Alpha state's shoot affairs ハワイ射撃事情 by Satoshi Maoka
Manifest Destiny 明白な運命(ハワイ王国の消滅)
Sporting Clay Shooting スポーティング・クレーシューティング
Shooting Ranges in Honolulu ホノルルの射撃場
Manifest destiny 明白な運命(ハワイ王国の消滅)
ハワイ(Hawaii)という単語は,最後に“i”が二つ並んで“ii”となっている。英語ではあり得ないことだ。この地名は、ハワイ語に由来する。英語では, hewa:jiと発音し、アクセントは“a”に当たる。ハワイ語だとハワイッイと発音する。
アメリカ合衆国は、国内のどこも英語だけが公用語だ。様々な民族が集まって作られた国家であるアメリカは、ひとつの言葉を共通のものとして中心に据え、国家を統一していった。
しかし、唯一、ハワイだけが、英語と共にハワイ語も公用語として認められている。
ハワイ諸島は太平洋の真ん中に位置している。近くには大陸や島は存在しない。しかし、ジェームズ・クック(Captain James Cook)船長が1778年に訪れる以前から、この島々には先住民族が住んでいた。
これは驚くべきことだ。いうまでもなく、人類は世界の各地で自然発生したのではない。現代人は、人種民族の違いを超えて、アフリカに起源(いわゆるOut of Africa)を持つ。アフリカ全土にひろがり,中東をへてヨーロッパに広がっていった。それは陸地を移動して拡大していく。現代では海に遮られている場所へも、かつては陸続きであったために、移動出来た。氷河期の海抜は現在よりかなり低い。
80万年前には、海を渡る技術も手に入れている。ゴンドワナ大陸分断以降、一度も陸続きではなかったオーストラリア大陸へ、人類は遅くとも5万5千年前に足を踏み入れている。
海を渡るといっても、それは陸地から目視できる場所を目指しての移動だ。遠距離航海技術が確立されていない時代に、遠い場所に存在する島へ正確に移動することは殆ど不可能だ。それは有史以降においても同様だ。
ハワイ諸島はいかなる大陸、島からも遠く離れている。東京から6,200km, サンフランシスコから3,900km、シドニーからは8,000kmも離れている。オーストラリア大陸から点在するポリネシア諸島へ、人類は船で移動した。水平線のかなたに微かに見える島々へは、船を持っているなら移動していくことが出来る。
海を渡ることは危険が伴うが、今の大地にいられなくなる何らかの事情、すなわち勢力争いでの敗北、追放、食料の枯渇、危険な動物の存在、そういった止むを得ない事情があれば、人は危険を冒す。
しかし、ハワイはポリネシアの島々からも遥かに遠く、とても“遠くに島影が見える”、というレベルではない。近代になるまで、人はそんなところへ移動することは無かった。ところが、ハワイの地に人は住んでいた。5世紀には既に人間が住んでいた痕跡がある。 それは漂着の結果だったかもしれない。
驚くべくことに、11世紀に数多くの人々がタヒチからハワイに移り住んだ。それが先住ハワイ民族だ。
その距離約4,700km、これほどまでの長距離を原始的なカヌーで移動しようとした理由は判らない。存在するかどうかわからない島に向かって、原始的な船を進めようとした原動力は何だったのか?とにかく彼らはハワイに定住した。
やがてポリネシアとの交流は無くなり、世代が進むにつれて、遠くにある先祖の地についての記憶は薄れていった。長距離を移動できる船の技術は忘れ去られ、小さなカヌーだけが残った。ハワイの島々を移動するだけの閉ざされた狭い世界なら、大きな船は不要だからだ。ハワイは太平洋の真ん中で、ひっそりと独自の文化を作り上げる。
山には豊富な水があり、人々は野菜や果物を作った。海から魚を得て、自然の中に彼らは神の存在を見た。だからといって完全に平和だったというわけではない。各島には、それぞれ王がいて、時には島同士での争いもあったし、大きな天災もあった。しかし全体的に見れば幸福な共同体が作られ、数百年にわたってそれは維持されていた。
そこにキャプテン・クックが現れる。1778年、外界から閉ざされたハワイ諸島が大きな変化の波に飲み込まれ始めた瞬間だ。
こんな場所に島々が連なり、多くのポリネシア系住民が住んでいることを知ったジェームズ・クックは驚きながらも、住民に敬意を持って接した。しかし、価値観の違う両者の間で、やがて争い事が起き、クック船長はその過程で死んだ。
この時代は、ハワイ諸島も戦乱の時だった。3つの王国に別れ、それぞれが熾烈な争いを繰り返していた。そこに現れた西洋人との摩擦は事態を意外な方向に導いた。
ハワイ島とマウイ島東側を統べるカメハメハ王(King Kamehameha)は、クックの後に続いて現れた西洋人サイモン・メトカーフが、島民を100人以上虐殺したことに怒り、激しい戦いの末、西洋人の船を拿捕した。
そこで手に入れた西洋の武器を、カメハメハ王はマウイ島の支配権を巡る戦いに使用した。そして15年後の1810年、ハワイ全諸島を統一し、王国を建設するに至った。カメハメハ大王の王朝である。
その後、82年続いたハワイ王国の歴史の中にあって、優れた指導者であったカメハメハ大王が統べた1819年までが、短い最盛期だったかもしれない。
カメハメハ大王が死んだこの年、宣教師と捕鯨船が次々西洋から現れた。宗教人と経済人の登場だ。宣教師は、善意からではあったものの、ハワイの人々に自らの価値観に基づく宗教を押し付け、その人生を支配しようとした。それまでハワイ語は、話し言葉であり文字というものが無かった。宣教師達は、ハワイ語に文字を当てはめ、聖書を印刷した。文字を作ることは、悪い事ではない。しかし異なる民族がむりやり当てはめた文字は、その言葉が本来持っていた性格を変えてしまう。
白人入植者は、ハワイ王朝に協力して、ハワイの発展に寄与した人も少なくない。しかし一方で、ひたすら搾取に専念した経済人も多い。ハワイ人には、もともと土地を所有するという考えは無かった。西洋人(白人)は土地制度をつくり、ハワイの3/4の土地を自らのものとした。そこで、ハワイ人が見た事もないサトウキビを作った。豊富だった水は、みなサトウキビ畑に引き込まれ、ハワイの伝統の農業であるタロ芋畑は廃れていった。砂糖プランテーションには、労働力として数多くのアジア人が移民者として連れて来られた。
さらに西洋人は病気もハワイにもたらした。伝染病だ。ハワイ人は新しい病気に対する免疫力が無かった。カメハメハ大王(1世)の時代に30万人いたハワイ人の人口は、50年後には数万人にまで落ち込んだ。人口に占めるハワイ人の割合は減り続け、白人と、労働力としてのアジア人が増加していった。ハワイ固有の文化は廃れていき、西洋人に都合の良いものだけが幅をきかせる社会が出来上がっていった。
 
