リューゲル(英語読みジョージ・ルガー)の名前をとって、勝手にルガー・ピストルと名付け、登録商標とした。アメリカでは,現在でもこの名前が広く知れ渡っている。

  さらに改良を続けたパラベラム ・ピストーレは、1904年にドイツ海軍によって採用され、マリーネ・ピストーレ04(Marine pistole 04)の制式名が与えられた。1908年になるとドイツ陸軍も、制式ピストルとして改良型を選定し、ピストーレ08(P08)の制式名が与えられた。
 モデルP08ピストルは、1909年から1918年までの間に156万挺以上が生産された。しかし、第一次大戦後、ドイツはベルサイユ条約によって、口径が9mm以上あり銃身長が10cmを超えるピストルの製造を禁止されたてしまった。
 1936年、ドイツ国防軍(ベアマハト)が再軍備した時に、再びモデルP08ピストルは,制式拳銃として採用された。ナチ政権下で、はじめハインリッヒ・クリーグホフ社が、続いてマウザー社が製造を担当した。後にワルサー社の開発した近代的なモデルHPピストルピストーレ 38(P38)としてドイツ軍に採用された後も,1942年までモデルP08ピストルの生産がマゥザー社で継続された。
 ドイツが敗戦した時点で、多数のモデルP 08ピストルが国内に残っていた。これらが再建ドイツ警察によって使用された。とくにソビエト占領地区では、ソビエト軍による武装解除で捕獲されたモデルP08が、ソビエト占領地域警察の武装に使用された。
 写真のモデルP08ピストルは、標準的なマゥザー社製で木製グリップが装備され、アルミニウム製のマガジン・ボトムピースを付属している。マニュアル・セフティは、安全の位置にあり、GESICHERT(ゲジッヒャート:安全)のドイツ語表示が見える。

P38 (Pistole 38)(ピストーレ・アハト・ウント・ドライチッヒ)
 1929年にワルサー社が発売したワルサー・モデルPPピストルは、ダブル・アクション・トリガーと信頼性の高いセフティ・メカニズムで、高く評価された。
 再軍備に向けて準備をすすめるドイツ軍部は、モデルPPピストルをベースにドイツ軍制式ピストル弾を使用できる近代的なピストルに改良することをワルサー社に要請した。ワルサー社は、ドイツ軍制式弾薬9mm×19(9mmパラベラム:parabellum))を使用できる大型のモデルPP MP(ポリッツアイ・ピストーレ・ミリタリッシェ・ピストーレ)ピストルを試作、並行してモデルAP(アーミー・ピストーレ)ピストルを試作した。最終的に設計されたモデルHP(ヘーレス・ピストール)ピストルが、ドイツ軍の制式ピストルに選定されてピストーレ 38(P38)の制式名を与えられた。

  ドイツ軍によって、1939年に制式ピストルに選定されたモデルP38ピストルは、第二次世界大戦が終わった1945年までに、1,235,000挺が生産された。ワルサー社とモデルP38ピストルについては、徳間文庫「ワルサー・ストーリー」床井雅美著を参照されたい。
 写真のモデルP38ピストルは、マゥザー社で1944年に製造されたことが、スライドのbyfと44の刻印からわかる。第二次世界大戦終結後にマゥザー社の工場を接収したフランス軍は、自国の軍隊用として1946年までに、40,000挺のモデルP38ピストルを生産させた。フランス軍向け生産されたモデルP38ピストルは、スライドにsvwの刻印が打たれ、スチール製のグリップが装備された。
 モデルP38ピストルは、ワルサー・モデルPPピストルモデルPPKピストルの大型化モデルだが、セフティ・メカニズムがさらに改良されている。
 モデルPPピストルやモデルPPKピストルは、セフティをロックするとファイアリング・ピンをセフティ・レバーの軸がロックし、ハンマー・ブロックが降下してハンマーの前進を阻止する。セフティ・レバーを回転させて解除すると,ファイアリング・ピンのロックが解除される一方,フレーム内のハンマー・ブロックは、降下したままの位置にとどまり、ハンマーの前進を阻止しつづける。ハンマー・ブロックは、トリガーを引ききった時だけシアの動きで上昇して解除される。
 モデルPPピストルやモデルPPKピストルは、実用上十分な安全性をもっていたが、モデルP38ピストルの安全機能はさらにそれを上回る。モデルP38ピストルのセフティは、ハンマー・ブロックによってハンマーの前進を阻止するのではなく、ファイアリング・ピンそのものをブロックで自動的にロックし、マニュアル・セフティ解除後もロックを続ける。トリガーを引ききった時のみ、ブロックが解除されるオートマチック・ファイアリング・ピン・ブロック・セフティだ。
 実用上の安全性は、ワルサー・モデルPPピストルやモデルPPKピストルと同じだが、ファイアリング・ピンを最後までブロックするほうがより完全な安全性が得られる。戦後,ダブル・アクションとハンマー・デコッキング機能を組み合わせたセミ・オートマチック・ピストルが、多機種登場した。しかし、このオートマチック・ファイアリングピン・ブロック方式が一般的になるのは、すっと後になってからだった。
 たとえば、S&W社モデルM39ピストルは、ダブル・アクション・トリガーを備えて、戦後に発売したが、ハンマー・ブロックもファイアリングピン・ブロックも備えていなかった。S&W社のダブル・アクション・セミ・オートマチック・ピストルが、オートマチック・ファイアリングピン・ブロックを備えるるようになったのはモデル439ピストル以降だ。イタリアのベレッタ(Beretta)もワルサー・モデルP38ピストルのメカニズムを取り入れてベレッタ・モデル92ピストルを設計したが、安全機能でモデルP38ピストルに及ばなかった。安全機能でモデルP38ピストル並みになるのは、モデル92SBピストル(M92Fの1つ前のモデル)になってからである。
 戦後型ワルサー・モデルP38ピストルの発展型ワルサー・モデルP4ピストルは、さらにセフティ・メカニズムを改良し、デコッキングレバーの操作でファイアリング・ピンをハンマーの打撃面から移動させる機能まで追加した。
 ワルサー・モデルP38ピストルの安全機能は、1930年代に開発されたものとして卓越したものであった。

                       

Chapter 2 占領時代,1945-1949
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