アーマライト(Armalite) AR-17

その銃は、突然私の視界に飛び込んで来た。クレー射撃場のガン・スタンドに立てかけられた銀色のセミ・オート・ショットガン。近づいて見て、思わず息を呑んだ。アーマライトだ!

 アーマライト社(Armalite, Inc.)は1954年10月1日、航空機産業のフェアチャイルド社(Fairchild Engine and Airplane)の一事業部として生まれた。
 銃器生産に用いられるマテリアルは、銃の歴史が始まって以来、基本的に殆ど変わっていなかった。鉄と木である。しかし、ロッキード社(Lockheed Aircraft Corporation)の主席特許顧問のジョージ・サリバン(George Sullivan)は、今後の銃のマテリアルは、より軽量な合金とプラスチックが多用されるようになると確信していた。
 この考えについて、フェアチャイルドの統合幹部ポール・S・クリ―ブランド(Paul S. Cleaveland)とサリバンが航空機産業コミッティで会った時、意見が交わされた。この事は、フェアチャイルドの社長で銃器愛好家のリチャード・S・ブーテェル(Richard S. Boutelle)に伝わり、その翌年、アーマライト・デヴィジョンが設立されたのである。

                        AR-17 バレル右側面の刻印   

 軍事用小火器においては、そのような軽量マテリアルを使った銃は、なかなか受け入れられないだろう。そう考えたアーマライトはまず手始めに、民間向け市場に革新的な素材を使った銃を供給し、その市場の評価を背景に、軍用火器生産に進出することを計画した。
 しかし、アーマライトの設立後すぐに、アメリカ空軍がサバイバル・ライフルの選定評価を行なうという情報が入り、アーマライトは.22Hornetを使用するAR-5を提出した。
 AR-5はボルト・アクション、全長860mm、重量1,250g、分解してグラスファイバー・ストックに納めれば360mmの長さになり、軽量の為に水にも浮くということで注目を集めた。
 AR-5はMA-1 Survival Rifleとして制式認定される。このことが当初の計画であった、民間市場から軍用市場への展開、という流れを変えてしまい、民間市場へ製品を投入することを遅らせることになる。もっともMA-1は認定はされたものの、既存のサバイバル・ガンが多数保有されているという理由から配備には至らなかった。
 ユージン・ストーナー(Eugene Stoner)は、チーフ・エンジニアとしてアーマライトに参加した。のちにArmalite, Inc.の社長となるチャールズ・ドルチェスター(Charles Dorchester)は、当初からアーマライトの開発計画の指揮をとっていた。
 AR-1 ParaSniperと呼ばれる軽量ボルト・アクション・ライフルは、フェアチャイルドが関わる前から、サリバンが計画していたものだ。アルミニューム・アーロイとファイバー・グラスを使った新しいアイデアのライフルである。これは製品として完成していない。AR-3という30-06の試作モデルもある。
 AR-5に続く製品は、AR-10である。これは、当初、30-06で開発されていたが、M1ガーランド(M1 Garand)に代わるアメリカ軍次期制式ライフル・トライアルに参加すべく、7.62mmNATO(.308)仕様に改修された。アルミニューム・アーロイのレシーバーとプラスチック・ストックを用いたAR-10は、その時のコンテンダーであるT-44(のちのM14)と、T-48(FAL)と比べ、革新的なモデルであったことは言うまでもない。
 しかし、アメリカ軍の選択したものは、旧来のライフル・デザインの延長線上にあるT-44であった。アーマライトの目指すコンセプトは、この時点ではまだ軍に受け入れられなかったということだ。
 しかし、AR-10はオランダ軍とオーストリア軍が大いに興味を示した。アーマライトはAR-10の製造ライセンスをオランダのArtillerie-Inrichtingen Arsenalに与えたものの、オランダでの製造準備に手間取り、そのゴタゴタが影響して、両国共にFALを採用してしまった。一方、アーマライトはAR-10の小型軽量化を目指し、AR-15の開発に着手した。それと同時にAR-10をシートメタル化させたAR-16の開発も行なった。AR-16は3挺の試作品が存在する。
 さらに民間市場向けに、AR-5のアイデアを利用した22LRのAR-7を開発、発売した。12Gaショットガン、AR-9の開発もスタートさせている。しかし1959年、フェアチャイルドはAR-10とAR-15の製造権をコルトに売却した。アメリカ空軍からの発注と、アメリカ軍内部にあった小口径ライフルの採用を目指すSALVO計画から、コルトはこのアーマライト・ライフルの将来性を見抜いていたのである。
 結果として、フェアチャイルド社に残った製品はAR-7だけになった。1960年、サリバンはフェアチャイルドを去り、ストーナーも1961年に去った。フェアチャイルド社は1961年、財政的に破綻していた。アーマライト・デヴィジョンに残ったパテントは、キャピタル・サウスウエスト・コーポレーション(Capital Southwest Corporation)が買い取り、Armalite, Inc.は継続された。
 1960年代、アメリカはベトナムに深く足を踏み込み、その戦場でAR-15の評価は高まっていった。やがてAR-15はM16として、制式採用となった。フェアチャイルドが目指した新しいライフルのコンセプトは、そのころになって、ようやく認められ始めたといえる。
 しかし、アーマライト社がやらなければならない事は、AR-15のリュングマン・システムに抵触しない新しい作動方式のライフルを作ることだった。それが1963年開発のAR-18だ。AR-18はアメリカ軍のテストを受け、数回にわたるテストと改良の結果、その優秀さを認められた。しかし、すでにアメリカ軍はM16A1への切換が進行しており、採用されるに至らなかった。