△ Falls of Clyde
1878年建造されたFalls of Clydeは、4本マストを持つ帆船だ。1898年から1901年までの間、Matson Navigation Co.によりアメリカ本土とハワイを結ぶ太平洋路線の客船および砂糖運搬船として利用された。その後は改装されて石油輸送タンカーとなった。 4本マストの帆船(four-masted full-rigged ship)としては、この船が世界で唯一残っているもの。
カメハメハ大王の後継者達は、ハワイ文化の衰退を指をくわえて見ていたわけではない。しかしハワイを自分達の手に取り戻すことは出来なかった。もちろんハワイ人の側にも,進んだ西洋の技術や習慣を取り入れようという意識もあった。クックが訪れるまで、ハワイ人は半裸の原住民に近い存在だったのだ。西洋人の手で、ハワイの近代化が急速に進んだのも事実である。
カメハメハ2世の摂政、カアアフマヌ(Kaaafumanu)はハワイ固有の宗教制度であり,タブーとなっていたカプを自ら廃止した。それはハワイの文化を大きく変えることになった。
だがハワイ人達は,自分達の文化や居場所まですべて西洋人の思うままに任せようとは思わなかったはずだ。
当時、西洋人達には、侵略や搾取の意識があったのだろうか。おそらく答えはNoだ。経済活動の一環として、他民族を支配し、財産を自らのものにする。そこに良心の呵責などない。強い者は弱い者を食うのだ。
 
エマ女王夏の離宮 Queen Emma Summer Palace と サンセット・ビーチ Sunset Beach
カメハメハ4世の王妃エマ(エンマ)は、ハワイの福祉に力を注ぎ、クィーンズ・ホスピタルを創設、女性の学校であるアンドリューズ修道院を開いた。またエピスコパル教会を建設。のちに王位継承選挙に担ぎ出された。
1843年、カメハメハ3世の時代に、イギリスのジョージ・ポーレット卿は、武力により一時、ハワイをイギリス領とした。また1849年には、フランス人ギョーム・ディヨンの指揮で、ハワイ政府の建物がフランス軍により占拠されるという事態が起こった。これらの試みはいずれも失敗に終わり、ハワイ王朝は続いた。
カメハメハ5世の死後、あとを継いだカラカウア王(King Kalakaua)は、ハワイ人のためのハワイを再生させる為に努力した。宣教師に禁止されていたフラやサーフィンを復活させ,白人と共生するハワイを目指した。しかし、ハワイに住むアメリカ系白人の中に、王制を廃止し共和国体制として、やがてはアメリカとの合併を画策する勢力が出てきた。
カラカウア王はその在任中、日本を訪れ、今後、日本人の移民を奨励し、ハワイ再生の協力を求めにやってきた。そして、もう一つ、当時の明治天皇に、ハワイ王朝と日本の皇室との関係を強化する提案を極秘裏に行った。カラカウア王の姪にあたるカイウラニ(Kaiulani)王女と、日本の山階宮定麿との将来的な婚姻を提案したのだ。
これは日本との関係を強化し、アメリカに合併されることを防ぐという目的があった。しかし、この提案は実を結ぶことは無かった。
 
