Five decades of PYTHON パイソンの50年
Aug.15, 2005
パイソン(Python)という蛇の名前を持つリボルバーは1955年に市場に登場した。バレル下部にはマズル部まで延びたアンダーラグ(full length under lug)を持ち、バレル上部にはベンチレーティッド・リブ(ventilated rib)が載ったそのスタイルは、従来のリボルバーには無かった斬新なもので、パイソンはその派手な外観から多くの脚光を浴びた。
あれから50年が経過した現在、伝説のニシキヘビの存在を振り返ってみたい。
1950年代前半、コルトは伝統的なリボルバーと、45口径セミオートマチック・ピストルをラインナップに抱え、好調なセールスを維持していたらしい。
もっともセミオートマチック・ピストルM1911A1は1945年、第二次世界大戦が終結したことにより、軍への納入はストップしていた。戦時体制で複数の会社で作りまくった結果、平和が回復した後は、M1911A1が有り余っていたからだ。
45口径という大口径は当時、世界の趨勢から見れば、時代遅れと言われていた。アメリカ軍も朝鮮戦争が起こらなければ、9mm口径へのシフトを進めていた可能性がある。事実、コルトもT4と呼ばれる9mmダブルアクションの試作モデルを開発していたし、9mmピストルのトライアルもおこなわれた。
しかし民間では多くのアメリカ人が、セミ・オートマチックなら45口径であるべきと考えていた。軍制式ピストルのコマーシャルバージョンはガヴァメントモデルと呼ばれ、好調な販売が続いていた。
リボルバーについては、コルトは20世紀初頭とほとんど変わらない製品が並んでいた。45口径オートマチックが好調であったといっても、アメリカ人の好みは基本的にリボルバーであり、作動が確実で即応性に優れたリボルバーは、警察やセキュリティ関係者、民間マーケットで圧倒的な支持を得ていた。
セールス担当の責任者であったB.ヘンリーは、コルトの製品に不安を感じていた。コンペティターであるS&Wも、リボルバーのメカニズムに関しては20世紀初頭と比べて殆ど差がないものであったが、デザインは新しい時代を感じさせる洗練されたものに切り替わってきていた。
コルト社はリボルバーのパイオニアであり、フロンティアの時代には最大のヒット作シングルアクションアーミーを生み出し、これが軍制式となって以来、常にアメリカ軍制式ピストルの地位はコルト社製品が第一の座を確保し続けているという驕りもあったのだろう。今、上手くいっているのに、なぜ変える必要があるのか。しかし、こんな思いが、多くの会社を衰退させてきたのだ。
コルトの主力商品はニューサービス・リボルバー(New Service Revolver)であり、オフィサーズ・モデル(Officers Model), デテクティブ・スペシャル(Detective Special), オフィシャル・ポリス(Official Police)といったものだ。マイナーチェンジはしているが、いずれも19世紀末から20世紀初頭に登場したモデルの流れを汲んだものばかりだった。
このままではS&Wに追い抜かれる。この不安に社内で同調したのがアル・ガンサー(Al Gunther)だ。彼らは、新しいデザインのリボルバーを開発を始める。
メカ的な完成度には自信があったのだろう。メカニズムは何も変える必要はないと考えた(これが間違いの始まりだったともいえる)。1905年に開発されたコルト・ポジティブ・ロックを組み込んだダブルアクションメカニズムは、ハンマー・リバウンド・ポジションにあるハンマーの前進を止め、不用意な暴発を皆無にしていた。S&Wも遅れて、同じメカニズムを組み込んだが、コルトの方が圧倒的に早かった。
だから新しいリボルバーの開発は、いかに魅力的な外観を作り上げるかに注力された。バレルの下に飛び出すエジェクターロッドは、剥き出しであることが当たり前の時代だった。S&Wは既にこの部分をカバーした製品を、第二次世界大戦の前に投入していたが、コルトは相変わらず、ロッドをむき出しにしていた。
コルトは一気に、バレル下部にもう1本のバレルがあるかのようなフルレングス・アンダーラグを設け、ここにエジェクターロッドを収納した。フルレングス・アンダーラグはバレル下部のオモリとしての効果があり、これによってマズルの跳ね上がりを小さくする。使用する弾薬は357Magで、この銃を開発した当時としては、もっとも強力な弾薬として位置付けられていた。
