Beretta M90               2007年1月23日掲載

 ベレッタM90と呼ばれる32ACPのセミオートマチック・ピストルがある。非常に美しいピストルだ。20世紀初頭にベレッタがセミオートマチック・ピストルの分野に進出し、今日まで独自のアイデンティティを持った製品を数多く供給してきたが、M90はその中にいくつか存在する異端児だ。
 過去の製品であり、商業的にも成功しなかった為、もはやだれもM90に注目することはない。しかし、私はなぜ、このような美しい異質の製品が登場したか、推測してみたいと思う。

 Gun Control Act of 1968(GCA68)は1963年に発生したケネディ大統領暗殺を受けて、1968年に施行されたアメリカ合衆国の銃器規制法だ。それまでのFederal Firearms Act of 1938(FFA38)に代わる連邦法で、その内容は以下の通り。

 FFL (Federal Firearms Licence)を保有しないもの、すなわち正式なガン・ディーラー・ライセンスを保有しない者による銃器の州間取引の制限
 郵便による銃器移送の制限
 郵便による弾薬の移送の制限
 銃器購入可能な年齢下限の設定
 国産、輸入品を問わず、全ての銃にシリアルナンバーを刻印することの義務化
 銃器所持禁止者カテゴリーの拡大
 スポーツ目的と見なされない銃の輸入禁止
 購入時の書類をForm 4473へ変更
 サタディナイト・スペシャル(Saturday Night Special:低価格粗悪ピストル)に的を絞った輸入小型火器の禁止
 銃器使用犯罪に対する判例ガイドラインの作成