左 カイウラニ(Princess Kaiulani)王女
リリウオカラーニの妹、ミリアム・リケリケが設計家アーチボールド・クレゴーンと結婚し生まれた子供がヴィクトリア・カイウラニ(Kaiulani)王女だ。1881年、日本を訪問したカラカウア王は、当時29歳の明治天皇に、日本の皇室とハワイの王室との間に婚姻関係を持つことを極秘で提案した。そのときの提案でハワイ側の候補としてあがったのが、カラカウア王の姪にあたるこのカイウラニ王女である。彼女は当時5歳でしかなかったが、やがて王位継承者としてハワイの王となる可能性を秘めていた。日本側の候補は伏見宮邦家親王第17王子、山階宮定麿親王 (15歳)で、結婚自体は将来の話として提案されたものだ。
しかし、この提案は実現することは無かった。山階宮定麿親王はのちに海軍兵学校卒業後、英国プレスト海軍兵学校留学、小松宮依仁親王となる。
カイウラニ王女はハワイがアメリカに合併された翌年の1899年、24歳で世を去った。
右 バーニス(Princess Bernice Pauahi Bishop)
バーニスはリリオウカラーニの姉で、カメハメハ1世の孫にあたるロッド王子と婚約していた。しかしニューヨーク生まれのチャールズ・R・ビショップCharles Reed Bishopと出会い、婚約を破棄してビショップと結婚した。ビショップはこれを機会に王室の一員としてハワイ王朝に協力することになる。ロッド王子はやがてカメハメハ5世として王になるが、子供がなく、1872年、42歳の時、死の床でバーニスに王位を継承しようとした。婚約を破棄されたもののカメハメハ5世は、ずっとバーニスを想っていたのだ。しかし、ビショップと結婚しているバーニスは王位継承を断り、カメハメハ5世は後継者を決めることが出来ずに世を去った。
バーニスは、ハワイ人の教育と女性の地位向上のために尽くしたが1884年、ガンのため他界した。夫ビショップは、妻の業績を記念して1889年、ビショップ博物館(Bishop Museum)を作った。当初はハワイの芸術品と王室の家宝を展示していたが、現在はポリネシア文化圏の学術的収集品が展示されている。
宣教師や砂糖のプランテーションを経営することを目的としてハワイに移り住んだ白人達の2世で、冨を築いたアメリカ系住民の一部は、1887年、改革党を組織、武装集団“ホノルル・ライフルズ”を擁してクーデターを起こした。カラカウア王に銃剣を突きつけ、武力により新しい憲法を制定させた。この憲法のもとでは、王の役割は形式的なものに制限されてしまった。さらにハワイの住民の70%を占めるハワイ人やアジア系住民には選挙権を与えず、少数派である白人のみが選挙権を持つこととなった。それはすなわち、ハワイを白人が自由に支配するための憲法だった。
国王に銃剣を突きつけて署名させた、ということで、この憲法はBayonet Constitution(銃剣憲法)と呼ばれた。
 
イオラニ宮殿 Iolani Palace
ハワイには王国として相応しい宮殿は存在していなかった。小さいながらも独立国家としての威厳を保ち、外国の貴賓を受け入れ、国民が誇ることが出来る建物としてカラカウア王は宮殿建築を決め、妹リケリケの夫、アーチボールド・クレゴーンに設計を依頼した。2年半の後の1882年、後期ヴィクトリア朝風の堂々たる宮殿が完成した。しかし1887年、改革派の手でBayonet Constitution(銃剣憲法)が制定され、1893年のハワイ革命、翌年の共和国宣言、1895年の王党派の決起を経て、リリウオカラーニ女王が逮捕されてしまい、王国の宮殿としての短い役目を終えた。
カメハメハ大王像 Statue of King Kamehameha
South King St.を隔ててイオラニ宮殿の向かい合う形で立つカメハメハ大王像。西洋的な顔立ちで作られているが、実際のカメハメハ大王は違う顔をしていたらしい。「醜いといっても良いほど猛勇な顔立ちだが、非常に知的で観察力に富んでいる」、クックの部下、ジェームズ・キング中尉はカメハメハ大王をこのように表現した。
カラカウア王死去後、あとを引き継いだリリウオカラーニ(Liliuokalani)女王は、不公平憲法改正のための法案を提出しようとし強硬手段に訴えた結果、アメリカ人の反発を買って紆余曲折の末、廃位に追い込まれた。そしてハワイ王朝は消滅し、一旦、ハワイ共和国となった後、1898年、アメリカ合衆国に併合されてしまった。
アメリカ人はハワイを併合したことをManifest destiny(明白な運命)と呼んだ。建国以来西に向かって領土を拡大した最終段階が、このハワイの併合だ。先住民族であるインディアンもハワイ人も、アメリカ人のイデオロギーの前には、初めから存在しなかったと同様だった。
確かに明白な運命だったのだろう。強いものが弱いものを食らう。人の歴史はそのようにして進んでいる。富めるものは貧しいものを支配する。多少,形は変わってはいるものの,これは現代も変わりはしない。
ハワイは地政学的に見ても重要な拠点だ。ジェームズ・クックが訪れることがなかったとしても,いずれ誰かがこの地を踏んだはずだ。そして,そのまま放置しなかったことは間違いない。素朴に暮らしていたハワイ人を誰もそっとはしておかなかったはずだ。
1959年、ハワイはアメリカ合衆国の50番目の州となった。
 