銃身長は4 5/8インチ、バレル上部にはソリッド・リブを設けた。リアサイトは、コルト・マスター・ターゲット・モデルのマスター・サイトを流用した。これが1953年の試作モデルだ。
従来のコルト・リボルバーとは異なる斬新な外観に対し、社内の一部からは拒絶反応があった。しかしマーケット調査の結果は良好で、一気に量産モデルの開発に移った。
フルレングス・アンダーラグは側面から見れば、上下2連銃を彷彿させた。そのためだろうか、バレルの上面にはショットガンに良く見られるベンチレーティッド・リブが加えられることになった。バレル下部が派手なら、上部も同様に派手にすればバランスが良い。ベンチレーティッド・リブは、バレルが加熱したことで起こる陽炎を防止するものだ。肉の薄いショットガンであれば、バレルの加熱も早い。また1ラウンドで立て続けに25発以上を撃つショットガンだから確かにバレルは熱くなる。しかしリボルバーにベンチレーティッドリブが必要かとなると、かなり疑問だ。またその効果についても、同様に疑問符が付く。しかし、この用途不明のベンチレーティッドリブがパイソンのデザインに与えた影響は大きい。
リアサイトは、新たに開発されたACCROサイトが取り付けられた。ハンマーも巨大なスパーが付き、非常に起こしやすい。グリップは全面チェッカーの大型ターゲットグリップが付けられた。
マズルには、一段の段差があり、先端近くまで伸びたアンダーラグより前に突き出て、ここが銃口だ、と言わんばかりだ。こんな派手なリボルバーは、それまで存在しなかった。
量産モデルが完成したのが1955年だ。すでに新型357リボルバーとして、前年、従来のコルト路線の延長にあるトルーパー(Trooper)357リボルバーが登場していたが、この新たなリボルバーの登場は強烈で、トルーパーの存在を一気にかすめさせた。
コルトは1950年、ディテクティブ・リボルバーのバリエーションとしてコブラ(Cobra)を発表していた。凶暴な蛇の名前を冠したリボルバーは、独特の凄みを醸し出し営業的に好評であった。そこでこの新設計リボルバーにも、蛇の名前を付けることにした。2匹目の蛇はパイソンだ。
その名前の由来はギリシャ神話に見出すことができる。
世界の始まりから存在した原初神ガイアは、ウラノスの母であると同時に妻であり、数々の魔神、怪物を生んだ。その中の一人がピュトン(Python)だ。ピュトンは巨大な蛇の形をした魔神で、アポロン(Apollon)の母、レトを殺そうとした。
予言では、ピュトンは、レトの子供に殺されるとなっていた。レトを殺せば、まだ生まれていないその子供に殺されるはずがない。しかしピュトンはレトを殺すことができず、生まれてきたアポロンによって倒された。
アポロンはピュトンの遺体をアポロンの神殿、その聖石オンパロス(Ompharos)の下に葬った。この場所は世界の中心という意味を持つ。
ニシキヘビがPythonと名付けられたのは、このピュトンから来ている。コルトがこの新設計リボルバーの名前を付ける際に、ギリシャ神話をイメージしていたのかは判らない。しかし単なるニシキヘビではなく、世界の中心に葬られた魔神の名前であったことは面白い。パイソンは、その後、長い間続いたコルトの蛇シリーズの中では、別格ともいえる製品となったのだ。これは単なるニシキヘビとはわけが違う。
コルトは、このモデルをていねいに仕上げ、美しいブルーフィニッシュとした。この仕上げはコルト・ロイヤル・ブルーと呼ばれ、最上級モデルにのみ適用された。
市場に投入されたパイソンは、高級な製品ではあったが、多くの人を魅了した。古臭いデザインのコルト・リボルバーの中で、ひときわ輝く存在となった。
その後、フロントサイトの高さや、リアサイトのデザインなどマイナーチェンジが行われ、グリップパネルも全面チェッカーから、部分的なチェッカリングに改められた。またトリガープルも見直され、よりスムーズなダブルアクションが実現した。
バレルは6インチと4インチ、そして少数の2.5インチモデルがあった。2.5インチモデルは携帯性を向上させるために、フレームラインに合った小さめのチェッカード・グリップが付けられ、4インチと6インチは大型のターゲットグリップが装着された。
パイソンの口径は一貫して357Magnumであるが、256Winchesterのモデルが試作された。しかし、この256Win.仕様のモデルはアモの将来性が無いと判断され、ボツとなった。スタームルガーもこの新しいアモを使うシングルショットピストル Hawkeyeを市場に投入したが、販売は伸び悩み、短い間に製造中止となった。同時にこの新しい弾薬も消えた。コルトの判断は正しかったということになる。