              AR-17 right view ▲           reft view ▼

 Armalite 17 12Ga.shotgun モデル17は1964年に製造が始まっている。AR-18の改良に動いていたアーマライトは、フェアチャイルド時代に試作したAR9を引っぱり出し、その改良型を市場に投入したと思われる。
 画期的なデザインで登場したアーマライト製品の中にあって、このショットガンは驚くほど普通のスタイルを持っている。ガス・ぺレーションのチューブ・マガジンをバレル下部に有するセミ・オートマチック・ショットガンだ。
 しかし、そのマテリアルはアーマライトならではのものだ。レシーバーとバレルはアルミニューム・アーロイで作られている。アルミニューム・アーロイのレシーバーは今日のセミ・オートマチック・ショットガンでは別に珍しいものではない。しかし、これは1964年の製品だ。おまけにバレルまでもがアルミニューム・アーロイである。おそらくバレル内部には薄いスチールがチューブ状に組み込まれていると思われる。少なくともチャンバー内部にはスチールがインサートされているだろう。
 ストックとフォア・アームはプラスチック製だ。しかし、今日のセンサティック・マテリアルと違い、プラスチックっぽさを極力消そうと、茶色で木目調の仕上げになっている。しかし、よく見ればプラスチックであることはすぐわかる。
 レシーバーの両側面には、単純な彫刻がある。民生用ショットガンらしさを強調したかったのかもしれない。お義理で行なったような彫刻、一種の唐草模様だ。いっそ、こんな刻印はないほうがスッキリするだろう。
 資料によれば、表面仕上げはアナダイズド・ブラックとゴールド・フィニッシュの2種類があったらしい。しかし、これは全く金色ではなくなっている。表面を見る限り、何らかの表面処理がなされていたと思われる。しかし、37年の歳月は、その表面処理の色を消してしまったのだろう。ゴールド・フィニッシュといっても、おそらくキラキラ輝く金色ではなく、シャンペン・ゴールドのような落ち着いた金色だったのではないだろうか。トリガーとクロス・ボルト・セフティは今でも金色である。
 トリガー・ガードもプラスチックだ。これも当時としては珍しい。

 ← Front bead & Interchangable choke

 この銃の所有者は女性で、軽量であることから、このAR-17を中古で購入したという。クレー射撃をはじめて間もない。近いうちにオーバー・アンダーのトラップ銃も所持する予定との事だ。

 たしかにバレルまでアルミニューム・アーロイで作られたAR-17は、圧倒的に軽量であろう。重量について資料が無いが、試作に終わったAR-9は2.5kg前後だった。

 AR-17は1964年と1965年の2年間で、おおよそ2,000挺が製造された。ここにあるモデルはその1挺である。我が国に、この1挺以外が現存しているかどうかは判らない。

 一般的なクレー・シューターは、気にもとめない銃だと思う。しかし、Gun Hobbyistとしては、これがARMALITE. Inc,の製品であるということだけで惹かれてしまうのだ。

by Satoshi Maoka May 7, 2002
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