左:The Royal Hawaiian
かつてこの場所にはリリウオカラーニの別荘があった。女王になる前、彼女はここを好み、女王の隠れ家と呼ばれた。様々な民族や党派の人がここに集まり、王党派も王党批判派も自由に意見を交換し、いっしょに食事をする暖かい雰囲気があった。ハワイをアメリカに合併させようとする改革派の台頭とともに、それも無くなってしまった。現在のスパニッシュムーア様式のホテルは1927年開業。
右:リリウオカラーニ教会(Liliuokalani Protestant Church)
熱心なプロテスタントであったリリウオカラーニ女王の名前を冠した教会。現在の建物は1961年建設。1900年前半の古い建物が点在してOld Hawaiiの雰囲気が残るNorth ShoreのHeleiwaにある。
現代のハワイを見ると不思議な魅力がある。南国の島にアメリカ的な文化が入りこみ,一種独特な雰囲気を漂わせている。カリフォルニア的な部分もあれば,ポリネシア的な部分もあり,それが不思議と融合している。
もっともポリネシア的な部分はアメリカ人(時としてWASP(White Anglo-Saxon Protestant)と呼ばれるアングロサクソン系白人)にといって都合よく解釈されたものであることは言うまでも無い。
しかし近年,ハワイ人の手で,ハワイ固有の文化を取り戻そうという活動が行われている。一時は捨て去られようとしていたハワイ語は学校で教えられるようになった。ポリネシアからいかにして自分たちの祖先が渡ってきたかを検証する試みも成されている。観光客向けの見世物ではない,本来のフラを研究する者もいる。
DFS周辺のワイキキ(アメリカン・リゾート感覚に日本的な観光地臭が大きく加味された俗っぽいエリア)だけを見ていては,ハワイの魅力は絶対に理解出来ない。手垢のついた通俗的なリゾート,買い物と,ビーチと,月並みな観光だけの場所として切り捨ててしまうのではなく,ハワイという土地をもっと違った目で見れば,そこに深い魅力が見えてくるはずだ。
私たち日本人も、感覚的にはアメリカ人に近い。言い換えればアメリカ的なリゾートは日本人にとっても心地よい。これは否定できない。ハワイが,ポリネシア文化そのものの地であったなら,多くの人々は何度も繰り返し出掛けることはないだろう。
しかし白人の作ったリゾート地としてのハワイを1枚めくって見たとき,そこに深い本当のハワイの魅力が隠されていることに気付くはずだ。
 
 
Sporting Clay Shooting スポーティング・クレーシューティング
厳しい銃規制が行われている日本在住の銃愛好家なら、海外に出かけたとき、その土地で射撃を楽しんでみたいと思う事が多いはずだ。もちろん、海外ならどの国でも射撃が出来るわけではないし、銃規制が比較的緩やかな国でも、単なる旅行者が簡単に射撃を楽しめる環境が整っていることは、あまり多くない。
ハワイはアメリカ合衆国だ。従って銃を撃てる環境にある。しかし、射撃を目的として訪問するには、あまり適切な場所ではない。
ハワイはいわゆるリゾート地だ。魅力的な島々には、様々なアクティビティが用意され、旅行者を楽しませてくれる。あるいは、何もせずゆったり過ごすという、もっとも魅力的なリゾート地の過ごし方も楽しむことが出来る。そういう土地は、あまり射撃をするには向いていない。
グアムは射撃する環境が数多くある。観光客向けの射的屋のような射撃場が多数あり、主に日本人を対象にしている。それらとは違い、もっと本格的に多数のハンドガンや、セミオート化されたアサルト・ライフルなどを揃えた業者も存在する。T.O.R.I(Tactical Outdoor Range Inc.).とワールド・ガンショップだ。個人の専用銃をこれらの業者に預け、射撃を楽しむ為だけに繰り返しグアムを訪問する日本の銃愛好家も少なくない。
しかしハワイには、そのような日本の銃愛好家を対象として、多数の銃をそろえて手広く事業を営む業者はない。ハワイという魅力的な土地にせっかく行ったならば、銃を撃つことより、もっと違う楽しみを味わうべきなのかもしれない。
しかし、そんなハワイにも相応しい射撃スポーツは存在する。スポーティング・クレーだ。
ラナイ(Lana'i)島の北側にラナイ・パイン・スポーティングクレー・シューティングセンター(Lana'i Pine Sporting Clay)がある。モロカイ島とマウイ島の間のAu’au海峡を見渡すことの出来る壮大なスケールの景観と、深い峡谷、広大な草原とが組み合わさった、世界でも有数のスポーティングクレー・レンジだ。
スポーティングクレーは14のステーション(射台)があり、クレー・ピジョンは多種多様で大きく飛ぶものもあれば、短い距離しか飛ばないものもあるし、さまざまなゲーム(獲物)に似せた動きのターゲットもある。100個のターゲットをステーションを回りながら2時間以内に撃つ。
初心者はインストラクターより45分のレッスンを受けてから射撃に臨む。ショットガンは、ベレッタ、ブラゥニング、ベネリなどのO/Uとセミオートが用意され、イヤープロテクター、アイ・プロテクション・グラスとシューティング・ベストもレンタルを受けられる。もちろん自分の銃を持ち込むことも可能だ(現在、外国人が海外からアメリカに銃を持ち込む場合、正規の射撃競技への参加証明が必要だ)。
料金は100ターゲットで$145だ。これには銃を含むレンタル一式とShot shellが含まれる。最初のインストラクションは$75だ。
ここでは、その他にコンパクト・スポーティングクレーと呼ばれる5ステーションで構成されたステージや、通常のトラップ、スキートのレンジもある。また4.5mm(.177)のエアライフルを撃つインドア・レンジがある。
スポーティングクレーは、そのほかモロカイ島のシェラトン・モロカイ・ロッジ&ビーチ・ビレッジや、マウイ島でも可能だ。
ハワイの雄大な自然環境の中で行う射撃としては、このスポーティングクレーがもっとも相応しいと思う。射撃というと、アサルト・ライフルやピストルを撃ちまくることを思い浮かべる銃愛好家も多いと思う。しかし一般的には、このようなスポーツ射撃が通常楽しむ射撃の姿だ。
Shooting Ranges in Honolulu ホノルルの射撃
ハワイに日本から訪れる人の多くは、ホノルルのあるオアフ島を目的地としている。直行便はホノルルかコナだけで、ほとんどはホノルル便だ。ハワイの人口、約120万人の約70%は、このオアフ島に住んでいる。したがって、もっとも便利な島がオアフ島であることも、日本人がオアフに集中する理由だろう。
オアフ島では、残念ながらスポーティングクレーを楽しむことは出来ない。
Koko Head Shooting Complexはオアフ島唯一のパブリック・シューティング・レンジだ。有名なハナウマ湾(Hanauma Bay)の近くにある。
 