41Magnum,44Specialの試作品もあったと言われているが、これらも市場に出ることは無かった。38S&W Special用として、サイズ的に357Magnum弾が入らないシリンダーを装備したモデルが少数警察用として生産されたことが記録に残っている、
1955年、パイソン誕生と同じ年、S&Wは最強のリボルバー(当時)として、S&W M29を登場させた。しかしこのM29が脚光を浴びたのは1970年の映画、ダーティ・ハリーにおいてであった。
その後、S&Wのトップ・ザ・ラインとしてM29が位置付けられ、それに対抗するコルトのトップ・ザ・ラインがパイソンとなった。44Magnum仕様のパイソンを求めるユーザーの声が高まったが、コルトはこれに応えようとはしなかった。
1966年、パイソンの廉価版としてダイアモンドバック(Diamond Back)が登場した。高価なパイソンと同じ形のフルレングス・アンダーラグとベンチレーテッド・リブを持ち、ディテクティブスペシャルと同じDフレームをベースにしたリボルバーだ。全体の形状はスケールダウン・パイソンというべきものとなった。しかしパイソンのようなロイヤル・ブルー・フィニッシュではなく、普及品の仕上げであった。これはいわゆるプアマンズ・パイソンだ。38S&W Specialと22リムファイアで製品化された。バレルも2.5インチ、4インチ、6インチとパイソンと同等に揃っていたが、6インチは比較的早くに消えた。ダイアモンドバックはあまり人気がでないまま、1986年に生産が終了した。

ダイアモンドバックとはガラガラ蛇を意味する。これもコブラから始まったコルトの蛇シリーズのひとつだ。その他にも蛇の名前を持ったリボルバーとして、ヴァイパー(Viper)と、ずっと後になって登場したキングコブラ(King Cobra), アナコンダ(Anaconda)がある。
余談だが、コルトの商品名には蛇シリーズのほかに、職業や人の存在を表す名前が多く使われている。ディテクティブ・スペシャル(Detective Special)、オフィシャル・ポリス(Official Police), コマンド(Commando), マーシャル・モデル(Marshall model), バンカーズ・スペシャル(Bankers Special), エージェント(Agent), ローマン(Lawman), ボーダー・パトロール(Border Patrol), エア・クルーマン(Air Crewman), クーリエ(Courier), トルーパー(Trooper), ピース・キーパー(Peacekeeper), メトロポリタン(Metropolitan), ピースメーカー(Peacemaker), そしてセミオートではウッズマン(Woodsman), ハンツマン(Huntsman), ターゲッツマン(TargetsMan), コマンダー(Commander), オフィサーズACP (Officiers ACP), などだ。
1974年の価格ではディテクティブ・スペシャル$99.95、-ダイアモンド・バック$139.95-であるのに対し、パイソンは$199.95で圧倒的に高価だ。しかし、S&W M29は$203.50であり、同じNフレームの357MagnumモデルM27は$175.00だ。KフレームのM19 コンバット・マグナムになると$150.00になる。
高価だと言われ続けたパイソンであるが、S&W M29とほとんど差はない。1974年は映画“Dirty Harry”の続編、“Magnum Force”が前年に公開され、44 Magnum M29が売れまくっていた時代だ。パイソンは確かに高級品であったが、他を圧倒するほどの別格品ではなかった。映画の中でも、バイクの警察官が揃ってパイソンを使用していた。
コルトの中でも、ゴールドカップ・ナショナルマッチ MK.IVも$199.95(ガヴァメントは$144.95)だ。ピースメーカーだって$194.95である。
コルトパイソンのバレルは精度が良いと評判だった。見た目も派手だが、精度も良い。コルトパイソンのバレルとS&WのKフレーム。良い部分だけを集めたら、市販品にはない最高のものができるに違いない。コルトとS&Wのハイブリッド・モデルはカルフォルニアのガンショップで作られ、Smith & WessonとPythonの名前を合成して、Smython(スマイソン)と名付けられた。これが評判になり、あちこちのショップが同じものを作り始めることになった。同じカリフォルニアのDavis Co.はこれをSMOLT(スモルト)と呼んで製作販売し、当時流行していたPPC Matchなどに好んで使用された。