 以上の内容である。これがどれだけ犯罪抑制効果があったかは、かなり疑問だ。銃の購入はFFLを保有するディーラーを通じておこなうことを促進し、購入時に身元確認を徹底しようというわけだが、犯罪者は法律を守らない。法律を強化しても犯罪抑制にはあまり効果がない。
 サタディナイト・スペシャル(SNS)と呼ばれる低価格粗悪品の銃は、安価であることで容易に入手ができ、犯罪に使われやすいという側面がある。アンダーグラウンドでの売買も盛んだ。しかし、サタディナイト・スペシャルというものについて基準は無い。そこで輸入品の全長と全高の和が一定数に達しないものをサタディナイト・スペシャルと見做した。しかし輸入小型ピストルだけを規制して、何か意味があるのだろうか。
 当時、そういった低価格粗悪品は海外から流入したものが大半だったのかもしれない。しかし、大きさだけを基準にした結果、サタディナイト・スペシャルを規制するつもりが、歴史に残る名銃も規制してしまった。ワルサー(Walther)PPKやブラゥニング(Browning) 380(M1910)などだ。
 PPはOKだがPPKは寸法が足らない。結果として、ワルサーの輸入代理店であるインターアームズ(Interarms)は、PPのフレームにPPKのバレルとスライドを載せて寸法規制をクリアした。PPK/Sはこうして誕生した。
 ブラゥニング・アームズはFN M1910のバレルとグリップ・フレームを延長し、アジャスタブルサイトを搭載したターゲット・ヴァージョン Type 1971で対応した。
 その他にもヴェストポケットモデルと呼ばれる25ACPの輸入小型ピストルはすべて規制の対象となった。もともとこれらのクラスの銃はアメリカではあまり人気がない。
 パワー重視のアメリカでは、“25口径で人を撃ったら、逆上されて殴り返される”とか“25口径では犬も死なない”という意見もある。現実問題、25口径で撃たれたら、かなりのダメージはあるし、急所を撃たれれば死ぬだろう。しかし、1発で相手を倒せない可能性が高い銃は、アメリカ人には受けない。
 ベレッタもこのGCA68でヴェストポケット・モデルの米国輸出ができなくなった。対象となったのはM950で、22ShortモデルはMinx(おてんば娘)、25ACPモデルはJetfireと呼ばれていた。そしてM950をダブルアクション化したM20も引っ掛かった。
 ティップアップ・バレルを持ち、スライドを引くことができない非力な女性の護身用というニッチ市場を狙ったものだが、それなりに需要があったのだろう。GSA68を睨んで、S&Wはエスコート(Escort)という22LRのヴェストポケット・モデルを1968年に登場させた。
 もとものこれらのヴェストポケットモデルは1920年代にヨーロッパで流行したものだ。
 それらが輸入できないとなれば、国産品の需要が高まる。S&Wはそう解釈したのだろう。
 25ACPより若干威力があり、弾薬が圧倒的に安い22LRでエスコートを作った。22LRであることが新鮮であったが、このエスコートは売れ行きが悪く1973年には早くも製造を中止した。しかし製造中止後に人気が出て品薄になるというのは皮肉なものだ。
 低威力カートリッジの人気が無いアメリカでは、25ACPより1ランク上の32ACPですら人気がない。1968年当時、ヨーロッパの警察ピストルは32ACPが主流であった。
 パワー重視のアメリカ人から見ると、32ACPも豆鉄砲に見えたのかもしれない。
 そのころ、このクラスのセミオートマチック・ピストルはダブルアクション化が進んでいた。1929年、ドイツのワルサーがダブルアクション・トリガーメカニズムを組み込んだセミオートマチック・ピストル・モデルPPを登場させた。その後、ワルサーPPK、HP, P-38,マゥザー(Mauser)HSc, ザゥアー&ゾーン(Sauer & Sohn)M38H、メンツなどが次々登場し、戦前戦中のドイツはダブルアクション・オートの先駆者であった。
 ドイツの敗戦でドイツ銃器産業が一時解体されたこともあって、セミオートマチック・ピストルのダブルアクション化は戦後になっても、あまり進まなかった。
 アメリカでダブルアクション・セミオートマチック・ピストルの量産モデルが登場したのは1955年のS&W M39が最初である。その後もセミオートのダブルアクション化はゆっくりとしか進まなかった。それでも中型セミオートマチックを中心に徐々にダブルアクション化が広がっていった。大型モデルにまでそれが広がるのは1970年代に入ってからである。
 1960年代に製造されていた32ACP, 380ACPクラスのダブルアクション・セミオートマチックはヨーロッパ勢がマゥザーHSc, ヘッケラー&コッホ(Heckler & Koch) 4, アストラ(Astra)コンスタブル(Constable), トルコのクルッカレ(Kirrikkale:MKE TPK), ワルサーPP, PPK ,そしてアメリカ製のスターリング(Sterling)M400, インディアン・アームズ(Indian Arms)  などだ。
 その中では先駆者であるワルサーPPKが、依然としてダブルアクション中型セミオートマチックの代表的モデルであり続けた。
 しかしGCA68にワルサーPPK、そしてワルサーのダブルアクション・ヴェストポケット・モデルTPHが引っ掛かった。PPKはわずかに寸法が足らない。
 ダブルアクション・セミオートの先駆者PPKがアメリカ市場から消える。イタリア・ベレッタ社の一部の人達はこれをチャンスと思ったのではないだろうか。
 アメリカでは32ACP, 380ACPクラスの中型セミオートマチックに人気がないといっても、アメリカはマーケットサイズとして圧倒的に大きい。
 ベレッタもM950, M20が輸出できなくなったが、今、ワルサーPPKに代わるモデルを投入すれば、中型オートマチックの市場シェアを奪うことができるかもしれない。ベレッタがそう考えても不思議ではない。
 中小型ピストルを得意としていたベレッタは、当時、まだ中型ダブルアクション・モデルを持っていなかった。ヴェスト・ポケット・ピストルでは他社に先駆けM20 を出したのに、ちぐはぐな戦略だ。
 1958年にベレッタM1934の後継機としてスマートな新型M70を市場に送り込んでいたが、これはシングルアクションだ。そのとき、ベレッタはダブルアクションが今後のトレンドとなるとは考えなかったのだろうか。
 1960年代末、ベレッタはPPKに似た異端児モデルM90を登場させた。
 このとき、ベレッタ社内では意見が割れていたと推測する。M70は依然としてベレッタ中小型モデルとして主力製品だ。もし新型を登場させれば、市場の送り出してまだ10年少々しか経過していないM70のイメージが一気に旧式モデルになってしまう。一般的にピストルは、開発後10年経過しても、まだ新型と呼んでも差し支えない場合が多い。10年程度でまっさらな新型を出せば、旧モデルが失敗作だったとメーカーが認めたことになってしまう。近年は商品サイクルが短くなってきているが、当時は簡単にモデルチェンジなどしなかった。