ハナウマ湾(Hanauma Bay)とタンタラスの丘(Tantalus)から見たホノルルの街
50ydから440ydまでのライフルレンジが用意され、ベンチレストや、ポジションシューティングが楽しめる。ピストルは25ydと50ydだ。さらにトラップとスキートの設備がある。
ここでは、通常のペーパー・ターゲットやクレー、及び正規のメタリック・シュリエット・ターゲットしか撃ってはいけない。マガジンへの装填は5発まで、ラピッド・ファイアのような速射は基本的に認められない。
トラップやスキートを除いて、レンジ使用料はタダだ。しかし、レンタルガンは無い。自分で銃を用意し、持ち込むことが必要。営利目的ではない地元のシューターのための射撃場というわけだ。観光客の為の便宜は図られることは無い。
しかしここを利用して観光客に銃を撃たせる業者も存在する。Kokohead Gun Clubだ。あたかも射撃場そのものを所有しているかのような印象を与える名前だが、実際のところパブリックの射撃場を利用している業者だ。
この業者を利用すればアーマライト(Armalite)クローンの223セミオート・ライフルや45ACP, 9mm Para.,44Mag.,357Mag.,などの各種ハンドガンとなどを撃つことが出来る。
ライフルとピストルを組み合わせた数種類のパッケージがあり、その後、オプションで弾を買って射撃をするというシステムだ。オプションの弾代には銃のレンタルフィーが含まれている。9mmパラが50発で$80-程度というのは、ものすごい価格だが、銃のレンタル代が含まれると考えれば、無理もないかもしれない。数多く買えば、ボリューム・ディスカウントもある。
インストラクターが付いて指導してくれるので、オアフで射撃を楽しもうと思うなら、一般的にはこの業者を利用するべきだろう。というより、地元に知り合いがいて、同行してもらうことが出来る立場でもない限り、この業者を利用しないとKoko Head Shooting Complexで撃つことは出来ない。
クレー射撃というオプションはないようだ。クレーは日本でも出来るので、わざわざハワイに行って撃つ必要はないかもしれないが、空の青さが違うハワイで撃ちたいというシューターも多いだろう。その場合には、ラナイ島などでスポーティングクレーを楽しんで頂きたい。
ホノルルの街中でも、もっとお手軽に射撃は出来る。室内でワイヤー付きという完璧に日本人観光客を対象とした射的屋感覚の店だ。
ワイキキのDFS(Duty Free Shoppers)周辺に集中して4店舗ある。
ロイヤル・ハワイアン・シューティング・クラブはDFS真正面のロイヤルハワイアン・ショッピング・センターの4階にある。このビルはワイキキの一等地にあるものの、ちょっとたそがれている。4階はこの業者しかテナントが入っていない。他の3店は、外から中が見えないので、一般の旅行者はちょっと不安もあるだろう。入ってみたら、怖いお兄さんが店員だった、というような不安だ。その点、ここは、外から丸見えなので、問題は無い。
ハワイ・ガンクラブはDFSの横にある。ビルの3Fにあり、1Fは焼肉ヒロシだ。
ワイキキ・ガンクラブはカラカウア通りにある。隣は東京 早稲田にある有名なラーメン屋 えぞ菊のホノルル支店だ(えぞ菊はホノルルに他に3店舗ある)。
ホノルル・ガンクラブはクヒオ通りにある。ここの写真は無い。
 
上左: ロイヤルハワイアン・シューティング・クラブ 上右: ハワイ・ガンクラブ
下左: ワイキキ・ガンクラブ 下右: DFS GALLERIA Waikiki
 
ロイヤル・ハワイアン・シューティング・クラブ以外の3店は、いずれもDFSの付近で日本人を対象にチラシを配って客引きをしている。個人的にはあまり好ましい事と思えない。ロイヤル・ハワイアン・シューティング・クラブはJTBやJCBなどの日本人が多く集まる現地トラベル・デスクなどにチラシを置いている。
今回の訪問時(2003年7月)には、ホノルル・ガンクラブのみ印刷ではなく、コピーしたものを配っていた。4店舗共、銃を持ったお姉さんをモデルにしているあたりは、なんとも芸が無い。どれも安全性を強調、女性や子供でも安心といっている。日本語OKというのも共通だ。