同様にダイヤモンドバックの22口径バレルをS&W K-22に移植したものや、パイソンのバレルをトルーパーに移植したTroopOn(トループォン)などもある。パイソン・バレルをルガーセキュリティー・シックスに付けたCooger(クゥーガー)は有名だ。これらに共通することは、いずれもバレルはパイソン、もしくはダイアモンド・バックの派手なフルレングス・ラグ、ベンチレーティッド・リブを持ったものばかりだ。
これらが評判になったことと、S&W M586, 686が登場したことにはつながりがあると思う。パイソン風のバレルはウケる、そう感じたS&WはM586,M686を開発した。M586,M686はS&Wが市場に送り込んだパイソンキラーだ。357Mag.を撃つには強度的に弱い、といわれていたS&W Kフレームに対し、強化したLフレームを新規製作し、バレル下面にフルレングス・ラグというパイソンの形をそのまま踏襲した。さすがにベンチレーティッド・リブまでは取り入れることはしなかったものの、実用品としてみた場合、S&W Lフレームの完成度は高い。Distingished Combat Magnumというキャッチフレーズで登場したM586, M686の人気は高かった。
時代は遡るが、1970年代はアメリカ製品の品質が大幅に落ちてきた時代だ。ベトナムでの敗北が大きなきっかけだったと考えられる。アメリカ社会が自信を失い,迷走を始めると、工業製品の品質が格段と落ちてしまった。自分の仕事に自信と責任を持つ熟練工は別として、単に指示されたことだけをおこなう製造ラインの作業者は、この社会環境の変化に敏感に反応した。
S&Wも例外では無かった。この時期、製品の品質低下が著しかった。自動化された部分は基本的に変わらないものの、人の手によっておこなわれる作業工程が、大きく影響を受けた。
コルトパイソンはスチールの表面を徹底的にポリッシュし、美しいブルー仕上げとなっていた。他にもスチールブルーの製品は数多くあったが、パイソンの場合、その仕上がり具合が格段に良かった。これはコルト・ロイヤルブルーと呼ばれ、他の製品は明確に区別されていた。この部分に手を抜けば、パイソンの魅力は半減する。
コルトもその事はじゅうぶん理解していた。S&Wの品質が落ちていく中、コルトも製品の品質が落ちたが、最上級モデル、パイソンだけは、高品質の仕上げを維持した。
しかしS&Wには別の武器があった。第二次大戦後、S&Wのダブルアクションメカニズムは磨きが掛けられ、ショート・アクション化していた。そのトリガープルはダブルアクション・リボルバーとしては最高のものとなった。
トリガーを引き続けると、ハンマーが起き、シリンダーは回転を始める。シリンダーが1/6回転し、ノッチにシリンダーストップが噛みこんで、シリンダーの回転が終わる。そして、起こされたハンマーはピークに達する。
ハンマーが落ちる(レットオフ)直前だ。その一瞬を明確にトリガーを引く指が感知できる。シューターはその瞬間に、ターゲットにサイトを合わせ直す。これがダブルアクションでありながら、シングルアクションのような精度で撃つことができるS&Wリボルバーの特徴だ。S&Wは、表面仕上げの品質を落としても、この操作性の質は落とさなかった。
一方、コルトのダブルアクションは、引き始めは非常にスムーズだが、徐々に重くなり、レットオフするときに、その重さはピークに達している。レットオフのタイミングを掴むことは難しい。シングルアクションは滑らかに落ちるが、ダブルアクションの感触はS&Wに大きく水をあけられていた。
一気にダブルアクションで引き切る場合は、ほとんど差は感じない。しかしゆっくりとトリガーを引いたとき、その差は明確なものとなる。
コルトはダブルアクションで射撃をするより、シングルアクションで射撃することを基本に捉えていたように思われる。Fast cockingと呼ばれるハンマーは実に起こしやすい。ダブルアクションでトリガーを引くことよりも、ハンマーを起こせ、と言わんばかりだ。しかし、時代はダブルアクション・リボルバーはダブルアクションで撃つことが主流になっていた。
S&Wの仕上げがどんどん雑になり、製造工程を簡略化させたモデルに切り替わっても、S&Wはダブルアクションメカニズムで、No.1リボルバーの地位を獲得していた。世界中のほとんどのシックス・シューターズはS&Wを使った。ダブルアクション・トリガーが優秀だったからだ。