 ダブルアクションの中型モデルを持っていないのは、ベレッタだけではなかった。FNブラゥニングもダブルアクション・モデルを持っていなかったし、イタリアのベルナルデリ(Bernardelli)も、このクラスではシングルアクションのモデルM60しかなかった。スペインのスター(Star)、ラマ(Llama)もシングルアクション・モデルしかなかった。だからベレッタだけが取り残されているというわけではない。
 しかし、確実にダブルアクション化の波が進んでおり、このままでは、本当に取り残されると危惧する勢力もベレッタ社内に存在していたのだろう。イギリス映画では、ジェイムズ・ボンドが上司Mからベレッタを取り上げられ、代わりにワルサーを使えと指示されているではないか。
 イアン・フレミングの原作では25ACPのベレッタが取り上げられ、代わって32ACPのPPKが与えられていたが、映画では、ベレッタM1934をワルサーPPKに切り替えられたように見える。これはベレッタにとってはたいへんなイメージダウンだ。
 その憎っくきワルサーPPKがGCA68の影響でアメリカ市場から追い出された。これはチャンスだ。
 ベレッタ社内のダブルアクション推進派は、ベレッタの本拠のあるブレッシア地区ガードネの設計部門を動かずことはできなかったと思われる。そこでベレッタ・ローマ工場に設計を託した。そしてM90が生み出されたのではないだろうか。
 M90はベレッタ・ピストルの伝統を破った製品だ。M1915から連綿と続くオープン・トップ・スライドを止め、独立したエジェクション・ポートを持つ通常のスライド・カバーとした。
 PPKの後釜に座るのであれば、PPKに似ていたほうが良い。これは私の推測だ。
 ベレッタ独特のスライド上部にある大胆なカット・デザインはジャムを起こしにくくするというメリットはあるものの、スライドの重量を稼ぐには不利で、また強度上の問題もある。デザイン上、ベレッタのアイデンティティ、オリジナリティを継承することと、銃としてのあるべきデザインの間で、ジレンマを感じていたエンジニアはベレッタの中にいたはずだ。
 伝統の打破、それは本社ガードネの中ではできなくても、遠く離れたベレッタ・ローマならできた。私にはそう見える。
 流れるような美しいラインはさすがイタリアだ。これを見れば、PPKが急に不細工に見えてくる。流線型にこだわったマゥザーHScも、実は野暮なデザインであったことが露呈してしまう。
 スライド・カバーの大きさに比べて、グリップが小さいという印象もあるが、これを小さくまとめておかないと、大振りな印象を与える可能性もある。グリップフレームはアルミニューム・アーロイ製だ。
 M90は32ACPのみが供給された。アメリカ市場では32ACPは相手にされない。最低でも380ACP以上でないと売れない。中小型ピストルを作る他メーカーは、そのほとんどが32ACPのみならず、380ACPモデルをラインナップに載せ、アメリカ市場にも売り込んでいた。
 M90の380ACP仕様や9mmポリス用の試作もあったが、実現しなかった。380ACP仕様を出さなかったのはビジネス戦略上の失敗だ。
 現実には、M90を380ACPにしても撃っていて楽しくないだろう。ストレートブローバックでこのグリップサイズだと、リコイルがストレートに手に掛かり、痛い思いをするはずだ。PPKの380ACPもきつい。グリップを大きくすると、この問題は消える。
 ベレッタも従来のライン、伝統のオープントップを継承する正統派M70は、ちゃんと380ACPモデルをアメリカ市場向けに製造していた。
 セフティは、ダブルアクション・セミオートには珍しく、フレーム左後方に位置している。デコッキング機能はない。このセフティをonにすると、ハンマーがロックされ、シアとの関係を絶たれる。コックされた状態なら、そのままロックされる。ハンマーをダウンさせてonにすれば、ハンマーを起こすことができなくなり、スライドもロックされる。
 マガジンキャッチはフレーム左側面、トリガーガードの後ろで、理想的な位置にある。由緒正しいM70は、左側フレーム下位置後方にマガジンキャッチがあり、実に使いにくい。異端児M90はそれを改善している。
 M90には、この中小型ピストルには極めて珍しい、外部露出型のマニュアルのスライド・ストップ・レバーがある。無いよりあったほうが絶対に良いパーツだが、中小型のポケット・ピストルの場合、内蔵される場合がほとんどだ。ベレッタはM70でもスライドストップが露出していた。このエクスターナル・スライドストップ・レバーは初期型にはなく、途中で追加されたものだ。
 バレルはステンレス製で、エキストラクターがチャンバー・インジケーターを兼ねている。
 フィールド・ストリッピングはワルサーと良く似ている。スライドを後方に引いて、ロックを解除し、スライド後部を上に持ち上げて、前方にぬきとる。ワルサーはスライドを後方に引く際に、トリガーガードを押し下げることで、所定の位置より後ろまでスライドが下げられ、ロックを解除できる。
 一方、ベレッタM90はスライドを後方に引き、スライドストップをかける。するとフレーム側面にディスアッセンブリー・レバーが現れるので、それを回転させ、ロックを解く。するとスライド後部を上に持ち上げることができ、スライドを前方に抜くことができる。
 グリップは2ピースで、フレーム後部をカバーするプラスチック製だ。サムレストが付いている。 伝統破りのスライド・カバーは、残念なことに市場から否定されてしまった。「ベレッタらしくない」、「ベレッタもワルサーのコピーを作った」と見られてしまった。M90は決してワルサーのコピーではない。ダブルアクション・メカニズムも違うし、デコッキング・セフティもない。
 しかし伝統のデザインを放棄した結果、ワルサーのコピーという印象を与えてしまったのは誤算だった。GSA68でアメリカ市場からForced outされてしまったワルサーPPKのマーケットを狙った思惑が透けて見えてしまったのかもしれない(これは私の推測だ)。
 結果としてベレッタM90はあまり売れなかった。インターアームズがワルサーPPのフレームにPPKのスライドとバレルを組み合わせたPPK/Sを登場させ、GSA68を簡単に回避してしまったことも、M90の苦戦に繋がったのかもしれない。
 M90は1970年に登場し、1984年までの15年、細々と販売が継続された。ベレッタは1977年、満を持してM81, M84そしてベレッタ史上、最大のヒット作M92Fの原型、M92を登場させた。M81, M84は32ACP,380ACPのダブルアクション・ピストルであり、M1934、M70に続くガードネ発の正統な継承モデルだ。ベレッタのデザイン的な特徴である、スライド上部の大胆なカットが復活した。M92もM1951をベースにダブルアクション、ダブルカアラム・マガジンを採用したニューモデルだ。
 文献ではM90の製造は1969年から1983年と記されているものがある。M81, M84が登場で、異端児M90は引導を渡されたわけだが、おそらく大量の在庫があったのだろう。実際の製造は70年代中期で終わった可能性が高い。