ロイヤル・ハワイアン・シューティング・クラブのチラシは「大型口軽マグナム弾も撃てます!」と、口径を口軽と、ちょっとオマヌケな誤字があるのはご愛嬌。アニー・オークレーを気取った?お姉さんはS&W M686にAimpointを載せている。トリガーに指が掛かっているのは戴けないが、イヤープロテクターにアイ・プロテクション・グラスを着けているのは好感が持てる。「気分爽快!ガン・シューティング!」、「ハワイ最大の広さと安全な最新設備を誇るファースト・クラス射撃場」なのだそうだ。
ワイキキ・ガンクラブのお姉さんはちょっとお水っぽい。手にしたColt GMには、やはりエイムポイントを載せ、トリガーフィンガーが、しっかり伸びているのはマル(当たり前か)。「ハワイで一番安い!安心、安全、楽しい」と書き、「ご注意!! 偽りの内容のチラシにはご注意ください。」とある。他店のチラシには、価格や銃の種類、数にウソがあるといっている。ホントにそうなのか?
ハワイ・ガンクラブのお姉さんも、かなり水商売風だ。Beretta M92FS INNOXのTriggerに指がかかり、オマケにイヤープロテクターも無い。ここは、「絶対安全!弾の破片が飛び散らないスーパートラップ使用!」と謳っている。
ホノルル・ガンクラブは、コピーチラシなので判り難いが、金髪?のお姉さんがDesert Eagleを両手が構えている。コイツも水商売丸出しだ。「Feel the power」, ときて「ハワイで一番安全な設備、安心してお楽しみください」とある。
みんな「安全」という言葉を使い、銃や射撃に対する日本人の不安感を払拭しようとしている。そのワリには品の無いチラシが多いのは困ったものだ。

実際のところ、私がはじめて装薬銃を撃ったのは、このようなホノルルの射的屋風射撃場での事だった。1980年代、16年以上前の話だ。ハワイ・ガンクラブと同じ場所で、当時の店名は確か、“ウェスタン射撃スクール”だったと記憶している。
Ruger Mk-II, S&W K-22, Ruger 10/22 、いずれも22LRの3挺がワイヤーで繋がれていて、それぞれ12発づつ36発撃って$50ぐらいの料金だったと記憶している。弾の原価に対し、ベラボウに高いと思ったが、36発では満足出来ず、弾のおかわりを注文した。Ruger MK-IIも10/22も、弾はすべてマガジンに装填された状態で渡され、自分の手でマガジンに装填させてはもらえなかった (リボルバーは自分で装填)。
当時、この手の店は22LRの銃しか置いていなかった。その後、私は国内でライフル射撃を初め、アメリカ本土に行き、ちゃんとした射撃場で様々な大口径ハンドガンを撃った。
当時と比べると、ホノルルの射的屋もずいぶん安くなったと思う。チラシの価格で見る限り、22LRのみのコースは半額程度になっている。チラシの価格表で口径を明記していないのは、22LRの銃と思われる。どこも、22口径のセミオートマチック・ピストルとライフルは、丈夫で長持ちのルガー製を使っている。ロイヤル・ハワイアン・シューティング・クラブは価格表示が無いが、その他の店はみな価格を表示している。初心者コースだとか、プラチナコース、FBIコース、お子様コースなど、テキトーな名前のメニューを揃え、互いに価格競争をしている。
一番安いメニューがあるのは、クヒオ通りにあって立地条件の一番悪いホノルル・ガンクラブだ。Aコースが手書きで修正されていて7ドルだそうだ。女性や子供用といっているところはちょっと気になるが、S&WリボルバーとRuger Mk-IIで22発。このチラシをご持参の方が実弾20発サービスとある(他店も同様に20発サービス、ロイヤル・ハワイアンは10発)。これが事実なら44発で$7。これってEgg’n Thingsのパンケーキ並の価格だ。本当かどうかは判らない。
どの店も、少ない弾数を多種の銃で撃たせる。一番高いコースでも64発しかない。ルガー10/22, 44Mag., Glock 45口径、9mm Beretta, S&W 38口径、UziそれにボーナスショットでM16, 合計7種で$115だ(ハワイ・ガンクラブ)。M16のボーナス・ショットというのは、おそらく1発ぐらいなのではないだろうか。ボーナスというより、オマケだ。64発の内訳も判らない。22口径のルガーで撃つ数が一番多く、その他のセンターファイアは数発づつというのではないかと思う。
多種の銃を取っ替えひっ替えで撃つというのより、1挺でたくさんの弾を撃ちたい、と私は思う。その銃について理解するには、最低でも50発は必要だろう。数発撃って、銃を交換したのでは、単なる体験でしかない。
ちなみにワイキキ・ガンクラブとハワイ・ガンクラブは同じ系列でないかと思う。価格設定が殆ど同じな上に、同じ銃の写真を使っている。ついでに言えば、両店のチラシの銃の写真はどこかで見たことあるものばかり。日本のエアガンの古い広告だ。
2年前に来たとき、貰ったチラシでは、H&K 45口径ライフル(USCか?)なんてのも載っていたと記憶しているが、今回は消えている。
これら街中の4店舗で、現在、どのような形で射撃が出来るかどうかは判らない。16年以上前の経験では、とてもインストラクターとはいえないような人が、「これが引き金、これが弾倉、これを入れてボルトを引く。目の近くで構えて撃つと危ないから、手を伸ばして撃つこと。」こんな程度のことを1分ぐらい説明してくれただけだった。今は違うかもしれない。おそらく事故は無いのだと思う(全くないかどうかは判らない)。銃にワイヤーが付いていて、標的以外の方向に銃を向けることは出来ないはずだ。確かにこれであれば、致命的な事故は起きにくいだろう。
昔、ある日本人のハネムーン・カップルがハワイで射撃をおこなった。銃の正しい扱い方など知らない普通の日本人だ。夫は初めての射撃に舞い上がってしまったらしく、銃が装填されていることも確認しないまま、奥さんのほうに銃を向けた。ふざけて銃を突きつける、銃のオモチャを手にしたとき、日本人の多くが無意識のうちによくやることだ。それを実銃でやったのだ。これは重大な危険行為である。そしてその夫は、事もあろうにトリガーを引いた。
銃には装填されていた。至近距離から発射された弾丸で、奥さんは即死だった。かなり昔のことだが、ハワイでそのような事故があったと記憶している。
このことを考えれば、銃の正しい扱い方を知らない日本人には、ワイヤー付きで銃口が標的側にしか向けられないこれらの射的屋風射撃場を利用するべきかと思う。
ホノルルには、Magnum Firearmsという店がある。Word Centerの近くにあるGun Shopだ。ここには15ydの室内射撃場が併設されている。レンタルガンもそれほど種類は多くないが揃っている。SIG(Classic & Pro), Glock, Kahr, H&K(USP & P7M8), 45Auto, Beretta, Ruger, S&W 3rd Generationなどだ。
 