コルトの仕上げも、1970年代終わりごろには低下していった。見える部分は相変わらず良好だが表面に出ない部分での手抜きが進行していた。サイドプレートの内側、シリンダーの内壁等、一見するだけでは判らない部分に手を抜き出した。きれいな仕上げも、1枚皮を剥げば、ボロが丸見えだ。
コルト・パイソンをこよなく愛する人たちも、そんなコルトに愛想がついて、S&Wに宗旨替えが始まった。M586, M686の登場がそれを加速させた。

パイソンには、もうひとつ欠点があった。シリンダーギャップの大きさとタイトなバレル・ダイアメーターだ。シリンダーから飛び出した弾丸は、非常にきついバレルに飛び込んで回転を始める。Grooved Diameter 0.35〜0.355、それに対して357Magの弾丸は直径0.357だ。バレルに食い込む際に、大きなシリンダーギャップからかなりの圧力が外に向かって逃げていく。せっかくの精度が良いとされたパイソンだが、その精度の良さを完全にいかしきっていなかった。この場合、シリンダーギャップはもっとタイトにするべきだ。パイソンのシリンダーギャップは0.25〜0.3mmある。末期にはシリンダーギャップは0.15mmに改善されたが、そのころのパイソン・バレルは、品質が落ちていた
コルト社は、パイソン愛好家がどんどんパイソンから離れていくその動きに対し、明確な対抗策を打ちかえすことは無かった。Iフレームのパイソンに関して、大きな変更は何もしなかった。その代わり、トルーパーをMk-IIIからMk-Vに改良するマイナーチェンジ(Vフレーム化)をおこない、その後、ピースキーパー、キングコブラと発展させていった。これらは、セフティ・コネクター方式を持つ新型のダブルアクションであったが、S&Wの勢いを止める力はない。トリガープルの感触は相変わらずS&Wに大きく引き離されていた。
パイソンは1980年、バレルを伸ばして8インチとしたニューモデルが登場、併せて、Leupold M8 2Xスコープを載せてゼロハリバートン(Zero Harriburton)のケースに入れたパイソン・ハンター(Python Hunter)が限定生産された。
オリジナル・ウッドグリップを止めて、社外のラバーグリップが標準品として付けられるようになったのもこの時期だ。
下側が大きく広がっている標準タイプのターゲットグリップは、握りやすさの点で決して優れていたとはいえない。またマグナム弾を射撃した時のリコイルは、硬い木のグリップでは何も吸収されることなく、グリップを握る手に加わり、個人差があるものの、決して快適とはいえなかった。
パックマイヤー社製のラバーグリップを装着することで、これらの問題は解消された。しかし、これは同時にコストダウンという意味合いも持っている。ウォルナットを削り、チェッカリング加工することはたとえ機械化されていたとしてもコストが掛かる。登場当初、全面チェッカーだったパイソンのグリップは、その後、チェッカリングの形状が何度か変わった。後期になるほど、機械加工でのチェッカリングがやり易い形状に変わっている。すべては工数削減による効率化、コスト削減が目的だ。社外のラバー製に切り替えることは、究極の効率化だった。
しかしリボルバーのロールス・ロイス(キャデラックという表現もある)と呼ばれたパイソンに、安いゴム製グリップを装着することが正しい選択かどうかは疑問が残る。高級本革シートと木製ステアリング・ホィール、ウッドパネルを装備した高級車が、新型になって、ビニールレザーシートとプラスチック製ステアリング・ホィール、木目調プラスチック・パネル装備になったようなものだ。末期にはPachmayrだけでなくHouge製グリップも存在した。
1980年代後半には、3インチバレル・モデルが登場した。バレルにはCombat Pythonと刻印されている。1990年代になって、カリフォルニアのガンショップが注文した限定モデルにPython California Combatがある。3インチバレルの刻印を“PYTHON 357 CALIFORNIA COMBAT”に変えたものだ。コルトに限った話ではないが、さまざまな限定品が存在する。その中の一部が正式な記念モデル(commemorative model)だ。パイソンのコメモラティブ・モデルは1985年のダブルダイアモンド(Double Diamond)だ。45AutoオフィサーズACPとパイソンがセットになり、1000挺が製造された。
1年間の限定生産だったパイソン・ハンターは、名前を変えてパイソン・テン・ポインティア(Python Ten Pointer)として再登場した。スコープはLeupold M8 2XからBurris 3Xに変更、ハリバートンのケースはプラスチックとなった。