 M90以降、ベレッタは伝統のオープン・トップを捨てる試みを繰り返している。ロテイティング・バレルの8000Cougarでトライしたが、市場はM92系の継続を選択した。
 伝統のデザインを継承しようとしながら、ティルトバレル・メカニズムを取り入れようとした9000Sは完全な失敗だった。
 そしてCougarに代わるものとして、2005年、ベレッタはPX4Stormを送り込んだ。今度こそ、オープントップの伝統を捨てたのかと思ったが、翌2006年、伝統の92F系の最新型90Twoが現れている。
 ベレッタがセミオートマチック・ピストルの分野に進出してから、あと数年で100年が経過する。
 100年前のスタイルが今も続く。それはベレッタのアイデンティティとしてプラスなのか、あるいはスライドの強度を下げ、ロッキング・メカニズムに制約を与え、45口径化を阻むマイナスのファクターなのかはまだ判らない。
 近年、ベレッタのデザインを担当するジウジアーロの目には、オープントップはどう映っているのだろうか。

 1960年代末期、伝統を無視したM90は美しかった。それが本当にワルサーを意識したものなのか、それとも自由な発想でデザインした結果なのかは今となっては判らない。しかし私はGSA68を受けて、市場からforced outしたワルサーPPKの座を狙ったものだと考える。あの時はまだ、オープントップを捨てないといけない理由は無かったからだ。
 そしてイアン・フレミングがベレッタに与えた無神経な?仕打ちに対して、製品での逆襲という意味もあったとしたら面白い。もっともベレッタがワルサーを市場で圧倒するのには、もっとずっと後のことだ。

Jan.23, 2007
Satoshi Maoka

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