依頼すれば、指導してくれるかどうかは判らない。しかし、基本的には日本人向けの対応は全くない。だから然るべく射撃経験を積んだ人以外は、絶対に行くべきではない。
中には、「自分はエアガンで十分、銃の扱いには慣れている」、などと思っている人がいるかもしれない。これは間違った認識だ。エアガンは銃ではない。根本的に銃とは違うものだ。似せて作られているが、エアガンでは銃の正しい扱いを身に付けることは難しい。
銃口の向きや、トリガーに指をかけない、という作法はある程度、把握出来るかもしれない。しかし万一、暴発させた場合の影響の差は比較にならない。BB弾では人は死なないし、壁に穴を開けることもない。しかし本物の銃は違う。この歴然とした差が、それを手にしたときの意識の違いとして出てしまう。だからエアガンでは、本当のマナーは身に付かない。
またエアガンでは回転不良時のリカバリー方法や、万一不発が出たときの対処の仕方も経験できない。実銃を撃ったときのリコイルも違う。22LRはともかく、センターファイアのリコイルは、ガスガンや電動ガンの振動とは、根本的に別ものだ。
だから何らかの射撃訓練を受けた経験がない限り、この店に行っていきなり銃を借りて撃って欲しくはない。絶対にだ。あるいは自分が未経験であることを正直に話し、トレーニングを受けるかどうかだ。但し、そう話したところで指導してくれるかどうかは判らない。Gun Shopにはひっきりなしに客が来ている。初心者の日本人を相手に、射撃指導をする余裕は無いのではないかと思う。
価格的にはマトモだ。アメリカ本土の相場より、割高だが、太平洋の島であることを考えれば、無理もない。
銃のレンタルは1挺$20、弾もWinchesterのFactory loadで9mmが50発 $15、その他レンジフィー等で$30程度が掛かる。1挺のハンドガンを借りて、弾を200発撃つ場合の費用は$120-程度だ。
 
写真左がGlock 19, 右がSIG Pro 2009
今回、Glock19とSIGPro 2009を射撃した。Glockは意外なことに数回のjamを起こした。使用したAmmo,は2種類、Winchesterの白箱、115Gr.FMJとWinchester Ranger 124gr.FMJだ。両方ともjamったので、Ammo.との相性の問題ではないだろう。Glockは一部の例外を除いて、jamなどほとんど無い極めてタフな銃だ。5,000発ノークリーニングでも大丈夫なはず。場合によっては1万発撃ってもjamることは無い。
 
それが今回、数回のjamを起こしたのは、やっぱりクリーニングの問題ではないかと思う。レンタルガンの問題は、それがどのような状態で使われてきているか正確に判らないということにある。
この店にあるP7M8は4年前にもあった。おそらく同じものだ。4年の間、どれだけ使われたか、想像することも難しい。この店に限らず、本土のいくつかのシューティング・レンジで銃を借りて撃っているが、銃を返したあと、店側がクリーニングをしている気配は無い。国内では射撃の後すぐに、自分の銃のバレルやチャンバーを丹念にクリーニングし、全体に対して整備を怠ることはない。その感覚から見ると、撃ったあと、クリーニングもせずにまたガンラックに戻っていく銃を見ると、どうしても違和感を感じてしまう。
競技用ライフルと実用ハンドガンの違い、といってしまえばそれまでだ。撃つたびに、チマチマとクリーニングをしないといけないようでは、実用品とはならないという事かもしれない。
見たところ、使い込んでヘタってきている感じは無いが、このGlockはかなりの数の弾を撃っているのだろう。
 