1990年には、10年以上もの間、登場が待ち望まれていた44Magnum modelが登場した。しかし、パイソンとしてではなく、Mark Vの拡大版だった。アナコンダ(Anaconda)と名付けられ、ベンチレーテッドリブにフルラグバレルというパイソンの外観的特長は踏襲している。しかし製造上の品質が悪く、市場の評価は低かった。それに登場するタイミングが遅すぎた。44Magnumが話題になったのは1970年代だ。
初期の段階で38Special専用モデルがあったが、1980年代後半(正確な時期、不明)に限定品として38Special仕様の8インチのパイソン・ターゲットも作られた。バレルの刻印もPYTHON TARGET 38Special CTGとある。
新しいものは目に見えて仕上げが粗雑になっていく。精度が高いと人気のあったバレルも、既に書いた通り、並のバレルと変わらなくなった。
高い品質を維持すべく、Colt Custom Shopから1991年にUltimate Pythonが出た。6インチのみで、ブライト・ステンレス・フィニッシュとロイヤルブルーがあった。しかし外観は美しく仕上げられたが、相変わらず中身は手抜きのままであった。この時期、コルトは何度か倒産と再生を繰り返している。
もし抜本的に改良を加え、S&Wに負けない良好な感触を持つトリガー・システムを作り上げることができたなら、パイソンは現在までKing of Revolverとして生き続けていただろう。しかし、コルトにはダブルアクションメカニズムを改良する力は無かった。思えば、コルトは19世紀末のダブルアクション開発以降、社内で新たなメカニズムを開発し、製品化することは無かったと思う。
ガバメントを頂点とするセミオートマチックはJ.M.Browningの開発だったし、M16もThompsonも製造権を買ったに過ぎない。トルーパー, ローマン等、MK-IIIメカニズムの開発は社外のデザイナーの仕事だ。コルト末期の迷作、All American2000も社外の開発だ。米軍トライアルで早期敗退したSSP(Stainless Steel Pistol)も外部に設計を依頼した可能性が強い。最後に登場した幻のZ40はチェコのCZが開発したものだ。
リボルバーのパイオニアでありながら、後発のS&Wに追い抜かれてしまった事に、コルトは何も感じなかったのだろうか。1994年、2.5インチパイソンが製造中止、その後も、何ら対策を打つことなく、コルトは1999年、コンシューマー向け商品の大幅縮小を発表、公的機関向けの官需に注力すべく、すべてのダブルアクション・リボルバーを製造中止とした。
この製造中止が発表される以前の1998年後半、パイソンは既にカタログ落ちしていた。実際の生産は1996年に終わっている。そして、それまで製造されていた4インチ、6インチ、8インチのロイヤルブルーフィニッシュ、ステンレス、ブライトステンレス・モデルに代わってPython Eliteと称する4インチと6インチ・モデルが登場した。これはコルト・カスタムショップにオーダーするいわば特注品だ。ようするに受注生産となったのだ。ステンレスが大半だったが、少数のブルーフィニッシュモデルも存在した。しかしそれも1999年に製造が中止された。
2001年、少量生産モデルとしてパイソンは復活した。だがそれも一時だけだった。市場はすでに、新しいパイソンを求めていないのだろう。
2005年、パイソンが市場に出て50年が経過した。この記念すべき時、何もコルトからアナウンスは無い。
50年前の製品を彷彿させる美しいロイヤルブルーフィニッシュのパイソン、グリップには記念のゴールドプレートが埋め込まれたコメモラティブ・モデルの登場を予想していたのだが、その期待は裏切られてしまいそうだ。市場も、コルト自身も、年老いたニシキヘビの存在を忘れてしまったのだろう。
リボルバーのパイオニアとして、19世紀から20世紀に市場をリードしたコルト、そのダブルアクション・リボルバーの代表的モデル、S&Wとナンバーワンの座を賭けて戦ったパイソンをもはや誰も思い出そうとしない。
魔神ピュトン(Python)は死後、アポロンの神殿、その聖石オンパロスの下に葬られたが、20世紀後半のニシキヘビ(Colt Python)は、そのような丁重な扱いを受けることはなさそうだ。
Satoshi Maoka
Aug.15, 2005
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