今回のjamはケースがエジェクションポートに引っかかった典型的なもの(写真がブレていて申し訳ない)と、撃ったあとのケースがチャンバーから抜けず、スライドだけが動いて、次弾をロードしようとしたところでスタックしたという、今まで私自身は他の銃で経験したことがないjamがあった。ケースがチャンバーから抜けなかったにも関わらず、エキストラクターが外れて、スライドだけは、ちゃんと動いたわけだ。とにかくこういうjamは初めてだ。
リカバリーする際、まずスライドを引いて、スライドストップをマニュアルで掛け、ホールド・オープンの状態にする。マガジンを抜いたら、既にロードされかかっていた次弾はマガジンのリップからはずれ、テーブルの上に落ちた。銃口を上に向けたが、予想通り、チャンバーに残ったケース(薬莢)は抜けてこなかった。そこでスライドストップを解除し、いったんスライドを閉鎖させ、ケースのリムにエキストラクターを噛ませて、スライドを引いた。幸いさしたる抵抗もなく、チャンバーに残ったケースは排莢された。このトラブルは1回だけだった。
実戦でこれが起こったら、結構ヤバいトラブルだったと思う。ケースがチャンバーに貼りついてしまったわけではない事が救いだが。
マガシンは、10発に制限されたものだ。10発目はちょっとだけキツイが、手で押し込めないほどでは無い。
Glockを撃つといつも、これほど実戦的なモデルは他に無いと感じる。マニュアルセフティや、デコッキング・レバーを操作することなく、とにかくトリガーを引けば撃てる、このシンプルさは、理想的だ。セイフ・アクションのトリガーも軽く、短いドライブで撃てる。連射時にトリガーを完全に戻さなければ、シングルアクションと同等のトリガー・プルで連射も可能だ。バレルの軸線に近いところにグリップがあり、エイミング・リカバリーも速い。
無粋な外観だが、多くの公用機関がこの銃を採用した理由を実感出来る。今回はjamがあったが、グロックは間違いなくマスター・ピースだといえる。
 
左がGlock 19, 右がSIGのマガジン。Glockはマガジン内部を細くして対応、一方SIGは上げ底形式で装弾数規制に対応している。下の写真はいずれもSIG Proだ。
 
SIG Proは今まで撃ったことが無かった。撃つ機会はあったのだが、あまり食欲をそそられなかった。今回、初めてこの銃のGripを握って、異様な違和感を感じた。不安定な感覚だ。手の中にきれいに収まるのではなく、なんかすっぽ抜けそうな感じだ。Glockを撃った直後だったので、その感覚が強かったのかもしれない。違和感はまもなく消えたが、いずれにしても印象は良くない。一般的に評判の良いSIG P226系のgripも個人的には好きではないので、どうもSIGとは相性が悪いらしい。
デコッキング・レバーは薄い。デコッキング作動と同時に、レバーが指からはずれてしまう。別に構わないことだが、P226系は、デコッキングしても、レバーが指から外れることは無かった(P226系はレバーに指をかけたまま、ゆっくりとハンマーを前進させることが出来る)。
ダブル・アクションは、重いと言われていたP226系より、だいぶ軽くなって改善されている。しかし、ダブル・アクションでドライ・ファイアをしてみた感じでは、ハンマーがファイアリング・ピンを打ったあとの感触があまり良くない。言葉に表現しにくい妙な感触だ。スプリングの力でハンマーが落ちるのだが、落ちる直前に、そのスプリングのテンションが消えるといった感じ、といえばご理解戴けるだろうか。P226系のハンマーは、リバウンド機能があった。SIG Proは違う。ハンマー・システムは別物と見た。
もうひとつ、嫌な部分がある。ダブルハンドで銃を構えたとき、ハンマーを指で起こす場合は、銃を握っている手ではない、ウィークハンドの親指で、ハンマーを起こす場合が多いだろう。ところがSIG Proのハンマースパーのセレーションは浅く、また短い。その為に指が滑ってしまって、ダブルハンドでのハンマーコックに失敗してしまった。不思議なことに、銃をグリップしている手の親指でなら、辛うじてハンマーを起こせる。
ハンマーの露出を極力小さくしようとしたのかもしれないが、ダブルハンドホールド時に、ハンマーを起こせないというのは、ちょっと辛い。
欠点は以上だ。スライド・ストップレバーは非常に長く、使いやすい位置まで延びている。撃ってみれば、精度も良く、jamなど全く無しでキレイに回転する。しかし、この銃はあまり好きになれない。グリップの感触が良くないと思うのは私だけかもしれないが。
   
レンジは4レーンのみ。距離は15yd(だと思う)。室内射撃場はどこも同じ吊り下げ式の標的交換装置が設置されている。移動させ た直後は標的が左右にスイングしてしまい、正確な射撃は難しい。
ホノルル近辺には、Magnum FirearmsのほかにYoung GunsというGun shopがある。ホノルル空港に近い場所だが、ここには、残念ながら、シューティング・レンジは無い。shopとしての規模、品揃えは平均的だ。Magnum Firearmsより店内の感じは明るい。
私の知っているオアフ島のGun Shopはこの2軒だけだ。Yellow pageで見る限り、他にKaneohe Gun shop、Varmint Guns&Suppliesなどがある。
日本でも展開しているスポーツショップ The Sports Authorityにもガンコーナーはある。しかし置いてある銃はハンティング用エアライフルのみだ。ガンケア・プロダクツやガンケースなどは比較的揃っている。それでもわざわざ行ってみるほどではない。
その他、本格的な実戦射撃を指導してくれる業者もある。しかしそこは、リゾートを楽しむためにハワイに来た人を対象にしているわけではない。
ハワイは、1778年にジェームズ・クックが現れて以来、大きな激動の波に飲みこまれた。射撃の話の前に、ハワイがアメリカに吸収されるまでの120年について要約して書いてみた。銃とは関係のない話なので、興味のない方も多いかもしれない。しかし、ハワイという場所が、たんなるリゾ−トではなく、またサーフィンとフラ、ビーチ、アロハ・シャツだけの島ではないことを知って頂きたいと思う。
次にハワイに行かれる時、これまでとは違った目でこの島々を見て頂くと、そこに深い魅力が隠されていることに気付かれるだろう。

Satoshi Maoka
Aug.10, 2003
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